8話・謝罪
あの王妃が数日間寝込むという異常事態に、城の中はかつてないほどの大騒ぎとなっていた。
どんなに派手な親子喧嘩をしても、溜まっている仕事が勝手に片付くわけではない。
レヴィナは足に鉛をつけたような重い足取りで仕事へ向かい、光のような速さで自室へ戻る。
しかし、ボーッとして何も考えず部屋の扉を開けたのが悪かったのだろうか。レヴィナが部屋に入る隙に乗じて、滑り込むようにして入室した人物に彼女は目をしばたたかせた。
「元気してたかしら」
長年恋い焦がれていた、黒い髪と灰色の瞳の人。
なんでここに、とレヴィナが呆けている間にも、ザックは早口でぺらぺらと話し出す。
「2ヶ月ぶりよね、変わりはない?
連絡できなくてごめんなさいね。ずっと忙しくって。
あとはい、これ」
半ば無理やり押し付けるようにして手渡されたそれに、今度は口を半開きにして呆けた。
青いグラデーションの花びらが美しい、水桐という花だ。
100年も前に、絶滅したはずの。
「前に求婚されるなら欲しいって言ってたでしょ?
でもボロボロの姿じゃなくて悪かったわ。できるだけ急ぎたかったからお金と権力をフル活用しちゃった。
同じ場所であと2輪見つかったから栽培しながら増やせるわよ。ある程度まで育てることができれば、きっとまた香水も作れるわね。
今度は絶対失敗しないように毒女にも頼んでおかないと・・・」
確かに以前、レヴィナは水桐が欲しいとは言った。それを面白可笑しいボロボロの姿で差し出されれば、結婚を考えてあげなくもないとも。
しかし本当に見つかるとは、しかもそれをザックがレヴィナに差し出すなど、想像したこともなかった。
水桐の茎の部分を握って目に見えるほどプルプルと震えだしたレヴィナに、ザックは大慌てで大きな声を出す。
「レヴィナ!花潰れちゃうわよ!」
「・・・ごめんなさい」
レヴィナは単純にショックだった。まさかザックがここまで思い詰めるとは思わなかったのだ。口づけに責任を感じていたのかもしれないが、私財を使ってまで責任を取ろうとするなんて。
絶滅種を探すなど時間も苦労も絶えなかっただろうし、かなりの額を散財してしまったに違いない。
しかしレヴィナの言葉を別の意味で捉えたザックは、眉間に眉を寄せて困ったような苦笑をする。
「あたしそんなあっさり断られるの?
厚かましいとは思うけど、せめてもうちょっとだけ時間をかけて考えてくれると・・・」
「・・・そうじゃなくって、信じられないんだもの」
つい先日までレヴィナとの結婚をあり得ないの一言で片付けていたザックだ。彼がいきなり求婚したところで彼の本意を疑うのも当然のこと。
悲しげに視線を落としたレヴィナの顔を、ザックは少し屈んで覗き込む。
「言葉では信じてもらえないと思ったからここまでしたの」
「でも、・・・あり得ないって言ってた」
「前まではね。でも前からレヴィナは世界一可愛いと思ってたのよ?
ただその可愛いが恋愛感情とは結びつかなかっただけで」
じゃあ一体なんの心変わりだ、とレヴィナは疑いの眼差しで控えめにザックを見上げた。
クスリ、と笑ってレヴィナの目を見つめ返すザックの目は、以前レヴィナを見ていたものとは少し違う。
「ドローシャの王女を嫁に迎えるなんて恐れ多いこと、普通あり得ないでしょ。ドローシャの王族が他国に嫁ぐなんて歴史上稀なことよ。しかもあたしはただの貴族だもの。考えたこともなかったのよ」
異性関係で厳格なドローシャでは結婚前の交際なんて言語道断。もし男女間の付き合いがしたいならばすぐにでも婚約となる。
王女であるレヴィナともなれば、少しでも恋愛関係を望むようなことがあればまず結婚を済ませてから。それをオーティスの一貴族でしかないザックには到底考えられないこと、そして考えることも許されないようなことだ。
「それだけでただの可愛い小娘から格上げされることってあるの?」
「仕方ないじゃない。あの時あまりにもレヴィナが可愛いかったから、突然メーターが振り切れたというか、ぶっ壊れたというか・・・」
相も変わらず納得できないような表情のレヴィナに、ザックは首を傾げて口を動かし続ける。
「もしかしてレヴィナを政治に利用しようとしていると思ってる?
