2話・可哀想なお姫様
ローゼリアは日課の生花をしようと一階の部屋に篭っていた。ここは城から少し離れているところにある北の別邸で、貴族の間では療養離宮と呼ばれることもある場所。
使用人も少なく彼女を訪ねてくる親戚や友人もいないため、あまりの人気のなさと静かさに寂しいと思う人もいるだろう。しかしローゼリア自身はここを大変気に入っており、趣味の生花に読書にと暮らしを十分満喫している。
春先の昼間、日差しがあるうちは暖かいがなくなった途端に身震いを起こすほど気温が下がる。最後の一本を花瓶に挿したローゼリアは薄着で来たことを後悔しつつ、横目で新しい薪がくべてあるだけの火のついていない暖炉を見た。
自室まで戻るのは面倒だし周りには誰もいない。まあいいか、と彼女は暖炉に近づきパンパンと軽く手を叩いた。
ぽっと灯る僅かな火種も薪に移ればあっという間に燃え広がる。しょうもない、むしろ無くてよかったとさえ思える魔術でも役に立つときがある。こんな風に寒い時とか。
凍え始めた手を擦り合わせて、はあ、と息を吹きかけた。少し温まったら部屋に戻って花瓶を飾ろう。そう思って後ろを振り返ってみれば・・・・。
「お久しぶりー」
「ぎゃっ!!」
当然のように笑顔で片手を挙げて挨拶するランス王子の姿が。彼は本当に容姿が父親のレオナードにそっくりで心臓に悪い。ただし一瞬でも彼を国王と間違えなかったのは、単純にレオナードがこんなに朗らかな表情で挨拶などしないからだ。
その上、“窓”から部屋に入ってきたりもしない。たとえ天地がひっくり返っても。
乙女らしからぬ叫び声を上げたローゼリアはどうにか取り繕おうと急いで口を開いた。
「まあ殿下、またそんなところからいらして。女性の住まいなのですからちゃんと玄関口からいらしてくださいな。それにそんなにドロドロで、どこの沼地を転がって来たんです?」
放浪癖の、放蕩王子。そんな不名誉なあだ名さえある彼はなぜか数年に一度ふらっとここを訪れることがある。今では実の夫である国王よりも彼と顔を合わせた回数のほうが多いのではないだろうか。
王子として当然女性からの熱い視線を送られる立場なのに未だに未婚なのは彼の特殊な性格ゆえか。たまに彼の肩の上で四肢を投げ出している白猫を見かけるが今日はいなかった。
「いやあ、すごいなあ。今のやつもう一回やってよ」
「えっ」
「今の!火をつけるやつ!」
うそっ、まさか見られた!?
頬をピンク色に染めていた顔から一気に血の気が引いていった。せっかく温まりかけていた手足の指先も凍りつく。
よりにもよって顔の広いこの男に・・・。きっと朝には『第二王妃はカッスカスの魔術が使える魔女なりそこない』という酷い噂が広まっていることだろう。
終わった。人生が終わった。
「・・・なにかの、見間違いではございませんの?」
「便利だよなあ。俺も魔術が使えたらよかったのに」
人の話聞かないし。
ローゼリアは焦りと後悔でイラっとしながらも、なんとかこのことは秘密にしてもらわねばとランスに懇願した。彼の前で膝を折り、両手を胸の前で組んでランスを見上げる。
「お願い!どうかこのことは誰にも言わないで!なんでもするから!」
「なんでも?」
前の件は無視したくせになぜかその部分だけを繰り返して考え込むランス。顎に手をかけてしばらくの間考え込むと、はた、と何か思いついたようないい笑顔に戻った。
「今度一緒に登山しよう!」
「・・・は?」
可愛らしいピンク色の紅が引かれた口からいつもより2トーンは低い声が漏れる。
女性を登山に誘うって何を考えているんだこの馬鹿王子。ローゼリアは表情を歪めてすごく嫌そうな顔をした。
「山に登ってなんになるわけ?」
「山はいいよー、水も空気も綺麗だし自由でさ」
「・・・・」
