第三十八話 決着前夜
まどろみながら目を開け上半身を起こすと辺りはまだ暗かった。あたしは反射的に隣を見てレオナードが居る事を確認する。そして彼の姿を見て胸を撫で下ろすのだ。
・・・また突然、いなくなってしまうかもしれない、そんな嫌な考えがいつも頭をよぎってしまう。考えても仕方のないことなのに、食事もお風呂も仕事中も寝る時もずっと一緒にいるはずなのに。
「レオナード・・・・」
あたしは無意識に彼の名を口ずさんだ。大した大きさの声ではなかったはずだが彼の瞼がゆっくりと開かれる。
「ヴィラ?どうしたんだ?」
「・・・ごめんなさい、なんでもない」
再びシーツにもぐり込んでレオナードの腕の上に頭を置いた。もう片方の腕が腰に回って身体が密着する。
「眠れないのか?」
「ううん、大丈夫」
レオナードの瞳が閉じられてもあたしは彼の顔を見つめ続けた。以前のように微笑んでくれる、甘い言葉を紡いでくれる、くすぐったくなるほど優しくしてくれる。なのになぜ、あたしは満たされないのだろう。もっともっと構ってほしいと思うのだろう。絶対に失いたくないと不安になるのだろう。
―――愛しいと思う、彼の全てが。
あたしはどうしたら全てを守れるのだろう。そもそも守りたいと思うこと自体傲慢な考えだろうか。
そっと擦り寄って頬を寄せると、不思議そうに青い瞳があたしを見ていた。
「ヴィラ?」
「大丈夫」
そうだ、あたしは今幸せに押しつぶされそうになってるんだ。この世に絶対の安全など存在しないから、大切なものが在り続ける限り失う危険も孕んでいる。幸せを不幸だと履き違えてしまうほどに、それは永遠に終わらない連鎖。
「大丈夫」
あたしは自分に言い聞かせるように呟くとキュッとレオナードを抱き締めた。
ヴィラが、隣にいる。気が狂いそうになるほど会いたかった彼女が。できれば一日中彼女を腕の中に閉じ込めていたいが、王と王妃という責を負った俺達には不可能なのが悔しい。ヴィラは珍しく眉間にしわを寄せながら山積みにされた書類を片付けていく。よく眠れなかったのだろうか、顔色があまり優れない。
「ヴィラ、無理しなくていいから横になったらどうだ?」
「平気平気」
あっけらかんと言い放つが空元気だということはすぐわかる。
「昨日の今日だ、友人に会ってきてもいいんだ」
「百はヒューバートがついてるから大丈夫だろ」
「しかし・・・」
「レオナード、口動かす暇あったら手動かせよ」
もっと甘えてくれたらいいのに、と何度も思う。しかし仕事に関しては自分にも他人にも厳しい性質らしく、弱音を吐くこともなければ手抜きもしない。・・・容赦がない、とも言う。
「ヴィラ、おいで」
「え″っ」
抵抗する彼女の腰を無理やり引き寄せ膝の上に置いた。ヴィラは首をひねりながら俺を不思議そうに見ている。
「どうしたんだ?仕事は?」
「いいじゃないか、せっかく会えたのに仕事漬けなんてあんまりだろう」
そう言えばヴィラは恥ずかしそうに頬を染めてぽてんと身体を俺に預けた。・・・可愛すぎる。
「・・・誰かが来たら離れるからな」
「別に見られても問題ないだろう」
「ヤダ・・・・」
むしろ俺は周りに見せつけたいくらいだ。しかしそれは彼女が望まないからと従う俺はとことん彼女に甘い。
「もうすぐ仕事が片付く」
「うん」
「ベルガラと交渉をかけて降参させれば終わりだ」
「うん」
「そしたら今度こそどこか遠くへ行こう」
「・・・・人魚見たい」
・・・まだ根に持ってたのか。ああ、と頷けば腰に回った手に力が籠る。血色の良い唇に誘われるように口付ければ、僅かに身じろぎしたものの受け入れられた。咥内を好き勝手に貪り絡めとると苦しそうに息を吐いて離れるヴィラ。
「くっ・・・苦しいから」
「慣れろ」
「慣れるかっ!んぅっ!」
廊下の方から人の気配がしたにも関わらず、俺はヴィラを解放しなかった。足音が聞こえ始めると彼女は身体を捻って腕の中から抜け出そうと必死でもがく。
コンコンコン
3回のノックにビクリと身体を震わせて、彼女の抵抗はますます強くなった。しかし俺はそんなヴィラを無視して返事を返す。
「どうぞ」
「えええええ!ちょっと!今ダメ!ダメだから!」
必死のヴィラの声も虚しく遠慮がちに扉が開いた。嫌がるヴィラを無理やり抱き留める俺の姿を見た訪問の主、オーティス王はぽかんと口を開けて呆けている。
「離れろー離れろーーー!!」
「大人しくしてくれ」
「だったら放して!」
「それは断る」
オーティス王は引きつった顔をしながらフェードアウトしていくが、ヴィラが信じられないくらい素早く俺から擦りぬけてオーティス王の腕を掴んだ。
「何!?何の用!?」
