昔の夢
昔の夢を見た。
私がまだ、人の営みに寄り添い、その道から外れぬようにとたくさんの薬を飲み、眠りに就いていた頃。町から町を流浪し続け、それが一体いくつ目の町だったか、西日に誘われて歩き、暗くなっては街路灯のしっかり行き届かない小道に入って、今にも潰れてしまいそうな、地元の客が疎らにしか存在しない居酒屋で浴びるほど酒を飲むという毎日を送っていた。
いつも、店を閉めるから出ていけと言う店主に「私のような流れ者を大切にしない店が長く続くとは思えんね。来月にはここも豆腐屋に変わってるのだろう」と決まって捨て台詞を吐いて(この捨て台詞はワンパターンで豆腐屋が洗濯屋や納豆屋に変わるのみ)覚束ない足取りのまま近くの公園を目指すのが常だった。あの日もいつものように捨て台詞を吐き(この時はなめこ屋)店主が顔を真っ赤にしたところでそそくさと退散し、夜明け前の公園で一人の老人と出会った。
ベンチに腰掛けた老人は黒のトレンチコートで全身を覆っており、何より奇怪だったのは夜明け前のまだ薄暗い中で何をするでもない老人が一人ベンチに座っていたことではなく、コートと全く同じ色の傘を深く差していたことだった。雨や雪など、もちろん自殺志願の若い男女がビルの屋上に立っているわけでもなかった。そんな老人は間違いなく不審者であったし、こんな時間に公園を浮浪している私と同じ匂いがした。
これは変な奴だと、私は陽気にこの老人の隣に座ることにした。酔っ払いの好奇心は時々常人には理解できない行動を起こすことがある。私は老人の隣に座るくらいじゃ満足せず、思い切って足を組み、到頭話しかけてみることにした。
「私のところでは雨は降っていないが、お爺さんのところではかなり強い雨なのだろう」
私が皮肉気味に言って見せると、老人は傘を深く差したまま、
「まるっきり雨など降っていないじゃありませんか」と真剣に返した。
そのまともな、道化の格好に似合わず、そもそも自分の身なりを正装だとでも思っているような口ぶりに私はひどく落ち込んだ。この頃の私は常に酔っていてはっきりとした記憶なんて何一つなかったが、こんな時間に酔っぱらっているのが私だけだと思うとどうにも恥ずかしくなってきて、まともな返事をする老人をなんとか私と同じ不審者に仕立てあげようと躍起になった。
私は真剣に考えているような三文芝居を打ってから、
「そうだったのか、お爺さんのところでもやはり雨は降っていないのか。いやいやおかしい、私は雨も雪も日差しも強くない中で傘を差している人など見たことがない。ああ、そうか、これが今流行りの西洋流ファッションというやつなんだな。そうじゃないとこんな夜更けに傘を差している理由がわからん。ああ、そうか、そうなんだろ?」
私が激しく詰め寄ってみても老人は傘を閉じることも、相対して声を荒げることもなく、ただ真剣に、これが仕事なのです、と呟いただけだった。
私はその常人ではない返答に少しだけ安堵した。どうにもこの頃ちゃんとしている人間とでも言おうか、朝起きて仕事に向かう人たち、働いていない人たちでも、例えば学生なんかでも、夜に眠って朝起きて活動している人たちを見ると焦燥の大海に揉まれて身が焼き切れる思いがする。
酒を飲む度、そのアルコールで常人としての思考は希釈され、他人様に迷惑を掛けては恥を育み続けて来た。月が歳を取り、明らかに破滅に向かう肉体を鼓舞するつもりもなく、歳月に浸り、惰性での日々が刻々と私を蝕むのを感じる。
私がこうも町から町を流浪しているのは、どこかの町には焦燥を感じず、酒をいくら飲んでも恥が積もらない、私が私たる由縁を許容する、すべての人間が酔っぱらっている町があるのではないかと思っているからなのかもしれない。
この頃はとにかく酔っぱらっていない人間を見ていると、まるで酔っぱらっている私が阿呆みたいに思えてきて、それでも何とか酔っぱらっている私だって正しいのだ、と頑張って思い込もうとはするのだけど、真面目に生活している人が視界に入るたび、どうにもいたたまれなくなって、また、酒を飲んでしまう。夜に眠れなくなる。
そんなとき、傘を差すのが仕事です、などと言う老人は正常ではない酔っ払いだと思った。今ここで酔っぱらっているのは私だけではない。その事実が私を驚くほど安心させた。
「傘を差す仕事なんてあるのかい?」
と今までの緊張した声から長閑に変わって訊いてみると、
「ええ、私だけの特別な仕事です」
と老人は胸を張って答えた。