アレクシア嬢、勇者に直談判する。④
まだ眠っているような、半ば起きているような。どちらともつかない意識の中に、繰り返し流れ込んでくる言葉がある。
《――これは解けぬ呪い。消えぬ呪い》
(そうだろうとも。呪術に長けた魔族が、生半可な呪いを残すわけがない)
《――お前を未来永劫に縛る、絶えることなき怨嗟の鎖》
(ああ。私など不倶戴天の仇だろう、貴様らにとっては)
構いたくなどない。が、帰還した日から執拗に語り掛けてくる『声』の内容は、否定のしようがない事実だ。
だから認めざるを得ない。その結果が夜ごとの悪夢であり、目覚めるまで続く酷い苦しみだったとしても。
だが――
――どがぁっ!!!
『――っ!?』
出し抜けに響いた轟音に、たゆたっていた意識が引き戻される。瞼のない目に琥珀色の光が閃き、その視線をドアへと向けた。
「セリオン様! ご無事ですか、今突入しますからね!!」
覆いかぶさる闇を切り裂くような。まるで希望そのもののような、そんな声がした。
「……うーん、やっぱり硬い! 全力で殴ったんだけどなぁ」
一方扉の外では、わりと真剣に物騒なことをつぶやいているアレクシアがいた。
両手には長い柄のついた、先端部分が自分の頭ほどもある巨大な金槌――いわゆるウォーハンマーを握りしめている。言わずと知れた先ほどの轟音の正体だった。
この前バルコニーから入ろうとしたとき、隣の部屋の壁に武器が飾ってあるのを発見したのだ。さすが騎士のお邸だなぁと感心したものだが、こんなところで役に立とうとは。
「よしっ、もういっちょ……!」
《わーっ待て待て待て!!!》
「、へっ?」
みしみしいっている扉に第二撃を加えるべく、元気にハンマーを振りかぶった時だ。飛んできたひっくり返り気味の悲鳴は、まったく知らない声のものだった。え、誰?
とっさに手を止めたアレクシアの目の前で、ドアの隙間からぶわっと漏れてきたのは蒸気……ではなく、煙とも霧ともつかない黒っぽいものだ。それが不自然に凝り固まって、何とも言えないもやん、とした物体と作り出す。目鼻立ちも定かではないのに、なぜかこっちをにらんでいるのだけはわかった。あと、微妙に涙目っぽいことも。
《いきなり戦鎚でドア殴りつけるやつがあるか、人を呼べよ人を! お前それでも貴族の姫か!?》
「だまらっしゃい! よその旦那様に夜這いかけるような慮外者に説教される筋合いありませんわっ」
《誤解を招く言い回しすんなー!! オレだって仕事じゃなきゃ野郎の枕元に立とうとか思わんわっっ》
「あらそう、夜遅くまでご苦労様ですこと! でもそれって絶対、終わった後で口封じに始末される系統のお仕事ですわよね!! ご愁傷様!!」
《う、うぐぅぅぅ……っ、お、お前だってそうだろうが!! 旦那に相手にされないもんだから、見返り目的で必死にゴマすってるが、ちょっと傷を修復してやったくらいで何になる!?
今まで来た令嬢たちの反応の方が、この世界では正しいんだからな!! こんな化け物、どこ行ったって後ろ指さされるに決まって――》
ごがぁぁん!!!
もやんとしたものの悪態を、ハンマーで廊下をぶん殴る音が断ち切った。若干へこんでしまった床から得物を引き抜いて、まっすぐ相手に突き付けたアレクシア、明らかに目が据わっている。――自分の『好き』を勝手に安く見積もられるほど、腹が立つことはない。
「見返りなんか求めてませんわ!! だってあんな大きな傷があったら、見たり触れたりするたびに怪我した時のことを思い出してしまうでしょう!? きっとこれからの人生の方が長いのに、毎日辛かったことばかり思い返しながら生きていくなんて悲しいじゃありませんか!!」
全身全霊の本音である。元に戻れないのなら、今の姿を好きになれたほうが絶対に楽しい。アレクシアの『好き』が、ちょっとでも本人に伝わればいいと思う。それだけだ。
扉の向こうまで届くといいな、と思いながら、再び声を張り上げる。近所迷惑がなんぼのものか!!
「赤の他人だってきっとそう思いますのに、ご縁あって嫁いだ旦那様なんですのよ!? そりゃあめいっぱい心配するし、力の限り治療するし、全身全霊で幸せにいたします!! あなたなんかお呼びじゃなくってよ!!!
ひとの恋路の邪魔する奴は――竜に蹴られて死んじまえ!!! ですわー!!!!」
ずばああああああん!!!
《どっしぇ~~~~~~~!?!?》
腕だけでなく全身を使って繰り出されたハンマーが、実体がないはずの相手を直撃し、景気のいい音が響き渡る。間抜けな悲鳴を上げたもやんとしたものは、廊下の窓を突き破って盛大に吹っ飛んで、そのまま夜空に消えていった。