彼は視線を彷徨わせながら顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる。
「そ・・・そそそそそその!」
「うん、でなに?」
「~~~なんでもない!」
オーティス王は真っ赤になったまま駆け去って行った。「えー」と物言いたげにその背を見守るヴィラ。
「どうしたんだ、あいつ」
「さあな」
ここはどうも邪魔者が多くて好かない。さっさと仕事を終わらせてドローシャへ帰ろう。そう決意を新たにして再びヴィラを腕の中に閉じ込めた。
あたしたちは暗い部屋で身を寄せながら手紙を読んでいた。レオナードは眉間にしわを寄せてその手紙をそっと仕舞う。
「いよいよだな」
「・・・うん」
季節は既に初春。僅かに暖かみのある風が肌を撫でていくが、まだ寒さを覚える気温だ。きっとドローシャではもう少し暖かくなっているだろう。月明りで照らされたレオナードはまるで神話に出てくる神様のようで驚くほどに神秘的だった。彼を見るたびに普通の人間ではないのだと思い知る。
「明日の朝、出発しよう」
「・・・わかった」
これが終わればドローシャへ帰ることができる。スラリとあたしの肩にレオナードの指が滑った。その焦らすような愛でるような行為に、あたしは左側の首筋に頭を寄せて背に腕を回す。レオナードは髪と頬を撫でて額に口づけを落とす。
「レオナード」
「ん?」
「あたし、がんばるから・・・・」
せめてレオナードだけは失わないようにがんばるから、だから――――置いて行かないで。
「俺がベルガラ相手にやられるとでも?」
「思ってないよ。だってレオナード殺しても死なそうなんだもん」
そう言ったら軽く小突かれた。クスクスと笑ってレオナードの胸に手を置く。
「レオナード」
「ああ」
想いは言葉にならなかった。明日、あたしたちは一つの国を滅ぼす。そこにあるいろんな歴史や文化を粉々にして事実上ドローシャの支配下に置くことになるだろう。心を痛める国民たち、罰せられるベルガラ王家の人々。あたしたちは憎しみをこの世界に生み出すんだ。
「大丈夫だ、俺がいる」
「・・・うん」
レオナードはあたしの顎に手をかけて上を向かせると噛みつくようなキスをする。優しいけれど容赦のない動きに身体に力を入れて自分を支えた。腕にしがみ付けばそっと離れて青い瞳があたしを見下ろす。あたしはその瞳を見つめ返して口を開いた。
「神様はなんで魔女を作ったんだろうな。ドローシャを守るため?ドローシャ王に仕えるため?」
「さあな、少なくとも俺はヴィラを魔女として見ていない」
「あたしは魔女だぞ?」
「魔女であってもなくてもヴィラはヴィラだろう」
レオナードが王様であってもなくてもレオナードであるように。
「・・・そうだな」
きつく抱きつくと影は一つに重なった。
「え!?ベルガラと交渉に向かう!?今からですか!?」
朝一番にヒューバートの叫び声が響いた。既に支度を終えたあたしたちは目を見開くヒューバートと百たちを横目に借りた馬に乗る。もちろん馬に乗れないあたしはレオナードに乗せてもらうことに。
ヒューバートは視線をあたしに向けて口を開く。
「ってかなんで毒女も一緒なんだ!?」
「そのままドローシャに帰るからな」
毒女?とレオナードに訊かれたけど無視した。勝手にヒューバートたちがあたしをそう呼んでいるだけで、あたしに訊かれても困る。
百は不安そうに瞳を揺らしてあたしを見つめていた。
「百・・・」
「恵理ちゃん・・・もう少しこっちに居たらよかったのに、こんなに突然お別れになるなんて」
「そんなに感傷的になんないでよ。大丈夫、またすぐ会えるから」
「本当?」
「うん」
ヒューバートもアレフもザックにもまたすぐ会えるよ。
レオナードはあたしの後ろに乗ってヒューバートを見下ろすと、馬を彼の方に向けて向き合う形になった。
「オーティスの陛下、この度のご助力を感謝いたします」
「いえ、こちらこそ・・・」
「ヴィラもずいぶんお世話になったようで」
「それは、はい、まあかなり」
「んだと?」
少し寂しいけどオーティスとのお別れ。ドローシャへ帰れるのは嬉しいけど、でもやっぱりここで過ごした時間は本物だから。
「ヒューバート、百を頼んだぞ。幸せにしてあげてくれ、人一倍自分の幸せには鈍いやつだから」
「毒女に言われなくてもわかってるよ」
クスリと笑いを漏らすと、今度は無表情で後ろに控えているアレフに向かって言った。
「アレフはもう少し感情を表に出さないと女にモテないぞ」
ぷいっとそっぽを向かれた。相変わらず無愛想なやつ。
レオナードが手綱を引いたのを合図に馬がゆっくり動きだす。
「元気でな」
さよなら、オーティス。