5話・オーティス留学
馬車の窓から見える景色の中に城があることに気がづいて、レヴィナは重いため息を吐いた。
ここがオーティス城、当たり前だがドローシャのものよりもずいぶん質素な造り。人の気配も少なく静かで、いつもガヤガヤと活気のある祖国とは大違いだ。
「へえ!オーティス城って結構大きいんですね。小さい国だからもっと小ぢんまりとしたものかと思ってました」
そう言って目を輝かせながら身を乗り出すのは騎士のミネア。彼女は新しく配属されたばかりで、レオナードの推薦だけあって腕は確かだが若干うるさい。
「はあ、なんでこんなところに・・・・」
ぽつりとレヴィナが漏らした恨み言にミネアは心外だと眉を上げた。
「いいところじゃないですか、オーティス。鉱石が有名だし、平和でのどかで、とても良い国ですよ」
「・・・田舎じゃないの」
ミネアは苦笑するしかない。そりゃあドローシャに比べればどこもかしこも田舎だろう。中心の国よりも栄えている場所など世界中探してもないのだから。
レヴィナは馬車に揺られながら大きくため息を吐いた。
そもそもオーティスへの留学を無理やり決めたのは、母親でありドローシャ王妃であるエルヴィーラだ。彼女は教会で修行に励むかオーティスへ留学するかの二択を出し、教会の質素な料理に耐えられる自信がなかったレヴィナは留学を選ぶしかなかった。
「・・・帰りたい」
「仕方ないですよー。レヴィナ様が部屋から出てこないのが悪いんじゃないですか。
いい機会ですよ、引きこもり脱却!」
「・・・・」
無言のままレヴィナは再びため息を吐く。
レヴィナが半ば引きこもり状態でいるのは、そもそも原因は両親達にある。
ドローシャの姫として生まれ可愛がられて育った彼女は、王族として欲しいものはなんでも手に入る贅沢な生活を送っていた。絵に描いたような恵まれた環境に居たのだが、それがレヴィナにとっては不幸にしか過ぎなかった。
見た目も才能も何一つ隙のない完璧な父、誰もを魅了する美しさと圧倒的な力を持つ魔女である母、そして父親そっくりの容姿と社交性に優れた兄。
そしてレヴィナは、―――――あまりにも平凡であった。
小さい頃は自分も完璧であると信じて疑わなかったが、初めて出席した夜会でのこと。レヴィナを見た人々の顔にある『落胆』の色に、レヴィナは初めて自分の存在が期待外れであることに気がついた。
容姿は父親寄りだと言われることもあるし、母親似だと言われることもある。とどのつまり、どっちと断言できない普通の造作だ。
何かに突出した才能もなく、むしろ並みの人よりどんくさくて要領が悪い。
あまりにも完璧な両親と兄に、周囲は勝手にレヴィナに期待を抱く。そして実物を見て、勝手にガッカリする。
なにも悪いことはしていないのに、人に会うたび身の縮むような思いをしなければならない。レヴィナはそのうち人の目を避けるようになり、ほとんど自室から出ることのない生活を送っていた。
ところがしびれを切らした母親に無理やり突きつけられた今回の留学。おまけにうるさい騎士付きだ。
「レヴィナ様、着きましたよ」
馬車が停まり扉が開けられても降りる様子のないレヴィナに、ミネアが小声でせっつく。
ちらりと見えた仰々しいほど深くお辞儀をして待っている城の人々に、レヴィナはこれから始まる留学が面倒ではないものだと願うしかなかった。
「初めまして、レヴィナ王女」
通された部屋でぼーっとしていたら黒髪の男性がやって来た。彼が一礼をして顔を上げると、灰色の瞳が珍しい端正な顔立ちが現れる。
「私がヒューバート陛下よりレヴィナ王女の指導係を賜りました。宰相を勤めております、ザック・ローノイドと申します」
男、か。
レヴィナは心の中で毒づいた。
レヴィナは男性が苦手だ。男は思っていることがそのまま顔に出る人が多い。隠し事が下手なのだろう。
女性の方が幾分本音を腹の内にしまっているので付き合いが楽だった。例え裏でどんな陰口を囁かれようが、面と向かって失礼な態度をとられるよりマシというもの。
