第四十一話 最高の贈り物と幸せ
時戻しの術などという俺でも知っている禁忌の術を使ったヴィラは・・・驚くことにピンピンしていた。確かあれは術者の命と引き換えに行う魔術だったと思うのだが、しかしヴィラのことだ、普通の枠に収めること自体が間違いというものだろう。
「ヴィラ?執務は?」
「サボって来た」
ドローシャへ帰って来てから一週間。魔術が目に見えて進歩したヴィラは毎日突然現れたり消えたりする。行儀が悪いとルードリーフに注意されながらも彼女は一行に彼の注意を聞く気はないらしい。
「なあレオナード、今度オーティスに挨拶行きたいんだけど・・・。軍攻めしたりかなり迷惑かけたから」
「もちろん行く」
「ほんと!?」
「ああ」
頷くとヴィラは嬉しそうに背中に飛びついて俺の首に腕を回した。しばらく離れていた反動か、以前よりも甘えたで自分からくっついてくるようになったヴィラ。しかし・・・
「エルヴィーラ様ーーー!!!」
大きな足音を立てて廊下をかけるルードリーフの声を聞きつけると、彼女は慌てて離れて行った。未だに彼女は人前で寄り添うのを嫌うのだ。
「見つけましたよ!また貴女は仕事を抜け出して!」
「えー、終わったじゃん」
「終わってません!!」
怒り狂っているルードリーフの後ろからシルヴィオやアルフレットまでやって来た。がみがみ言われているヴィラが嫌そうに頬を膨らませていたのでルードリーフに注意する。
「ルードリーフ、ヴィラは病みあがりなんだ、休ませてやれ」
「彼女の!どこが!病みあがりだと!?昨日なんて全力疾走で外を駆けまわってましたけど!?」
「それはお前が追いかけまわすからだ。少しは妥協しろ」
言外に諦めろというと、しぶしぶルードリーフは怒りを納めてクスリと笑っているヴィラを睨んだ。
「オーティスに行ってから悪知恵を付けてきたように思います」
「・・・・妥協しろ」
もともと王妃は政務をほとんどしなくていいのだ。ただ彼女の仕事が早いので任せているだけで。
俺は立ち上がってヴィラの腰に腕を回すと額に口付けた。ヴィラが飛びのいて離れようとしたけれどそれは許さない。
「それに夫婦の時間を邪魔するのは野暮というものだろう」
「離れろー!!!」
「まさか陛下がこんなに愛妻家だとは思わなかったっすよ」
アルフレットが茶化すように言うと、ヴィラは恥ずかしそうに俺から離れようともがく。シルヴィオは顔を真っ赤にして視線をそらしていた。
夕方、酷く深刻な顔をしたアルフレットが執務室にやって来た。
「レオナード・・・」
「どうした、何があった」
「魔女さんが・・・」
俺は手に持っていたペンを投げるように置いて部屋を飛び出した。アルフレットの表情からあまりいい予感がしない。俺は飛び込むようにしてヴィラの部屋に入ると、そこには離れたところに控えているシルヴィオとベットに座って俯いているヴィラの姿があった。昼間来ていたドレスではなく、簡単なワンピースに身を包んでいる。
「どうした、何事だ」
「・・・・・・レオナード」
いつもの彼女からは考えられないほどの弱弱しい声。傍によって膝をつき、彼女の手を取って顔を覗く。
「何があったんだ?」
「レオナード、あたし・・・」
弱弱しいを通り越して泣きそうな声だった。そのただ事ではない様子に冷や汗が頬を伝う。アルフレットから聞きつけたのか、彼と一緒にルードリーフも部屋に飛び込んでくる。
「あ・・たし・・・・・に・・・・」
「「「に?」」」
ぼそっと呟いた言葉にヴィラ以外の皆はずっこけた。
―――――妊娠したって。
それはかなり驚くことだが、あんまりにも沈み込んでいたのでもっとなにか不吉なことを予想していたのだが。
「ヴィラ・・・・ヴィラ、嬉しくないのか?」
彼女は少しだけ顔を上げて俺を見た。彼女の頬には涙を伝った跡。・・・泣いていた?
