第四話 ゾロア教
昨夜、部屋を飛び出したあたしは闇雲に走りまわり、自力で自室までたどり着くことができた。
――――あたしどうしちゃったんだろう。
もともとあたしは淡泊な性格だった。ケンカもよくしていたけどそれは日課みたいなもので、個人的に恨んだり挑発したりはしなかった。声を張って怒鳴ることもあんまりなかったんだ。結婚だって、恋愛事に関心がなかったあたしは親に言われたら適当に受けてたかもしれない。
なのに。
結婚してからあたしは何度声を張り上げた?何度嫌だってゴネて、何度逃げようとした?自分で自分がわからない。
ソファに寝転がって唸っていると、廊下の方がやけに騒がしくなった。ドタドタドタと走るこの足音は聞き覚えがある。アルフレットだ。
「魔女さんっ」
ほらやっぱり。アルフレットはいつもの騎士服姿で彼の赤い髪の毛を少々乱していた。息絶え絶えといった様子で、勢いよく部屋に入ってくるとあたしの両肩を掴む。
「よかった無事で!」
「心配してくれたんだ?」
「当たり前ですよ!また奴らに襲われたのかと思ってっ!俺達めちゃくちゃ焦ってたんすよっ」
「奴ら、って?」
この間襲われたときと同じ奴らってこと?
アルフレットはなんと答えればいいかわからないという顔をしていた。うん、お前説明下手そうだもんな。
「異教徒のことですよ」
助け船を出したのはいつの間にか部屋に居たルードリーフ。彼は心底嫌そうな表情で話を続ける。
「以前、エルヴィーラ様を襲った連中の着てた黒地に金の模様のマント、あれは異教徒である証です」
「異教徒って?」
「ゾロア教と言いまして、禁忌の教えですから我々はゾロア教徒のことを異教徒と呼ぶのです。
貴女はご存じないと思いますが、“世界の理”というものがあり、これは世界の中心に神が住まい、中心に近づけば近づくほど恩恵が受けられるというものでございます。例えば、中心に近ければ病にかかりにくく寿命が長く天候が穏やかで、逆に遠ければ疫病が流行りやすく寿命が短く天候が荒れやすいのです。世界の中心は我がドローシャ王国にあり、この国では魔女が生まれ、神が王を決めます。よって世界の人々はこの国を“中心の国”または“魔女の国”と呼ぶそうです。
一般の民たちはこの“世界の理”をもとに世界の中心にいる神を崇拝します。しかし、それをしない輩が集まった集団、それがゾロア教徒です。詳しいことはあまりわかっていませんが、彼らは“世界の理”に疑問を持ち、神がいなくなれば世界は等しく平和になると信じています。また、神官たちが白に銀の模様の服を着ていることから、ゾロア教徒は黒に金の模様の服を着るようになりました」
長ったらしい説明ありがとう。アルフレットはルードリーフの話にまったく興味なかったらしく、話し中に部屋の置物や本を勝手に物色していた。
「えーっとつまり、魔女はある宗教団体に嫌われてるワケね」
「要約しすぎですが、そういうことです」
「この話で行くとレオナードも狙われてるんじゃないの?」
「ゾロア教徒が嫌うのは神です。国王は神ではない、選ばれただけですから」
「じゃあ魔女は?」
「魔女は神の子とされていますから・・・・」
アウトってわけね。
魔女がこんなに面倒な職業だとは思わなかった。最初はちょっと不思議な世界に来てちょっと不思議な体験をする、くらいにしか思っていなかったのに。結婚させられる上、命を狙われるなんて。
「御身が危険に晒される可能性があります。少しでもご理解いただけたなら今後外出を控え」
「ません。それくらい自分でなんとかできるし」
「ですが・・・」
ルードリーフは納得のいっていない様子で渋っていると、アルフレットが会話に入り込んできた。
「んじゃあさ、騎士を持つといいっすよ魔女さん」
「騎士?って兵士とどう違うんだよ、制服も違うみたいだけど」
門番や部屋の前で見張っている奴らは銀の鎧みたいなものを纏っている。一方アルフレットはがっしりした布でできた繊細な刺繍のある服。
「簡潔に説明すると兵士は警備、騎士は護衛。
騎士ってのは特定の人物と契約を交わすんです。ちなみに俺は陛下の騎士だけど、まあ主人が主人だからしょっちゅういろんなところに使いっ走りさせられてて、ずっと一緒にいるわけじゃないっすけどね。普通の騎士はずっと主人についてて危険がないか見張ってるもんです」
「騎士って兵士から選べばいいわけ?っていうか自分で決めていいの?」
「もちろん自分で決めるもんです。兵士でも一般人でも好きな人を選べますよ。まあ魔女さんなら気に入った兵士か、陛下の推薦を受けたヤツを騎士にすればいいっすよ」
レオナードに決めさせるとルードリーフみたいなお固いのが来そうで嫌だ。自分で決めたいけど・・・剣が使える知り合いいないしなぁ。
「城の中自由に動けたらいいんだけど」
そしたらいろんな人と出会う機会もあるだろうに。あたしの願いを聞いてくれたのは意外にもルードリーフだった。
「騎士を選ぶということでしたら、わたくしのほうから陛下に許可をいただいてきてもよろしいですよ」
「その必要はない」
またまた来客、今度はレオナード。後から侍女や兵士がゾロゾロとついてきて、部屋の物を勝手に運び始める。
「ちょっと何勝手にっ・・」
「部屋を移動させる」
「だから勝手に決めんじゃねえよ」
「その変わり、今後城内の移動は自由にする」
「えっ!」
信じられない言葉を聞いて、あたしは自分の耳を疑った。あのレオナードが城内を自由に過ごしていいなんて言うとは。しかも、あたしは昨日脱走に失敗したばかりなのに。
「ただし、条件として指定した部屋へ移動すること。必ず日が暮れる前に部屋に戻ること。脱走しないこと」
最後の一言はいただけないけど、条件としては悪くない。こんな面白味の全くない部屋で閉じこもっているより全然いい。
レオナードは相変わらず厳しい視線であたしを射抜くように見つめ、念を押すように続けた。
「城内は人の出入りが激しく、決して安全な場所ではない。この部屋から出れば当然危険な目に遭う回数も頻度も上がるだろう。その覚悟があり、なおかつ危険を回避できる自信があるならば」
「よゆーよゆー。でもなんで急に許可出したんだ?頭固くて頑固で融通の利かないレオナードが」
「お前はいくら言っても聞かない考えなしの鳥頭のような人間だということがよくわかったからだ」
レオナードは涼しい顔で言ってのけた。
・・・・・・ムカツク!
