第四十話 神の導き
焦げた嫌な匂いと血の鉄臭い匂いが辺りを充満していた。栄華を誇った王城は目を背けたくなるほどの惨状と化し、呻き声を発しながら身体をピクリピクリと動かしている兵士や死に絶えた兵士の残骸で溢れかえっている。
王妃軍の国旗を持った兵士たちはその地獄海図の中で隊列を崩さずに王城が焼け終えるのを見守っていた。
しかし、突然不自然に鎮火し始め凍りつくような冷たい風が吹き始める。何事かと崩れかけた塔の中へ進むとそこには息絶えたオーティス王と娘の傍に座り込んでいる女の姿があった。黒く艶やかな長い髪を垂らして俯く彼女の顔は見えない。
女の形のよい唇がゆっくりと開かれる。
「・・・・・なんで」
ピリッと空気を切り裂くような痛みを覚えて兵士たちは地に這いつくばった。美しい四肢を惜しげもなくさらした女の――――ヴィラの顔に表情はない。ヴィラの見つめる先に居るのはただ一人。
「・・・・クロード、なぜ裏切った」
「・・・や、やあ王妃、久しぶりだね」
クロードは座り込んだままヴィラを見て苦笑いを浮かべる。
「お前は・・・お前は王の息子ではなかったのか」
王妃軍の指揮を任されていたクロード・フォーゲル、前国王の息子。王妃軍を動かせるのはヴィラ以外に彼しか考えられなかった。
ヴィラが口を開くたびに空気がビリビリと嫌な音を立てて引き裂かれる。中には血を吐いて息絶える兵士も現れた。
「・・・息子だから何さ。私は許せなかったね、ドローシャの王?神様に選ばれた?・・・そんなのふざけてる。父上だって神様に選ばれる前はただの凡人だったのに、なんら変哲のない一般人だったのに。そんなの変だろう?変じゃないか!」
クロードは薄く笑って足を伸ばした。両手を後ろにやって身体を支える。
「神が私達に与えているのは恩恵なんかじゃない・・・ただの不幸だ。私の母は父の側室に殺され、私の妻は貴族に殺され――――この世は不幸だらけじゃないか」
「・・・・クロード、言いたいことはわかるけど、それは他人の命を奪っていい理由にはならない」
ヴィラは無表情のままクロードに歩み寄って、髪を鷲掴みして乱暴に引き上げた。クロードは痛みに顔を歪める。
「や・・・やっぱり神、は、ロクな物を私には、与えない・・・・。矢が刺さっても死なない魔女など・・・聞いたことがないよ。ただの・・・バケモノじゃないか」
希代の優秀な魔女だと言われたベルデラでさえ軽く火を起こしたり天気を読んだりする程度。毒を飲めば死ぬし、切られれば死ぬ。普通の魔女から考えたらヴィラはあまりにも逸脱すぎた。そうクロードが言うとヴィラは乱暴に足でクロードを踏みつける。
「うっ・・・!」
「あたしは・・・・あたしだ。たとえ魔女じゃなくても王妃でなくても」
次の瞬間、グチャッと嫌な音が響いてクロードは血と肉の塊と化した。もはや人の形を留めていない残骸に、恐怖で慄く兵士たちをヴィラは静かに睨む。
「返して・・・あたしの大切なもの・・・――――――――――返しなさいよ!!!」
空に闇が覆いかぶさった。まるで世界の終焉が訪れたかのような恐怖と共に、世界が暗闇一色に染まっていく。
何もかもが消えて行く。
人も、建物も、森も、海も。
ヒューバートたちが目を覚ますといつも通りの光景がそこにあった。唯一違うのは倒れている官吏や兵士たちが祈りの間一面に広がっていることくらいだろうか。中にはヒューバートのように目を覚まして呆然と辺りを見回している者もいる。
ヒューバートははっと我に返って、隣に寝ている百揺すった。
「モモ・・・!モモ、無事か!?」
「あ・・れ?ヒュー?」
確かあの後兵士が流れ込んできて切られたはずなのに・・・・見下ろした自分の体には傷ひとつない。
「・・・・どうなってるの?」
「わからない」
ヒューバートは百を抱き締めて顔を埋めた。しかし、あ、と百が声を上げて立ち上がる。百が向かう先には倒れているヴィラの姿があった。瞼は閉じられたままだ。
「恵理ちゃん!」
「何故毒女がここに・・・・」
というか、全てがおかしい。死んだはずの自分たちが生きているのも、燃えていたはずの建物が焦げ跡一つないのも。
倒れていた人たちもパラパラと起き始め、ヒューバートと同じように状況が掴めず困惑している。アレフとザックたちが駆け寄って来てとりあえず避難しようということになり、アレフがヴィラを抱きかかえようとしたところで突然後ろから声がした。
「ヴィラに触るな」
振り返るとそこにはこちらを見下ろしているレオナードの姿。凛とした様がこの困惑した状況の中で妙に神々しく見える。
