第八話 ニーナ・カトレア
「ヴィラ様ーーー!」
翌朝、化粧台に座って髪をすいていると、シルヴィオがノックもせず部屋に駆け込んできた。
「ああ、おはよう」
「よかったですご無事で!」
ホント、魔女じゃなかったらあたし死んでたよなぁ。そもそも魔女じゃなけりゃ毒盛られたりもしなかったんだろうけど。
「心配してくれてありがと」
シルヴィオは安堵した様子で胸を撫で下ろすと、肩膝をついて礼を取る。
「申し訳ありませんでした、ヴィラ様の騎士である私が先に気づくべきでした」
「いや、飲む前に気づいても式の途中じゃどうしようもなかっただろ。気にしないで」
それに毒っていつでも入れるチャンスを作れるから、犯人の特定が難しい上に傷と違って確実に死んじゃうから厄介だ。あたしも傷なら魔術で治せるけど、毒は解毒剤を作らないとどうしようもない。
「それにしても、陛下にはほとほと落胆しました。まさかあの状態のヴィラ様を放って政務に戻られるとは・・・」
ご立腹らしいシルヴィオに苦笑を返した。そればっかりは仕方ないし、あたしも別に一緒に居てほしいわけじゃなかったし。いくら夫婦だからといっても所詮政略結婚だからさ、普通のごく一般的な夫をレオナードに求めても仕方ないと思うんだ。王様だもんな。
コンコンコン
とノックが3回。どうぞ、と返事をするとルードリーフとアルフレットが姿を現した。
「おはようございます、エルヴィーラ様」
「よっす。元気そうでなにより」
「おはよ」
賑やかなんだけど男ばっかりでムサい。やっぱり可愛い女の子たちがいないとテンション上がらないな。
「エルヴィーラ様、本日陛下は政務で忙しくお食事はご一緒なさらないそうです。それから祝福の杯の件ですが、混乱を防ぐため毒が混入されていたことは伏せることといたします」
「あー、知られたら神様の反感を買ったとしか思われないだろうしねぇ。あたし神様とか信じない性質だから、どうせあたしを気に食わない誰かが入れたんだと思うんだけど」
「それは陛下もわたくしも同じ考えでございます。現在総力を挙げて犯人を探しておりますので、見つかるのも時間の問題でしょう」
あたしは頷くと紫色のショールを羽織って立ち上がった。
「あんまりウロウロしないほうがいいですよ、魔女さん。どこのどいつが命狙ってるかわからないんすから」
「大丈夫、シルヴィオもいるし問題ねえよ」
本当は昨日やる予定だったお茶会を今からすることになってる。東の庭園は素晴らしいと聞くから楽しみ。
「じゃーねー」
あたしは手を振ると物言いたげな2人を残して東の庭園へ急いだ。
風で運ばれてくる花の匂いはどぎつくなくて、緑の鮮やかな洋風の東庭園。見るだけでも広くて大変なのに、手入れするのはどれくらいお金かかってるんだろう。
レンガで敷き詰められた地面とお茶会専用に設置したビーチパラソルに似た形状をしている場所で、特にお気に入りの可愛い侍女たちを集めてお茶を楽しむ。これが最近の密かな楽しみだ。邪魔する男共もいないし、シルヴィオは黙って控えてるし、この時間だけは幸せ。
「ヴィラ様、昨日のお式素晴らしかったですわ」
「ええ、遠くから拝見しておりましたけど、ヴィラ様がホールの誰より美しかったですのよ」
「黒のドレスが本当にお似合いでしたわ」
「ええ、誰もが目を離しませんでしたもの」
「ありがとう。ああ、君たちは貴族の出身だったな」
例え下働きでも城に入るには一定の身分がなければいけないらしい。だからか、みんな礼儀作法が完璧だし話し方もおっとりとしていて上品。貴族ならば当然昨日の結婚式にも参加していたはずだ。
薔薇の花弁の浮いた紅茶に口をつけると、一人端の方でチラチラとこちらの様子を窺っている子が目に入った。確かこの子の名前は・・・
「どうしたんだ?ニーナ」
彼女の小さい身体がピクリと震える。彼女は他の子のように容姿が特に秀でているわけじゃないけど、向こうの世界の友達にとてもよく似てて気に入っていた。茶色っぽい黒のふわふわした肩までの髪形もそっくりだ。あまり仕事に馴染めないようだから気にかけてたんだけど。
「な、なんでもありません」
「なんでもないって顔ではなくてよ、ニーナ」
「そうよ。ヴィラ様の前で失礼だわ、もっとシャキッとなさいな」
他の侍女に叱られたニーナは身体を小さくする。あたしの前だからって楽しそうに振る舞う必要はないんだけど、元気がないと心配にはなる。
「何か心配事でもあるんだろ。無理しなくていいから、楽にしなよ」
「は、はい・・・」
茶色のビスケットを摘まんで口に放り込むとレモンの香りが口の中に広がった。さっぱりとした甘味と柔らかい口当たりが新感覚でおいしい。前に食べたプリンのようなお菓子もおいしかったけど、この城の料理人たちは焼き菓子が得意らしく、工夫を凝らしたクッキーやビスケットは絶品だ。
「ヴィラ様、ニーナはまだ新人ですの。気を使わないほうがいいですわ」
そう言うのは桃色の珍しい髪色をした子だった。たしか名前はジュリアだったような気がする。侍女の中でも古株のリーダー格で、物事をハキハキと言う物怖じしない態度が気に入ってよく連れている。
「なんで?」
「ご年配のお姉さま方のご機嫌を損ねますもの。それにニーナは貴族出身ではありませんから」