だったらローノイド家の家督は甥に譲って宰相を辞したら、私たちはドローシャに住むってのはどう?そうしたらオーティスの得になるようなことはないでしょう。
心配しなくても個人的な領地を持ってるからちゃんと生活できるわよ。さすがに今のようになんでも手に入るってわけではないけど」
レヴィナは仰天した。まさかザックが命よりも大事にしている国を離れるなんて言い出すとは。
「そこまでしなくても・・・」
「なんの犠牲もなしに手に入るなんて思ってない」
ザックは静かにそう言って、レヴィナの髪をひと束すくい上げた。そしてそれにゆっくりと口づけした後、大きくため息を吐く。
「あたしにできるのは、精々これくらい。・・・悔しいけど」
ヴィラのように魔術を使えるわけでもなく、レオナードのように権力を使えるわけでもない。好きな人を手に入れるためにこれ以上の手段を持たないザックは、己の無力さが心の底から恨めしい。
レヴィナは少し身を乗り出して距離を詰め、何度も念を押すように問いかけた。
「本気?正気なの?嘘偽りなく私と結婚したいと思ってる?」
「ええ、もちろんよ」
こんなにも可愛いレヴィナを妻にしたくない男など存在するわけない。
そう言って笑ったザックは彼女の額に軽く口づける。
レヴィナは少しの間考え込み花をテーブルの上へ置くと、突然何を思ったのか両手でザックを力いっぱい押し、最後にはベッドの上へ突き飛ばした。
そして馬乗りになるようにザックの上へ登ってきたレヴィナ。至って表情は真剣で、決してふざけているわけではなさそうだ。
ザックは目を丸くして彼女を見上げる。
「どうしたの?」
「昔母さまが、既成事実を作ったら男は逃げられないって言ってたもの。
もしザックの気が変わったら困るから・・・」
可愛らしい理由にザックは思わず吹き出した。
レヴィナを抱きしめて彼女の身体を横に引き倒すと二人の上下は入れ替わり、ベッドへ背中から倒れ込んだレヴィナへ覗き込むように顔を寄せる。
「ふふっ、あたしってそんなに信用ない?
いいけど・・・・、後悔しても知らないわよ?」
何故私が後悔を?と不思議そうに見上げてくるレヴィナに、ザックは薄く笑って断りを入れた。
「泣いても止めてあげられないから。ごめんね」
そう言って首筋に顔を埋めて何度も口づけてきたザック。
了承の意味だったのか、それとも自分の言動を後悔したのか、レヴィナはザックの服の裾を握っている手にぎゅっと力を込めた。
病み上がりでベッドから出たばかりだったヴィラは、最初はまだ夢の中にいるのだと勘違いした。
「結婚するなら男嫌いだからオカマってか。まあオカマなら男じゃねえしな。
ってかオカマってレヴィナ、最高にウケるんだけど。あたしの想像力もなかなかだよな」
な、と隣に座っているレオナードに同意を求めるヴィラ。
しかし何か変だ。レオナードは頷かず眉間に皺を寄せ、厳しい顔つきで目の前に居るザックを見ていたのだから。
ザックは深く頭を下げたまま微動だにしない。
あれ、あれ、とヴィラは混乱し始める。
「なにこれ、夢じゃないのか?」
「母さまったら、夢だと思ってるの?」
はあ、と頬に手を当てて小さくため息を吐くのはレヴィナ。
「母さまが寝ぼけてるならまた明日にでも仕切り直しね。
父さまに睨まれて冷や汗が止まらないザックには申し訳ないけど・・・」
「ちょっと待って!!これは現実なのか!?」
まさか一生結婚することのないだろうと思っていた男嫌いの娘が、連れて来たのはよりにもよってザック。
もしかしたら女を連れてくるかもしれないと覚悟したこともあったけれど、オカマとは想像の斜め上を行っていた。
立ち上がって大声を上げたヴィラに、レオナードは静かに声をかける。
「ヴィラ、落ち着いてくれ」
「お、落ち着けるか?この状況で?
ねえ、本当に好き合って結婚するの?契約結婚みたいな感じじゃなくて?」
あまりにもタイミングが良すぎた。
レヴィナはヴィラと喧嘩したばかり。家を出るために結婚は好都合だ。オカマで誰とも結婚したくなかったザックと利害が一致して、手を組んでいるだけではないのか。
レオナードもヴィラも同じ疑念を抱き、頭を下げたままのザックを睨んだ。
「違います」
ザックはただそう一言だけ述べる。
しかしヴィラから見たレヴィナたちは、今から結婚するような愛し合っている二人にはとても見えなかった。
「ほんとのほんとに好きなの?
レヴィナこんな状況なのにすっげー涼しい顔で紅茶しばいてっけど?全然ラブラブな恋人には見えないんだけど」
結婚前なんて恋愛の最高潮だ。もっとイチャイチャしたり、ハートマークが飛び交っているはず。
「・・・普通人前ではいちゃつかないもんですよ、魔女さん」
あなたたちが普通じゃないだけで。
アルフレッドが後ろから小声でぽつりと漏らした。
確かに!!
