第五話 刺客と仕立て屋
小雨がしとしとと降る昼下がり。
レオナードがヴィラの部屋に入ると、彼女は机にうつ伏せになっており、ルードリーフは疲れた表情で本を整理していた。確かまだ講義中の時間のはず。
「あ、陛下・・・」
レオナードに気づいたルードリーフが顔を上げた。
「ずっとこの状態なのか・・・」
「はい・・・寝ている相手に講義をしたのは生まれてこのかた約8千年、初めての経験でございました」
ルードリーフに情けない顔をさせている当の本人は、長い黒髪を散らし白く細い腕を投げ出したままぴくりとも動かない。レオナードは彼女の細い肩を持って軽く揺すったが、それでも起きる気配はなかった。
「エルヴィーラ様は起きませんよ。叩いても大声を出しても無駄でした。講義が終わる時間になると目を覚ますんです」
器用な奴だとレオナードはため息を吐く。時計を見ると講義が終わる時刻まで後わずか。レオナードは起きるまで待つことに決め、傍のイスに腰を下ろした。
初めて見る寝顔からは普段の活発な性格や荒い口調を思わせない、可憐よりも妖艶や清廉といった言葉の似合う研ぎ澄まされた美しさを持っていた。大人しくしていればいい方ですのに、がルードリーフの口癖になっているほどだ。
「苦労をかけるな」
「いえ、貴方様の為ですから」
珍しい労わりの言葉に、ルードリーフはクスリと笑いを洩らした。
「ん・・・んー?レオナードがなんでいるの・・・」
むくりと起き上がったヴィラは目を擦りながら首を傾げる。
「話がある」
「離婚してくれるの?」
「逆だ。一週間後に結婚式を挙げる」
「えー、来週は東の庭園でお茶会開く予定だったのにっ」
レオナードの予想通り文句の言葉が返ってきた。小さく息を吐くと嫌そうにぐちぐちと小言を漏らすヴィラを睨む。
「中止しろ」
「言っとくけどあたし何もしねえよ?」
「面倒事を起こすくらいならむしろ何もするな。座ってるだけでいい」
「ドレスは?」
「明日仕立て屋を連れてくる」
ふーん、と適当に返事を返し、彼女は目の前で無造作に開かれていた本を閉じた。嫌そうではあるが特に反抗がなくてホッとしたのはレオナードもルードリーフも同じ。
「エルヴィーラ様は着飾り、大人しく座っていらっしゃれば十分でございます。決して口を開くことのないようお気を付けくださいませ」
「しゃべるなってこと?」
「はい。礼儀作法もなにもご存じない・・・学ばれる気がないエルヴィーラ様は口を開けばボロが出ます。それでは王妃の威厳も損なわれましょう」
さりげなく酷い言われように、ヴィラの眉間の皺が増えた。反対にレオナードの眉間からは皺が減った。
「でもなんでわざわざ式とか挙げるわけ?」
「書類上結婚したことにはなっているが、社会が認知しなければ夫婦だとは認められない。国王である以上、婚姻を民に知らせるのは義務でもある」
「なんか・・・面倒くせぇ」
「・・・逃げるなよ」
レオナードの冷たい声にヴィラの細い肩がビクリと震えた。どうやらまた脱走しようかと考えていたらしい。
レオナードは威嚇するような恐ろしい一睨みをすると静かに部屋を出て行く。ヴィラもルードリーフの小言を聞き流しながら、城内を探検するため足早に部屋を出て行った。
ザシュッと何かを割くような音に目を覚ますと、足元には月明かりに照らされたレオナードが立っていた。ベットの周りが血の海になっていて、レオナードの手にある剣が鈍く光る。
寝ている間に襲われたんだと気づいた。
「怪我は、・・・ない?」
「ああ」
返り血は浴びていないようだったけど、ただそれだけの返事にどっと安心した。倒れているヤツらは黒に金の刺繍がある服を着ており、完全に死んでいるのかピクリとも動かない。
前にレオナードが言っていた通りだ。寝ている間が一番危険。現にあたしはこいつらが部屋に入って来たことさえ気づかなかった。その点レオナードは隣室の異変に気づいて、剣でこいつらを始末した。あたし・・・ちょっとカッコ悪い。
「血に酔ったか?」
視界に広がる赤黒い血、鉄の錆びたような匂いと、死人の放つ禍々しい気。
「・・・・かも」
人が死んでいるのを見たのは初めてじゃない。ただ初めて自分の手で人を殺した時のことを思い出してしまった。
初めて人を殺したのは、こちらの世界に来て盗賊の集団に襲われたときだ。たくさん殺した。けど自分の身を守るためだから後悔はまったくしなかった。