「レオナードとの子供ができたのは嬉しい・・・けど、あたし育てる自信ないよ。虐待されて育った子は親になったら虐待するって言うし・・・・あたしがこの子にあんな酷いことするくらいなら」
産みたくない。おそらくそう言いたかったんだろう、ヴィラは口を閉ざすと俺の右肩に頭を乗せた。
そうだ、彼女は家族に恵まれなかった。その辛さを知っているからこそ、同じことを繰り返すかもしれない恐怖に怯えてるんだろう。
「ヴィラ、大丈夫だ」
「・・・なんでそんなに言いきれるの」
「育てるのはヴィラだけじゃない、俺も城の皆もいるだろう?俺は何があってもヴィラと子を手放さない、けれど何があっても守る」
「でも・・・」
「ヴィラ」
名を呼んで頬に口づけを何度も繰り返した。宥めるように、安心させるように。
「ヴィラ、ではヴィラはその子を堕ろしたいのか?」
「い″、嫌だ」
その一言に俺もアルフレットたちも心底ほっとした。頬に手を当てて顔を上げさせると今度は唇に口づけを落とす。
「大丈夫だ、もしヴィラが間違えたら俺が守る・・・・守るよ」
「・・・うん」
重なった唇は酷く甘く、まるで麻薬のように俺を捕えて離さない。睫毛の長い大きな瞳から、一滴だけ大粒の涙が流れた。
妊娠したってことがわかった途端城のみんなの扱いが気持ち悪いほど異常に丁寧になった。ルードリーフなんて最たる例だ。
そしてレオナードは、場所と時を選ばず色気モード全開になった。誰が居ようとお構いなし。恥ずかしすぎる・・・・!
「ヴィラ、頼むから仕事はしないでくれ」
「でも暇だし、無理しない程度に・・・・」
「ダメだ」
「あー・・・」
資料は全部レオナードに取り上げられてしまった上に、あたしは半強制的にレオナードの膝の上行き。
「過保護すぎる」
「諦めろ」
レオナードの顔が間近に迫ってうっと言葉を詰まらせた。あたしの欲目だろうか、レオナードは日に日に色気を増している気がするのは。整い過ぎている顔がさらに人並み外れてきている気がする。
あたしは彼のきめ細かい頬に指を滑らせた。・・・・うわ、すべすべ。
「ヴィラ」
ヴィラ、と何度も彼のあたしを呼ぶ声が耳を擽る。
「レオナード・・・」
好きだってどうやって伝えればいいんだろう。言葉なんかじゃ表わせないほど大きなこの感情を、どうやったら知ってもらえるんだろう。・・・・難しくてもどかしい。
何度唇を重ねても、何度肌を重ねても、貪欲なほどにレオナードの傍を求めてる。
「・・・誰か来るかも」
「今更だろう」
そう、今更だ。妊娠したことを誰もが知ってる。当然だけど妊娠するようなことをしたのも・・・・もちろんバレてる。あたしとレオナードの不仲説はいつの間にか消えていた。
「じゃあ・・・」
とあたしはさらにレオナードに寄り添って全体重を彼に預け、自分からキスするとぎゅっと少しきつめに抱き締められる。擦り寄るように身体で甘えると、彼はいつも嬉しそうに微笑む。その笑みは・・・世界で一番綺麗な笑み。
レオナードだけは、誰にもとられたくない。もう離ればなれになんてなりたくない。
「・・・もう離れないで」
あんな思いは二度とごめんだと愚痴を言えば、レオナードは眉を寄せてあたしの目を覗いた。レオナードの瞳にあたしが映ってる。
「ヴィラは、俺の傍を望むか?」
「当たり前だろ?」
―――――世界で一番愛してる。
あたしたちはその後、政務をさぼって部屋に消えた。