うんうん、と他の侍女たちも頷いた。
「ニーナは政庁に勤めるカトレア財務長官の娘ですの。そのつてで侍女になったんですよ」
「へえ、貴族以外にも城勤めできるんだ」
「ええ。100年に一度国内で試験が行われるんです。もちろんかなりの難易度ですけれど、優秀な成績を収めた者は一般人でも政庁に勤めることができるんですわ。普通ならばたとえ政庁勤めの知り合いがいても陛下の近くでお仕えすることはできないんですが、カトレア財務長官は保守派の中でもトップクラスですからニーナは特別なんです」
「偉いんだねぇ。保守派って?」
「政庁は大きく2つの派閥に分かれてるんです。保守派と革新派があって、保守派はニーナのお父上である財務長官や左右将軍やブライエ書簡長が有名ですわ。革新派はオルドリッチ宰相が有名ですわね」
なんかルードリーフが抗議でそれらしいことを言っていた気がするけど真面目に聞いてないからあまり覚えてない。仲が悪くてレオナードが困ってるって言ってたような。
「ありがとう。ジュリアは賢いな」
少し褒めただけで赤くなるジュリアが可笑しくて、可愛らしいクスクスという笑い声が庭園に広がった。
レオナードは難しい顔をしてアルフレットの報告を聞いていた。国王の執務室には人払いをしており、2人以外は誰もいない。
「――――どう考えても部外者だとは考えられない。毒を混入する機会がある者は3人。泉の水を汲んだ神官長のドロージオと杯を運んだ神官のアルバート、あとは杯を用意した侍女」
「神官長は考えにくいな」
「だな」
いつもと違って砕けた言い方をするアルフレットは腰に手を当てて溜息を吐いた。
神官長は先王が国王になる前から居た人物で、なにより国の規律に厳しく神に最も忠実な人物として有名だ。神の託宣を聞きレオナードが王に選ばれたことを告げたのも神官長であり、魔女を娶るよう進言した1人でもある。前王妃のベルデラと仲が良かったのも彼が白である証拠のひとつだ。
「考えられるのは神官と侍女か。侍女はどこの者だ?」
「ニーナ・カトレア」
「カトレア財務長官の娘か。キナ臭いな」
「革新派は最近動きが派手だからなあ。財務長官も優秀だけどあまりいい噂は聞かないし」
レオナードは俯き気味だった顔を上げてアルフレットを見上げる。
「その侍女は今何をしている」
「たしか魔女さん付きで食事全般を担当してた気が・・・・」
「すぐに呼べ」
アルフレットは力強く頷き、レオナードは肩肘をついて山積みにされた書類に視線を遣った。祝福の杯の件がすべてではない、今この城内にヴィラの敵が多すぎる。しかもかなりの高い位置にいるはず。
放っておけばいいのだ。所詮敵はヴィラの敵でレオナードの敵ではないしなり得ない。しかもヴィラは魔女。魔女が王の嫁に望まれるのはこういう事態を想定し、自分の身を守れる力を持っているからだ。しかしレオナードが放っておけば、危機感のないヴィラのことだ、すぐにやられてしまうだろう。
そうしてなんだかんだ言って、レオナードはヴィラの敵になりえるだろう脅威の排除に着手している。放っておけばいいと思うのに、自分の考えとは真逆の行動を取るレオナードは自嘲の笑みを漏らした。
「え・・・毒盛った犯人もう捕まったわけ?」
食事が終わった後、話を切り出したルードリーフにヴィラは瞠目した。まさか昨日の今日で犯人が捕まるとはヴィラでなくとも誰も思わなかっただろう。
「はい。自供いたしました」
「自供って・・・自首?」
「いえ、問い詰めたところ白状しました」
「・・・そう、自分から言っちゃったんだあの子」
何もかも知っているような口ぶりにルードリーフは訝しげな視線を送る。まだ彼は犯人の名を言っていないのに。
「犯人をご存じで?」
「ニーナでしょ?あの子あたしの友達にそっくりで、顔になんでも思ってることが出ちゃうんだけど、ニーナもそうだったから」
ルードリーフはため息を吐いた。神経尖らせて犯人を探していた自分たちがバカらしく思えてくる。
「犯人のニーナ・カトレアはエルヴィーラ様が非常にお気に召していたとお聞きしています」
「うん、そうだけど」
「・・・陛下やわたくしはこの度の事件にエルヴィーラ様が心を痛めないか心配しているんです」
ヴィラからすれば、お気に入りの子に裏切られたのだから。
しかしそんなルードリーフの心配を余所に、ヴィラは至って平気そうな様子だ。
「・・・・・極刑、でございますよ?」
ニーナは処刑される。しかも拷問を受けた後、この国で一番惨い処刑方法で。
恐る恐る口にしたルードリーフだったが、返って来たのはヴィラの冷たい視線だった。凍りつくような殺気に似たその視線に、ルードリーフは背筋を凍らせた。この視線はレオナードが剣を持ったときに発するものと同じだ。
「あたし、自分を殺そうとした人物に同情するほどお優しくないから」
「は、はい・・・」
ルードリーフは頭を下げると部屋を後にした。
ヴィラは今の自分の状況を理解しているのだろうか。どこに刺客がいるかわからないこの狭い城の中で、彼女が頼れるのはレオナードだけだということに。そして助けてくれるはずのレオナードを邪険にすることが、自分の首を絞める行為であることに。