しかも自分を指導するらしい男性は“あちら側”の人。レヴィナの劣等感を一ミリも理解してくれなさそうな、顔も頭も良い恵まれた才能を持つ人種だ。両親や兄、そしてその周りにいる人々と同じように。
「どうせならモモ姉さんが良かったのに」
モモならばドローシャで何度も会ったことがある。頼りがいはないが裏表がなく、レヴィナと似通っている部分もあり勝手に親近感を抱いている。
「モモ様には無理よお。あの人は気が優しいから指導には向いてないもの」
・・・やっぱり男じゃなかった。
突然起こった異変に理解が追いつかないレヴィナは固まった。
ザックはそんな彼女の反応にも慣れた様子でにっこりと笑う。
「気にしないでね、これでも男だから」
第一印象は、変な人。
愛想が良く柔らかい笑顔と、奇妙とも言える独特の色気は、年上の余裕から来るものだろうか。
「あなた、本当に宰相なの?」
「ええ、そうよ。よろしくね」
「・・・言っておくけど、私政治なんて向いてないから。
勉強なんて嫌いだし、人前も嫌なの。ちなみに生き物全般苦手。特に虫」
「あら、留学中に勉強する必要なんてないわよ。森の中草掻き分けて生活するわけじゃないんだから、虫も心配しなくて平気よ。
せっかくオーティスに来たんだから、オーティスでしかできないことをしましょう」
にこにこ顔のまま言うザック。
引きこもりのややこしいドローシャの王女を前にしても、指導係となった彼は決して嫌そうな素振りを見せなかった。隙がない、さすがは一国の宰相だ。
しかしこのような手厚い対応、優しく隙のない笑顔。レヴィナは今までに何度も経験したことがある。
「ふーん、まさか留学先でまで“接待”受けるなんてね」
「接待なんてうちには必要ないのよ。モモ様がいるからね。ドローシャ王妃との深い友人関係でオーティスはかつてないほどの良い待遇を受けてるのよ。
なのにいつかはどこかに嫁ぐ若い王女に、取り入る必要がある?」
レヴィナは頬杖をついてふてぶてしく言う。
「たとえ小娘と言えどドローシャの王女。仮に政治権限を一切持ってなくても、無能で使えない人だとしても、私だったら良い印象を持ってもらうに越したことはないと思うけど」
「貴女やっぱり政治向いてるじゃない」
これ以上ないほどに顔をパッと輝かせて満面の笑みを浮かべるザック。
やっぱり変な人、とレヴィナは先ほどと同じ感想を持ったのだった。
ザックの言うとおり、レヴィナに勉強らしい勉強を課されることはなかった。地理や文化についての教材と向き合わされるかと思っていたので、これは嬉しい誤算だった。
実際にやっていることと言えば、宝物庫でオーティスの国宝を見て回ったり、城下の工房で指輪を作ったり。そんな勉強とはかけ離れたようなことばかりだ。
オーティス王のヒューバートはいい意味であまり干渉してこないし、ここにはモモも居る。その上にいきなり窓から侵入するような兄もいなければ、両親を崇拝している人々もいない。
レヴィナにとってオーティス城はドローシャよりもずっと過ごしやすい所だった。
それでもレヴィナには、どうしても越えられない壁があった。
「またこんな所に隠れてたの?」
滅多に使われていない暗い倉庫の隅に、膝を抱えて座り込んでいたレヴィナ。やっと彼女を見つけたザックは苦笑して目線が同じ高さになるまで身を屈める。
「またサボったんですって?ミネアが血眼になって探し回ってたわよ?」
今夜は大事な夜会があった。ヒューバートの生誕を祝う、三本の指に入るほど大事なオーティスの行事だ。しかし国中が賑わうような大事な日に、留学しているはずのドローシャの王女の姿はなかった。
国に滞在していながら国を挙げる夜会に出席しない、それは不敬にあたる。いくらドローシャの王女と言えどやっていいことと悪いことがある。
目上のため表立って注意されることはなくても、オーティスのプライドを傷つけたのは間違いないだろう。