「陛下も魔女さんも、もうちょっと仲良くしてくださいよー。見てるこっちの胃が痛くなりますって」
知るかあっ!
あたしは大いに怒っている。とーっても怒っている。
イラつくままにフォークで肉をぶっ刺していると、目の前のレオナードが怒ったような呆れたような微妙な顔をしていた。
「食べ物に当たるな。食事中くらい静かにしろ」
「誰の所為だよ誰の」
城内で自由になるための条件、部屋を移動すること。移動は別に構わなかったんだけど、その部屋に大問題があった。
「なーんで、あたしの部屋があんたの部屋の隣なんだよ」
そう、隣。いやー。もうほんとうにすぐ隣。しかも直接部屋同士が繋がっているという扉までついてる。それを聞いてあたしはすぐに魔術でその扉を開かないようにした。
「しかも、悪趣味な扉までついてるし」
「もともと王妃用の部屋だからな」
「引っ越したい・・・」
別に前の部屋でも不都合はなかったはずだ。そりゃレオナードの部屋からちょっと遠かったけどさ。
レオナードは無視して食事を進めるのをやめ、静かにフォークを置いた。
「魔女が一番危険なのは寝ている時だ」
「うっ、確かにそうだけど」
起きていればいくらでも応戦できる。けど、寝ていたら当たり前だけど魔術も使えない。気絶すれば最後、抵抗する手段はないんだ。
でもこの部屋と就寝中の安全は関係ないはず。
「この塔は城内で一番警備が厳しい場所だ。お前が女たちを連れ込まなければ」
「あたしから楽しみを奪う気か」
「侵入者があれば俺が気づく、そうできてる」
「剣使える?」
「当たり前だ」
綺麗な顔してたからぼんぼん育ちで戦うのとか苦手そうだから意外。まあ人じゃない怖いオーラを発してるところは普通じゃないと思ってたけど。
食事を再開したレオナードに身を乗り出して尋ねる。
「ところで歳いくつ?」
「・・・・27」
「アルフレットは?」
「106」
「ルードリーフは?」
「7600程度」
こっちの人は寿命が長いから時間の間隔が狂いそうになる。これほどまで長生きなのは、種族そのものが違うのか、それとも神の影響かどちらかだとあたしは踏んでいる。しかも大人になるスピードは同じなのに、寿命が尽きる何十年か前までは老化しない。そして最後の何十年かで一気に老け、老衰を迎える。つまり見た目が子ども・老人はほとんどいないということだ。街に出たことがないから分らないけど、さぞかし不思議な光景が見られるんだろう。
「お?一緒に食事なんて珍しいっすね」
「アルフレット、珍しいっていうか、初めてなんだけど」
赤毛の彼はにこにこしながらやってきた。ときどき結婚相手がアルフレットだったらよかったのにと思う。赤銅に似た髪色はなかなか綺麗だし、男らしくて人懐っこくて人畜無害そう。レオナードより劣るけど彼も美形だし。・・・・ちょっと王としては問題が多そうだけど、相手としてなら申し分ないはずだ。
「あ、そうそう、俺陛下に報告あって来たんすよ」
「どうした」
こっちはいつも不機嫌で無愛想だし。ああ、人生ってうまくいかないものなんだね。
「この間捕えた異教徒の1人が脱走したようです」
アルフレットの表情に笑みはない。
その瞬間部屋の気温が2度は下がったと思う。レオナードの青い瞳はいつにも増して冷たくなったし、控えている侍女は顔を真っ青にした。
「追跡は」
「全く。逃げた痕跡も手引きした人物も今のところ見つかっていません」
「いいじゃん1人くらい逃げても」
「いいわけあるか。異教徒は捕えて調べ終わり次第、公開処刑になるのが普通だ。魔女は国の貴重な財産、魔女に手をかけるということは国庫に手を出すのと同じ罪になる」
「魔女さん、情けをかけちゃいけません。あいつらは魔女さんの命を狙ってるんすから」
「うん」
2人の言いたいことはなんとなくわかった。世界の理、中心に住まう神、ゾロア教。どうやらここは生易しい世界ではないらしい。
難しい顔で話しこむレオナードとアルフレットに耳を傾けるのを止め、食事を始めようとフォークを手に取った。