第七話 祝福の杯
黒のドレスを纏ったヴィラに、シルヴィオとアルフレットは拍手をした。
「魔女さんすげえっすよ!」
「お綺麗です」
「ドレスがね。顔見えねえし」
確かにヴィラの言うとおり、顔はベールに隠されて全く見えない。しかし2人が褒めたのはドレスではなく、彼女の纏う雰囲気そのものが美しかったからだ。
今日は結婚式当日。ヴィラの心配を他所に、ドレスは2日前に搬送され余裕で間に合った。
「準備はできたようだな」
派手な刺繍や装飾の施された服を着たレオナードが、部屋に来てヴィラに目線を遣る。
「そういえば式ってどれくらいで終わるんだ?」
「1時間ほどだ」
ヴィラは頷くとレオナードの差し出した手を取って会場へ向かった。シルヴィオとアルフレットも護衛として式に同行するため、2人の後ろを数メートル離れてついてきた。
会場は城の中で一番手前にある塔の一階。通常謁見室と呼ばれるそこは、収容人数5千人というとてつもなく広い会場である。
「行くぞ」
レオナードの一言にヴィラは大きく息を吐くと、コクリと頷いた。
会場がものすごく広くて驚いた。ホールの天井には見たこともないほど煌びやかなシャンデリアがいくつも並んでいて、ちょっとした階段の上に2人分のソファのようなものが置かれていた。もしかしなくてもこれがあたし達の席だ。レオナードに促されて座ると、何千人もの人たちを軽く見降ろす形になり、自分がこの中で一番偉くなったような気になる。
「これより、レオナード陛下、エルヴィーラ王妃様の結婚式を行います」
階段のすぐ下で司会のようなことをやっていたのは見たこともない人。結婚式と言っても何をするのかよくわからないので、他人事気分で見ることにした。
「我がドローシャ王国国王の結婚式にご参列いただきました皆様に御礼申し上げます。初めに皆様の中から、遠方よりいらっしゃいました各国の王家の方々がご挨拶をさせていただきます」
んん?挨拶って普通あたしたちがやるもんなんじゃねえの?しかも他国の王家の人だなんて、めっちゃ偉い人じゃない?
首を捻って考えていると、さっそく1人目の名を呼ばれて男の人が前に出てきた。
「なんで向こうから来るの?普通あたし達が挨拶しなきゃいけないんじゃない?」
小声でシルヴィオに尋ねると、真後ろに控えていた彼があたしにしか聞こえないほど小さな声で返答する。
「ドローシャの国王の方が遥かに地位が高いですから」
「なんで?」
「ここは中心の国でございます。この国の王になるということは、実質世界征服をしたと言っても過言ではないのです」
「もしかしてレオナードってとんでもなく偉い?」
「当たり前です」
あー世界征服ってことは、レオナードは向こうの世界で言う魔王ポジションなわけね。シルヴィオの言った通りレオナードの方が偉いらしく、前へやってきた人は膝を折って頭を下げた。王家の人間が他国の王に跪くなんて、属国でもなければ絶対にやらないはず。
「ロビア王国より、ルーカス国王様」
しかもどっかの王様来ちゃってるし。ロビアってどこだろう、世界地図が欲しくなってきた。
こちらの人は寿命を迎える何十年か前までは老けないから、みーんな若々しくって変な感じだ。見た目じゃ歳もわからないし。
「ベルガラ王国、王弟クラウス様」
しかも顔立ちが整ってる人ばかりだ。レオナードは別格だけど、アルフレットもルードリーフも整ってるし。遺伝子分けてくれと言いたい。
そして面白いのは、髪と瞳の色にいろーんな種類があること。今跪いて挨拶を述べているベルガラ王国の人は、アルフレットよりもさらに赤味を増した真っ赤っかだし瞳は月のような琥珀色。
「オーティス王国、国王ヒューバート様」
この人はかなりの印象に残った。なぜなら大人として成熟する一歩手前の、まだ若い青年だったから。大人ばかりのこの中では少し若いだけなのにかなり目立つ。あたしと同い年くらいの、銀の髪に紫色の瞳をしたカッコいい男の人だ。ちなみにあたしは18にしては老けているらしく、もう10代には見えないらしい。・・・・複雑。
その後は挨拶を聞くのに飽きて、女性たちが来ているドレスを眺めることにした。映画を見るだけではわからなかったけれど、こんなにたくさん人々のドレス姿は遠目から見ても圧巻だ。居るだけで雰囲気にのまれそう。
あたしが特に気に入ったのは、赤にピンク色のショールを羽織った金髪の女性。侍女として城に召し上げられないかな。レオナード嫌がりそうだけど。
「では、これより神官より祝福の杯を受けていただきます」
ぼーっとしている間に挨拶は終わったらしい。司会の人の合図で、白に銀の模様のあるゆったりとした服装の男女がゾロゾロと目の前にやって来た。神官たちは普段から神殿に籠っているらしく、会うのは今日が初めて。
彼らは膝を折って礼をとると、銀色の杯に透明な液を注いで(たぶん水)あたしとレオナードにそれぞれ手渡す。真ん中にいる一番背の高い男性が、分厚く古い本を片手に口を開いた。
「世界の中心に住まう神はこの度のご結婚を祝福してくださいますでしょう。その証にその水を飲み干してくださいませ。この水は神の泉より持ち寄った特別な水でございます。神が祝福してくださるならば何事も起こりません」
どうせただの水だろうと思って、ベールを軽く捲ると言われるがままに口をつける。しかし口に含んだ瞬間吐きそうになった。
――――“デベルジの天使”だ。
聞こえはいいがデベルジの天使は死に際に痛みがないことから名付けられたただの猛毒。師匠に薬草の知識は全て叩き込まれたからこの味は知ってる。
いやいやいやいや、あたしに死ねと!?