ヴィラは激しく納得し、頭を抱えて唸った。
「ううう・・・。でもレヴィナがザックと仲良くしてるところなんて全然想像つかない・・・」
そんなの想像しないでください。
呆れ返ったような視線を投げかけてくるのは、ヴィラの後ろに控えているシルヴィオだ。
「うーん、具体的にザックのどこがよかったわけ?」
ヴィラの絞り出すような問いかけに、レヴィナは相変わらず動じない様子で淡々と答えた。
「そうねえ、土埃まみれで窓から部屋に入ってきたりしないところかしら。
あと突然得たいの知れない生き物を持ち帰ったりしないし」
それ、全部ランスな。と苦笑いを溢すヴィラと騎士二人組。
確かに兄妹の相性は良いとは言えず、愛情表現はずっとランスの一方通行だったけれども。
そのとき。
「レヴィナ様ー!!」
扉を『バァン!!』と激しく開けて部屋に飛び込んできたのはリズだった。
彼女はうわああんと声に出して泣きながらレヴィナの脚に抱きつく。
「良かったです~!!
ザックさんにずっと片想いしてたのにこっ酷くフラれて死にそうな顔してたから私もう心配で心配で~!!」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・マジで?」
全く空気を読まないリズが派手にぶちまけた。
そのせいでそれぞれの心境は一気に複雑に。
レヴィナは表情を若干曇らせてドレスに涙と鼻水を擦りつけてくるリズを見下ろす。
半殺しくらいはされるだろうと覚悟していたザックは、やっぱり半殺しでは済まなさそうだと下げていた頭をさらに下へ。
そしてレオナードとヴィラは、それぞれ無言で顔を見合わせた。
まあとにかく、レヴィナが本気ならいいよね、と。
ところがヴィラは、あれ?と眉をしかめて先程のリズの台詞を反芻する。
「・・・ん?ちょっと待てよ。こっ酷くフッたって何。
ザック、うちのレヴィナに何を言ったんだ?」
ザックに対するヴィラとレオナードの視線はかつてないほど厳しいものになった。
これは、さっきよりもまずい状況になってしまったかもしれない。
しかしザックは言い訳をする気は一切なかった。事実はありのままに伝えなければならない。自分の不注意でレヴィナを傷つけたのは事実なのだから。
ザックが口を開こうとしたが、それよりも先にレヴィナが話しかける。
「失恋したのは本当よ。だから私母さまに八つ当たりしたの。
母さま、酷いことを言ってごめんなさい。私ずっと母さまが羨ましかったの。強くて美しくて、愛する人と幸せになって。
だからあれはただの八つ当たり、同じ女性として嫉妬したのよ。本当にごめんなさい」
「そんなっ、あたしこそ何もわかってあげられなくて・・・」
「それから」
ヴィラが言い終わる前にレヴィナはさっさと言葉を付け加える。
「片想いとか失恋云々は置いといて、ザックに意地悪なことしたら私もうドローシャに里帰りはしないから」
さらっと吐かれた台詞にレオナードとヴィラは真っ青になった。
下手したらレヴィナにもう2度と会えなくなってしまう。それだけは、なんとしてもそれだけは阻止しなくては。
とにかく本人たちが決めたことで、政治的にもなんの問題もないのだから、特に反対する理由は見当たらない。
しかも可愛いレヴィナの頼みを断るなんて最初から選択肢にない。
問題ないよな、そうだな、とヴィラとレオナードはレヴィナの機嫌をとるかのようにザックを睨むのを止めて頷き合う。
「よかったな、ちゃんと恋愛して、実ったんだな」
おめでとうと言うヴィラに、レヴィナは可憐ににっこりと笑んだ。
「ありがとう、母さま」
彼女の醸し出す柔らかな空気は、この騒動が終わったことを示唆する。
無事に纏まることができ、この場に居る全員がほっと胸を撫で下ろした。
ザックは血の上りきった頭をやっと上げて、レオナードの目をしっかりと見据える。
「命に代えてもレヴィナ様をお守り致します」
「ああ、娘を頼んだ」
よかったよかったと、大団円で終わりそうだったのだが。
はっ!と勢いよく顔を上げたリズは最悪なことに気づいてしまった。
「あれ!?レヴィナ様がオーティスへ嫁がれたら私はどうすれば!?
もしかして・・・クビ!!?」
その悲鳴のような叫びに誰もフォローする人は現れなかった。
確かにレヴィナがドローシャを去れば、リズの仕事が無くなってしまうのは事実だったから。
「そんなあああああああああ!!!」
甲高い絶叫は、城中に聞こえるぼど響き渡った。