そう、自分の身を守るため。
「兵に片付けさせる。休んでろ」
言い方は乱暴だけど、気を使ってくれているのか声が今までにないほど優しい。レオナードが部屋を出て行くのを見守りベットに身体を沈めたけれど、こんなところで眠れるはずがなく、あたしは再び身体を起こして血を踏まないように避けながらベットを離れた。
部屋に戻るとそこにヴィラの姿はなかった。レオナードは焦って隣の部屋に駆け込むと、自分のベットですやすやと眠っている彼女の姿にため息を吐く。
目の前で人が死んでいれば普通の女性なら悲鳴を上げて取り乱すところだが、ヴィラは半身を起したまま無表情で死体を見つめていた。彼女はタフ、悪く言えば図太い。
「少しは女らしく警戒したらどうだ?」
レオナードはひとりごちてヴィラと同じベットに入った。広いため2人の間には人ひとり分の隙間が空いている。
「んっ・・・・ん・・・・?」
ヴィラは目を覚ましたのかごそごそと身を捩り、薄目を開けて隣にいるレオナードの姿を確認すると眠たそうで弱弱しい声を出した。
「・・・あいつらは?」
「今兵士たちが始末している」
「あいつらにも・・・家族・・・いたんだよねぇ・・・」
レオナードは答えなかった。死が一番辛いのは本人ではなく残された人たちだろう。どんな悪党にも家族はいる。死ねば泣く人がいる。
「・・・あたしが前に居た世界は、温過ぎて、ただ人を殺すことが悪だって信じてた。
・・・けど、正義の反対って・・・悪じゃなくて正義だ・・・」
さきほど襲ってきた異教徒も、彼らにとって魔女を殺すことは正義で魔女が悪なのだ。この世に絶対の正義などない。
「何も考えなくていい」
レオナードは静かに言う。
「お前は何も気にしなくていいから」
「・・・・うん」
ヴィラは小さく頷いて、再び眠りについた。
銀色の髪にちょび髭を生やした男性がパンパンッと手を叩いた。この人は結婚式のドレスを作ってくれる仕立て屋のレクサスさん。テンション高ぇ。
「さあー、サイズを測らせていただきますぞー。脱いでくだされっ」
「はいはい」
黒のワンピースを脱ぎ下着姿になるとレクサスさんの目が輝く。・・・・変態?
「なぁんて素晴らしいお身体でしょう!さあさあ測りますよ、じっとしててくださいね」
レクサスさんはメジャーのようなものを身体に巻きつけてメモを取っていった。作業が早く、あっという間に寸法が終わる。
「デザインはいかがいたしましょうか?結婚式ですからとにかくボリュームがあって遠目で見てもわかりやすいようにしたほうがいいでしょうねっ。色はどういたしましょう」
「好きに決めていいの?」
「もちろんでございます。王妃様の好きにさせるようにと陛下からお言葉を承っておりますので」
「じゃあ・・・・濃い色で・・」
結婚式のウエディングドレスは白が定番だけど、あたしはあんまり薄い色が似合わない。好きにさせてくれるんだったら濃い緑か濃い赤、それか黒や紫の方がいい。
「でしたらいっそのこと真っ黒にいたしましょう!王妃様の黒髪と黒い瞳と相なってきっとお似合いです!白い肌が目立って素敵ですよっ!黒は魔女の色でもありますしっ」
「できれば顔を隠したいんだけど」
「ベールを作りましょうっ!黒のレースをふんだんに使って・・・・そしたら本体のデザインは・・・・」
レクサスさんはスラスラとペンを走らせ、真っ白な紙にドレスの形を描いた。胸と腹の部分は絞って身体の線が出る形状に、腰から下はボリュームがあるデザインだ。
「首周りはいらない。下はレースを重ねるんじゃなくて、繋げる感じで厚めの生地を詰めて模様を出して。ウエストは横に細かい線を入れて徐々に広がる感じで・・・そうそう。ベールは胸元辺りまで・・・布多めで薄いレースを使って。下の布と同じものでコサージュを作って頭に」
「なるほどっ!王妃様はセンスが良くていらっしゃいますねっ。これならばベールとの相性がよろしい。装飾品はいかがいたしましょう?」
「胸元が空く分、大ぶりの赤い宝石がついたネックレスをひとつだけ。形は王家の紋章に似せたもので」
「承知いたしました・・うふふっ、完成がたのしみです!きっと誰もが王妃様に釘付けでしょう!」
レクサスさんの喜びように苦笑を洩らした。あんなに複雑なデザイン、一週間で縫い終わるんだろうか?