10
見晴らしの良いユタ平原を歩く二人の周りに爽やかな風が吹いている。
黒煙病の説明をしてからビルは明らかに口数が減っていた。
もう少し表現に気をつけるべきだったかとフリードが一人で考えているとビルがこちらを振り返った。
「フリードって旅人なんだよね……そもそも旅人って何をする人なの?」
「んー、そうだな。目的を持って旅をする奴もいるし、単純に一箇所に留まるのが苦手だからフラフラしている奴もいる。俺の場合は前者だ」
「そうなんだ。じゃあフリードは何で旅をしているの?」
立ち止まったビルは純粋な目でこちらを見つめていた。
一瞬、どこまで話すべきか悩んだフリードだったが表情には出さずにそのまま答える。
「俺は……邪神が従えていた組織、『邪神教』の残党を探している。知っているか?」
黒煙病を知らないということは邪神教のことも知らないだろう。
そう考えていたフリードだったが予想は裏切られる。
「お父さんが教えてくれたよ。邪神と一緒に悪いことを沢山した人たちだよね」
「ああ、そのとおりだ。邪神教がいつ生まれたのか、もはやそれを知る者がいないほどあの組織の歴史は古いと言われている。奴らは邪神を『善なる神』として崇め、組織に楯突く者には暴力で応えてきた。そのせいで幹部の連中は漏れなく賞金首で、捕まえれば一生遊んで暮らせるほどの金が手に入る」
とは言え、どいつもこいつも曲者だ。金に目が眩んで返り討ちにあった者は後を絶たない。
興味深い話だったのか前のめりになったビルは自身が聞いた話を披露する。
「でも邪神が封印されて邪神教も無くなったってお父さんが言ってたよ?」
「俺もそう思っていたんだが一度消え去った黒煙病がまた広まっているんだ。さっき言った通り黒煙は邪神の体内で作られている。それが再び見つかったということは……」
「実は封印されていなかった、とか?」
そう告げたビルの目がキラリと光る。どうやら恐怖より好奇心が優っているようだった。
首を振ったフリードは確信に満ちた口調で自身の考えを語る。
「いや、邪神は確実に封印された。邪神教の残党だと考えた方が納得できる。ドリアスを拠点にして色んな地域を回ったが恐らくミアの森の近くに『何か』があるはずだ」
黒煙病について二人が考えを巡らせていると目的地の村が見えてくる。それはドリアスと比べると貧相と言わざるを得ない場所であった。
外から見る限り高い建物はほとんど無い。入り口には申し訳程度に造られた鉄製の門があり、門の左右からは村の端に沿って木の柵がどこまでも続いていた。
柵は大人であれば飛び越えられる高さで、外敵から村を守る役割を担っているようには正直見えなかった。
「あれ? おかしいな」
村の入り口まで辿り着くとビルは何故かキョロキョロと辺りを見渡す。
どうしたのかと目線で問うと困惑の反応が返ってくる。
「いつもなら狩人が交代で門番をしているんだけど……何かあったのかな」
「確かに一人もいないのは妙だな」
てっきり屈強な門番でもいるのかと思ったが無人のようだ。
ビル曰く、余所者を毛嫌いする者も多いらしいが、村人を救った恩人を問答無用で追い出すことは無いと信じたい。
「帰って来られたんだ……良かった。フリード、本当にありがとう」
今になって実感が湧いたのか、随分と気持ちの籠った台詞だ。
しかし感謝の言葉とは裏腹にビルの表情には翳りが見える。それは自身の不甲斐なさを嘆いているようであった。
父親が狩人だという話はここまでの道のりで聞いたが、ビル自身は狩人になれるとは思っていないらしい。理由は運動神経と度胸の無さだ。
「いつか……フリードみたいに強くなれるかな?」
憧れと期待が入り混じった純粋な目。
せっかく出来た縁だ。何か気の利いたことを言ってあげたいが、どうするべきか。
結局、フリードが選んだのはビルに新たな道を示すということであった。
「強くなれるのは努力した者だけだ。最初から強い奴は滅多にいない。だが世の中には努力しても強くなれない奴もいる」
「僕もそういう人間ってこと?」
途端に悲しそうな表情を浮かべるビル。
『最後まで聞け』と言ってからフリードは続きを説明する。
「だが強さにも色々ある。腕っ節が全てでは無い。知恵が回ったり度胸があったり、優しさも強さだ。色んな強さが世の中にはある。例えば全ての狩人が武器を持って戦っているか?」
その質問には思うところがあったようだ。
今度は落ち込まずに少し悩んでからビルは自信なさげに口を開いた。
「お父さんが言っていた気がする。モンスターを誘き寄せる役目や、捕まえたモンスターを解体する役目の人もいるって」
「そうだ。出来ることをやればいいんだ。ビルにも何か得意なことは無いのか?」
「……戦うのは怖いけど、怪我の手当なら僕にも出来るかも!」
自分にも役立てることがあると気づいたビルの顔に徐々に明るさが戻り始める。
どうやら言いたかったことは伝わったようだ。
「フリードはもう行っちゃうの?」
「いや、せっかくだし村を見て回るつもりだ。それより早く両親に顔を見せてやれ」
「あ、そうだね! じゃあ一度お別れかな。ここまで送ってくれてありがとう!」
感謝の言葉を述べたビルは一刻も早く両親に会うために急いで村の中へと消えて行った。
穏やかな表情でビルを見送ったフリードだったが彼の姿が見えなくなると表情は一変する。
湖の近くでグレイトウルフを次々と葬っていた時のような、一切の優しさを感じさせない冷徹な表情。ビルの前では見せなかったもう一つの顔がそこにはあった。
実はビルには伝えていないことがある。金髪の悪魔に関する話だ。
邪神の右腕という異名が事実であれば、グレイトウルフやゴブリンなどとは比べ物にならないほどの強さなのだろう。ケビンに言われたとおり遭遇した途端に死ぬ可能性だってある。
だが黒煙病を世間にばら撒いている犯人なのであれば放置するわけにはいかない。
フリードは邪神勢力の残党をこの三年倒し続けてきた。それは師匠が夢半ばで達成できなかった意志を継ぐという意味もある。
背中の大剣を握り締めて深呼吸をしたフリードは村への一歩を踏み出した。