「・・・・・レオナード陛下まで」
レオナードはスタスタとヴィラに近寄るとアレフからヴィラを奪い取って抱きかかえた。おそるおそるヒューバートが訊ねる。
「あの・・・一体何が?」
「オーティスの陛下・・・。わかりません・・・・が、とにかく無事のようですね」
王妃軍の兵士たちも、オーティスの兵士も。
「あ、あの、記憶違いでなければ、ドローシャの国軍が攻めてきたような・・・」
「間違いではないでしょう。おそらく首謀者はそこにいる―――」
一斉にレオナードの視線の先を見ると、そこには目をパチクリさせて呆然としているクロードの姿があった。粉々に砕け散ったはずの身体は、五体満足で見事に元に戻っている。
「お手数でなければ彼を捕えておいていただけますか。今はヴィラの安全が第一ですので」
「あ、は、はい」
それからレオナードはヴィラを連れて颯爽と去っていった。残されたオーティスの一同はただ首をひねるばかりだった。
―――――薄れていく意識の中で、一瞬だけ人の姿がぼんやりと見えた。とても優しそうな面差しの男の人。なんとなくあたしに似てるかもしれない。
彼はあたしを見ると、酷く悲しそうに微笑んでいた。そして空からこの世界を見下ろして、一滴の涙を流して消えて行った。
「ヴィラ・・・・」
目を開けて一番最初に見たのはレオナードだった。身体を起こせば、そこは懐かしいドローシャの私室。泣きじゃくっているシルヴィオとアルフレット、ほっとした様子のルードリーフも居る。
「あれ・・・ここドローシャ?」
声が掠れて上手く言葉が出てこない。差し出された水を一口飲むと、あたしは記憶を失う前のことを必死に思い返していた。
離宮から見た景色は燃えるオーティスの王城。あたしは王城まで飛んで駆けつければ既に誰も生きてなくて・・・・・。百もヒューバートも息がなくって・・・。
「・・・・クロード」
そうだ、彼が。
「ああ、知っている。身体は大丈夫か?痛いところはないな?」
あたしは小さく頷いて身体を横向きに変えた。クロードを粉々に砕いてからの記憶がない。朧げに魔術を使ったのは覚えてるんだけど。
「あれから、どうなった?」
「わからないが、一瞬だけ暗くなって元に戻ってたんだ」
「・・・?元に戻った?・・・・・ああ、そうか」
あたしはきっと時戻しの術を使ったんだろう。決してやってはいけない禁忌の魔術。時間を戻して蘇生するこの術は、師匠に一番初めに教えられたタブーのひとつだった。
さすがに死を覚悟したけれど、あたしはどうやら無事みたい。
「百は?ヒューバートたちは?」
「無事だ。俺が駆け付けた時には困惑しながら倒れたヴィラを囲んでいた。迎えが来たから、できるだけ神の恩恵を受けられるようにとドローシャへ帰って来たんだが・・・」
「・・・・そっか」
上半身を起こしてレオナードが握っていた手を握り返す。
「ごめんな、無茶して」
「まったくだ、心臓が止まるかと。クロードから大方の話は聞いたが・・・事の首謀者はすべてクロードで間違いないようだ。彼は家族を―――全て殺されたからな」
「うん」
王侯貴族の社交界なんてちっぽけも華やかな世界じゃない。いつも誰がが憎しみ合って誰かが負けていく、そんなドロドロした愛憎の溜まり場。きっと彼は王子なんて地位よりも、穏やかに暮らせる普通の生活を望んでいんだ。
もしあたしがレオナードを失ったらと考えると、クロードの気持ちは痛いほどによくわかる。
時戻しの術なんてよく成功したなぁと思いながら、レオナードの額に額を寄せた。
彼はいつもの、泣きたくなるほど優しい微笑みであたしに言う。
「おかえり」
「ただいま」
『『バケモノ』』――――お母さんとクロードの声が重なる。
「・・・・・レオナード」
「どうした?」
「あたし、魔女じゃないって言われた。普通魔女ってのは矢に刺されたら死ぬものなんだって・・・あたし平気だったけど」
「・・・そうか」
「レオナードも思ってた?」
「少しだけ。そんなこと気にしてたのか?今更?」
「今更言うな。これでも真剣に考えてるのに」
それになんだか今までと感覚が違う。魔力の底が見えなくなったしなにより・・・・
「気持ち悪い!」
「「「「え″っ!?」」」」
医者を呼べ薬を持ってこいと騒がしい男共。あたしはそんな彼らを横目に、ドローシャへ帰って来た実感を味わいながら窓から見える景色を眺めた。
涙が出るほど完璧な美しい空は、今日も曇りひとつなく青々と晴れ渡っている。