番外編・妊婦の逃走
リクエスト番外編
あたしは今臨月を迎えている。――――にも関わらず、全力疾走している。
「ヴィラ様ああああああ!!お願いですから戻ってくださいいいいいい!!走らないでええええええ!!」
血走った赤い目と必死の形相で追いかけてくるのは、普段とても大人しい性格のシルヴィオ。お前キャラ変わってるぞと言いたいところだけど、こっちも必死なので口は閉じて走るのに専念する。
妊婦だから心配なのはわかるけれど、これだからあたしは逃げ出したんだ。
もともとこの子を身ごもってからみんなの心配性は遺憾なく発揮された。仕事はさせてもらえず、箸より重たいものは持たせてもらえない。魔術を使うのも禁止。ランスの時もそうだったけど、さすがに二度目なんだから大目に見てくれると思ってたのに・・・。
当然ストレス溜まりまくりのところに、臨月に入ってからはできるだけ動くな、起きるな、と部屋から出してもらえなくなってしまった。
軽く軟禁状態。ありえねえ。
そして堪忍袋の緒が切れたあたしは、何の前触れもなく突然走り出したのだった。魔術は一応身体に負担がかかるから使わない。臨月の妊婦に運動って大切なんだぞー、なんて心の中で言い訳しながら、腹の中で激しく揺さぶられているだろう赤ちゃんに謝る。こんなお母さんでごめんなさい。
「ヴィラさまあああああああ!!」
「魔女さあああああああん!!」
あれ?なんか増えてる。
「戻ってくれえええ!!じゃないと俺たちレオナードに殺される!!」
レオナードの名前を聞いて、身体が小さく身震いした。うん、確かにアルフレットの言う通り後が怖えわ。
でもあたしの足は止まらない。今までの鬱憤が溜まった身体は勝手に動いてしまうんだ。
城壁までたどり着いたところで行き止まってしまい、あたしは慌てて後ろを振り向く。
「ヴィラさまあああああああ!!」
「魔女さああああああああん!!」
「エルヴィーラさまあああああ!!待ちなさあああああああああい!!」
また増えてるし!
「動くな!!」
急に走っていたシルヴィオ・アルフレット・ルードリーフの3人の足が止まった。これじゃまるで刑事ドラマで犯人が人質をとってるシーンみたいじゃん。
まあ、実際あたしは人質をとっているに等しい。お腹の中だけどね。
「動いたら殺す!!」
つい調子に乗って定番の台詞を吐いてしまった。当然ながら我が子を傷つける気も自傷する気も全くない。ノリだ、ノリ。
しかし彼らは真に受けたらしく、みるみるうちに青い顔をさらに青くする。
「うわああああああああ!!それだけはあああああああ!!」
「っ・・・・っ・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
地面に膝を着いて頭を抱えるアルフレット。あまりのショックに泣き出すシルヴィオ。絶句して無表情のまま固まってしまったルードリーフ。・・・・なんかごめん。特にシルヴィオ。
冗談なのに引くに引けなくなったあたしは、3人が固まっている間に別の方向へ走り出した。もちろんアルフレットたちは出遅れて、ああっ、と後ろから情けない声が聞こえてくる。
これだけ男たちを振り回しながらも、解放された喜びに浸る身体はどこまでも駆けた。日差しが暖かく、土の匂いに癒され、優しく吹く風に感動を覚える。こんなに心が安らかなのはいつぶりだろう。
城壁沿いに走っていると門が見えて来た。やった!と思ったのも束の間、今一番会いたくなかった奴が現れてあたしは足を止める。
「ヴィラ・・・」
「レオナード・・・」
切なそうに顰められた眉に罪悪感を覚えた。そう、今からあたしはこの世で最も愛している人の子供を産む。
2度目だけど本当は不安でいっぱいで、今すぐにでもレオナードの腕の中で甘えてしまいたい。
彼の顔を見た途端、条件反射だろうか、足が勝手にレオナードの方へ一歩踏み出した。
おいで、と優しく腕を広げるレオナード。
しかし!!!