隣のレオナードはすべて飲み干して涼しい顔をしていた。毒が入っているような様子はない。つまりあたしの杯にだけ入ってるということ。あいにく、あたしは神の祝福とかそういったものは信じない性質だ。残したって構わない。
けどね。
何千人に見守見られるこの雰囲気の中で、「これ毒入ってますけどー」なんて言えねえ!
濃さからいって毒の量は致死量の2倍はある。けど、あたしは魔女だ。きっと死なない。死なないって根拠もなく自分の生命力を信じてみる。大丈夫、大丈夫だ。・・・たぶん。
意を決して一気に飲み干した。まずくはないけど毒と知っていて飲むのは根性のいる作業だった。毒が回らないように血圧と体温をできるだけ下げ、体の機能が鈍るようにする。ベールをしといて本当によかった。じゃないと今頃真っ青な顔が皆の前に晒されただろうから。
杯を返すと、一番背の高い男の神官が優しく微笑んだ。
「これで神の祝福は証明されました」
されてねえよ!むしろ毒入ってましたけど!
身体中が麻痺してるようでピリピリとした痛みが走る。式はあとどれくらいで終わるんだろ。終わってすぐに解毒剤を飲んだら助かるかもしれない。それまではなんとか魔術で身体の損傷を回復することにしよう。
はっきり言ってここから式が終わるまでの記憶はほとんどなく、ひたすら毒と戦うことに集中していた。だんだん痺れが酷くなってきて、体の感覚がわからなくなってきたときのこと。
ぐいっと腕を引っ張られて気づけば会場の外にいた。
「何があった!?」
レオナードの声だ。目の前が朦朧としていて姿は確認できないけどあたしの異変に気づいたようだ。レオナードが大きな声出すなんて珍しい。
「毒、入ってたみたい、でさ」
返答は帰ってこなかったけど、代わりに医者を呼べという言葉と慌ただしい足音が聞こえた。そしてシルヴィオらしい灰色の髪の男に身体を支えられる。
「ヴィラ様、なぜすぐに言わなかったんですか!」
「んな・・・こと言われても・・・」
シルヴィオは血気迫る勢いで大声を出した。心配してくれるのはありがたいけど、体をあまり揺らさないでほしい。
「陛下!?どこに行かれるんです!?」
「これから個別に挨拶に行かなければならない。後は頼むぞ」
「そんな!ヴィラ様がこんな状態なのにっ!どんだけ薄情なんですか貴方はっ!」
「俺にはやるべきことがある。お前も騎士ならばやるべきことをやれ」
「だからこんなときにっ!!」
「あー、別にいいよ。レオナードが居ても、役に、立たないし・・・」
むしろそばに居られたら邪魔だって言ったら、2人からは無言で返答がない。それからの記憶は、本当にきれいさっぱり無くなってしまった。
上限の白い月に照らされて眠るヴィラは死んでいるようにも見えた。そっと触れた頬は信じられないほど冷たく生気が感じられない。レオナードはあまりの身体の冷たさに心配になって、ベットの上に座り彼女を身体ごと引き寄せ腰に腕を回すと、その細さと冷たさに眉間の皺を寄せた。シーツを手繰り寄せてできるだけ暖かくするが、身体が温まる様子はない。
「・・・レオナード?」
いつもの覇気が感じられない眠たそうな声が静かに響いた。その後ヴィラはゆるゆると重い瞼を開き、漆黒の瞳が後ろから抱き締めるレオナードの姿を視界の端で捉える。
「ああ」
耳元で囁くような声にヴィラの口元が僅かに緩む。
2人の間に会話はなかった。お互いの体温と、ヴィラが生きていることと、レオナードが仕事を終えてヴィラの部屋に来たこと、ただそれだけで十分だった。そこには普段2人が言い合いをしているようなピリピリとした空気はなく、自然に身を任せるような柔らかな雰囲気に包まれている。
その体勢のまま、どれくらい時間が経っただろうか。
ヴィラの身体が温まってきた頃、レオナードの大きな手がヴィラの髪をすいたことを境に、ヴィラがゆっくりと口を開いた。
「あたし・・・式の途中、変なことしなかった?あんまり覚えてなくてさ・・・」
レオナードは無表情ながらも心の中で苦笑していた。あれほど結婚が嫌だと暴れ逃げ出そうとしたヴィラが、式の心配をするなんて可笑しな話だ。きっとヴィラはどんなに不本意であろうと、期待されたことはこなすタイプなのだろう。
「大丈夫だ。何もなかった」
レオナードはヴィラを横抱きにして顔を見えるような体勢にした。黒と青の瞳がぶつかって、ヴィラは少しだけ気まずそうに視線をそらす。しかしレオナードはそれを許さず、ヴィラの顎を持って額に唇を押し当てた。
「この間は逃げられたからな」
「うっ・・・・」
以前雀姿で助けられたときの一件を思い出し、ヴィラは恥ずかしそうに頬を少し染めて身体を強張らせる。そんな様子が可笑しくて、レオナードはクツクツと小さく笑った。