「じゃあ明日ね!陽が昇ったら迎えに来るから」
返す言葉が見つからない間に言いたいことを言い残してランスは去っていった。
なんなんだ一体。呆気に取られながらも引くに引けない約束をしてしまったローゼリアは、長いため息を吐きながら、いつもはピンと張り詰めている背筋を丸くして項垂れるしかなかった。
先ほどまで狭い馬車に揺られていた身体をうんと伸ばすランスとローゼリア。日差しが少し強いが晴れて良かった。
「じゃあこっちに行ってみようか」
適当に思いついた方角を指差して嬉しそうに言うランス。彼の肩には今日はしっかりと白猫がぶら下がっていた。傍から見ればくつろいでいるようにも見えるし、ぐったりしているようにも見える。
「ねえ、その子まで連れて来て大丈夫なの?よく貴方と一緒にいるけど・・・」
今日は男性用の服を着てボリュームのある巻き毛をしっかりと後ろで一括りにしているローゼリアは、歩きながら猫の顔を覗き込んだ。目はしっかりと閉じられている――――寝ているようだ。
しかし猫を登山に連れ回して大丈夫なのか不安だ。山中で迷子になれば帰るのが大変なのは人も獣も同じ。
「大丈夫、ミーはふらっと消えたかと思えばいつの間にか戻ってくるんだよなあ」
確か白猫の名前はミカンだと以前ランスから聞いた記憶がある。
「ふーん、それって懐かれてるの?」
「もちろん。機嫌悪いと引っかかれるけど」
「・・・それって懐かれてるの?」
ミーは自分のことを話されているにも関わらず呑気にグゥグゥいびきをかきはじめる。ペットは主人に似るというが随分マイペースな猫だ。ふらっとどこかへ行ってしまうというのも主人にそっくり。
ぼこぼこの田舎道を適当に進めば道幅がだんだんと狭まり、木の生い茂った山の中へと入っていった。随分と前から人の姿はなく、ただ木の葉の揺れる音と鳥の鳴き声が響いている。
「で、結局どこまで行きたいのよ」
「山頂まで登るぜっ」
「・・・・アホじゃないの」
山に行きたきゃ勝手に一人で行けばいいのになぜ巻き込まれなきゃいけないんだ。
低い声で呆れたように言うと、ランスは目を見開いて隣を歩くローゼリアの顔をじーっと見つめた。
「なっ、なによ」
ローゼリアは焦った様子で視線を逸らすと、不満げにその美麗な顔を歪めるランス。
「やっぱりリアって俺と目合わせないようにしてるだろ。父さんと顔が似てるのがそんなに嫌?」
ランスの言うとおりやはりレオナードにそっくりだということはローゼリアにとって複雑すぎた。もちろんよく見れば国王と異なることはわかっている。茶髪はほとんど同じ色だが青い目はレオナードのものよりも少し薄めで、レオナードのような目を背けたくなるほど圧倒的なオーラはない。ないのだけれど・・・。
「・・・ごめんなさい」
ランスが悪いわけではないのに失礼なことをしてしまっていると、ローゼリアは俯いて申し訳なさそうに謝罪する。
「いいよ、リア放ったらかしにしている父さんが悪い」
恨みの矛先はここにはいないレオナードに向けられた。
「別に陛下が悪いわけではないのよ」
「どうだか」
ローゼリアはレオナードを庇うが放置もいいところ、王城の中で彼女はまるで空気扱いだ。『可哀想なローゼリア姫』。そんなことを言いだしたのはどこの誰だったか。
大きくも優しいエメラルドグリーンの瞳、小ぶりで形のよい鼻、どこにいても目を引くほど豪華な金の巻き髪。人に柔らかく華やかな印象を持たせる彼女を、城の隅で咲く花にするのは勿体無い。
「リアはこのままでいいのか?」
ランスの言葉にローゼリアは肩を竦めて息を吐く。彼女が誰かに女性として愛される日は永遠に来ない。家族として大切にされることも、必要とされることも。
「そうね。もう屋根があるだけで有難いわよ」
「ん?屋根?」
ランスは片眉を上げて眉間に皺を寄せた。