「騙されねえからなああああ!!」
くるりと方向転換して城の方へ駆け出した。レオナードはチッと舌打ちをする。やっぱりね!
「ヴィラさまあああああああ!!」
「魔女さああああああああん!!」
「エルヴィーラさまあああああ!!」
「ヴィラああああああああああ!!」
怖いよ!怖いよ!さすがに男4人に血走った眼で追いかけられたら怖いわっ!
「あっ・・・・」
急に立ち止まったあたしが不思議だったんだろう。彼らも足を止めて小首を傾げる。
「破水した・・・」
量は少ないけど、お漏らししたみたいでちょっと泣きそうだ。4人は一気に飛び上がり、必死な形相から焦りの表情に切り替わった。
「おおおおおおおお落ち着け」
「・・・・レオナードが落ち着け」
破水じゃすぐには産まれない。確かに予定日近かったけど、あたしが走りまくったのが原因なら本当に申し訳ない。
「医者あああああああ!!」
「ヴィラ様!早く部屋に戻りましょうよ!!」
「ほら、行きましょう!!大丈夫ですから!」
「ヴィラ、おいでっ」
おいでおいでと、まるで野良猫を手なずけようとしているかのように、あたしに向かってそっと両手を伸ばすレオナード。
これが潮時かと思ったとき、急に大きな腰痛が来てうずくまる。
走りまくって興奮したあたしは微弱陣痛を感じなかったようだ。もう本格的な陣痛が来ている。やばいやばいやばいやばい!!
「のおおおおおおおお!!!」
「ひぎゃああああああ!!」
「うっ、うううっ・・・!」
「ヴィラ・・・・ヴィラ・・・・っ!!」
痛みでパニックになりそうだったけど、もっとパニクッた人たちが目の前に居たので、急にすーっと焦りが引いて冷静になった。
どこのサーカス団だお前ら、ってくらいにおかしな状態になっている。顔とかポーズとか。
「大丈夫?」
「「「「部屋に!!戻ってえええええ!!!」」」」
・・・・・うん。
大人しくレオナードに抱えられて部屋に戻ってくれば、6時間くらいであっという間に生まれた。あれだけ走ったから、とにかく無事でほっとした。
「ヴィラ、元気な女の子だそうだ」
やったね、ランスも妹欲しがってたし。その肝心のランスはやっぱり放浪の旅に出てていないんだけどもさ。
きっと今頃赤ちゃんは医者たちが身体をきれいにしているんだろう。気を利かせたのかこの部屋には2人きりで、レオナードは汗まみれのあたしの額を濡れた布で拭う。
「ヴィラ、心配した・・・」
本当に切なそうに言われて、あたしの心はいっぱいいっぱいになった。当然のようにレオナードは唇を重ねてきて、何度も舌や唾液が交わる。
さすがに苦しいからと彼の胸を押せば、レオナードは満足そうな顔をしてほほ笑んでいた。胸の奥がつんとして、話題を逸らすためにあたしは口を開く。
「名前は決めた?」
「ああ。レヴィナだ」
レオナードとエルヴィーラから一文字づつ取ったんだろう。その名前はいかにも私たちの子供って感じだ。
レヴィナはどんな風に育つんだろう。ランスのように放浪癖がないと嬉しい。女の子だしな。
「きっとまた城が騒がしくなる」
上等だろってレオナードの手を握りしめたら、また軽く唇が重なって離れた。今度は顔は近いままで、彼のきれいな青い瞳があたしを見つめている。
いろいろ考えたし言いたいことはあったんだけど、結局口から出てきたのは感謝の言葉だった。
「レオナード、ありがとう」
幸せにしてくれて。
勢いよく抱きしめられた身体は少しだけ痛んだけど、そんなことどうでもいいくらいの大きな幸せにあたしたちは浸った。