そして大事な夜会を欠席したのは、今回だけではなかった。
その度に暗いところに隠れているレヴィナを見つけるのは、何故か決まってザックだった。
「だって誰にも会いたくない・・・」
ドローシャの王族である以上、どうやっても目立つ。誰にも姿を見られたくないレヴィナにとって夜会は最悪の場でしかない。
「そんなに夜会が嫌いなの?」
ザックはあくまで優しい口調で訊ねてくる。
「嫌い」
「具体的にどこが?」
「明るいのが嫌い。夜なのにやたらギラギラしてうるさいところ。一番嫌なのは人に会うのが嫌い。誰かと会った時に、値踏みしてくるような視線が嫌。
ザックは、鏡を見て絶望したことってある?私が母さまたちの隣に立つとき、どれだけ惨めな思いをするのかわかる?」
ドローシャ王は神に選ばれて王になる。魔女は神の御子だと言われている。そんな両親の子どもは皆、神の恩恵を受けて産まれてくるはずだった。
だから兄のランスは父に似て美しく、王子として問題児ではあっても、やはり並の人とは訳が違った。特に卓越した商才は右に出る者はいない。彼のお陰でドローシャの物流がどれだけ豊かになったことか。
しかし妹のレヴィナは見た目も才能も凡庸。
だから諸国の要人たちは陰でレヴィナのことをこう呼ぶことがある。
“神から見捨てられた姫”だと。
「あのねえ、そりゃあ毒女に比べたら誰でも同じようなもんよ」
「毒女?それって母さまのこと?」
「あの美しさは毒でしょ。人間味がなくて逆に禍々しいわ」
「なにそれ、面白い」
ふふ、と小さく声を出して笑うレヴィナ。母親に対してそんな言い方をする人は初めてだ。
「ほら」
「え?なに?」
ビシッとレヴィナの顔を指差すザックに、レヴィナはきょとんとして彼の指を見つめる。
「貴女は可愛いのよ。でもドレスが似合ってない」
可愛いと言われたことは単純に嬉しかったが、それ以上にドレスが似合わないという言葉はショックだった。
固まってしまったレヴィナに、ザックは違う違うと手を横に振って否定する。
「そのドレスが似合ってないっていう意味よ。それ誰が作ったの?オーダーメイド?」
レヴィナが来ているのはフリルが豪華な真紅の艶のあるドレス。夜会に出席するために、侍女たちが強制的にドレスアップさせたものだ。
「これはレクサスさんが・・・・」
「ああ、あの人腕は確かなんだけど派手好きだから。
レヴィナはゴテゴテしたものよりシンプルな方が似合うわよ。あと色も良くない。薄くて柔らかい色の方が似合うと思うわ。衣装と化粧が浮いてるのよね、全然しっくりこない」
面と向かって人から否定されることのないレヴィナにはズドンとのし掛かってくる重い言葉だ。しかし女口調だからか、妙な説得力がある。
「誰かにジロジロ見られようが、鼻で笑われようが、ただ偉そうにしていればいいのよ。中心の国の王族以上に偉い人なんて、世界中のどこ探してもいないんだから。
外交だって適当でいいの。契約は役人たちがお膳立てするものをそのまま持っていけばいいし、交渉だって20そこそこの小娘にやらせる方がどうかしてるのよ」
なにもかも痛烈だった。耐性のないレヴィナには若干きついが、それ以上に新鮮で、なによりもザックの本音が信用できた。
ただ偉そうにしていればいい、だなんて誰にも言われたことなかったのに。やっぱりザックは変な人だと、レヴィナはクスリと笑う。
「面白い」
「あら、あたしは事実を言ってるだけよ。
レヴィナはやりたいこともわからないまま、ただ周りに言われるままに“ドローシャの王女”を背負って生きてきただけ。
だけどそういうものは適当に流す術を覚えないと辛いわよ。人生これからの方がずっとずっと長いんだからね」
へらっと笑いながらも真面目に言うザックに、レヴィナは小さく頷いた。
これからの人生の方がずっとずっと長い。彼の言うとおり、このまま逃げ続けるような生活をするわけにはいかない。
それはレヴィナとて、重々わかっていたことだった。