第三十二話 新しい恋人たち
あたしは貸してもらった小屋の中で座り込んでいた。手に持っているのはあちらの世界のチョークのようなもの。床に大きな円を描くと手を止めて考え込む。
そう、あたしは今テレポートの魔法陣を作っている。魔法を使う際に魔法陣を使うことは滅多にない、むしろ必要がない。けれども世界を行き来したり移動魔術を使う場合は魔法陣がなければ成功しない。なぜなら魔法陣は暗闇の中でぽつんと灯っているロウソクの火のような役割を果たすからだ。辺りが暗いと目標までの距離感覚を失うが、火の光ひとつあれば移動したい場所までの距離が掴みやすい。たったそれだけの小さな火が、魔術の成功と失敗を左右する。
さて、円を描いたら移動魔術のイメージを頭の中に描く。たまに間違った認識をしている人がいるけど魔法陣の中に描いてるぐにゃぐにゃした模様・・・あれ、適当だから。フィーリングだフィーリング。ようするにただのイメージ、目印みたいなものだ。だから魔法陣に模様は決まってないので、師匠のように絵の才能がない人はまるで子供のお絵かきのような魔法陣が出来上がる。
「よっし。これで後は」
魔法陣から離れて隣の厨房へ行き、魔法陣目掛けて魔力を放つ。いい感じに身体がふわっと消えて
ドターーーーン!!!
「いってーーーーーーー!!!」
魔法陣までテレポートできたのはいいけど、足が地面から一メートルくらい浮いていた。もちろんあたしは落下して痛みに涙を目に溜めながら打った腰をさする。成功したのは喜ばしいぞ!?でもこれカッコ悪いし実用的では・・・・ない気がする。
まあいいや、とりあえずドローシャにいる泥人形に魔法陣を描いてもらおう。練習すればそのうちコツ掴むだろうし。
もう一度やってみようと距離を取り、魔法陣に向けて魔力を放つ・・・・けど。次の瞬間目に映ったのは全く違う部屋。またもや足が地面から離れていたのであたしは銀色の髪の頭目掛けて落下し、そのまま下のヤツともつれ合うように崩れた。
「うわっ!!」
「あちゃー、すまんすまん」
巻き込んだのはヒューバートだったらしい。彼が下敷きになってくれたおかげであたしは無傷どころか痛みひとつない。
今回のテレポートは失敗らしく、執務室まで来てしまったようだ。身体が移動したこと自体は失敗ではないのだけれど。
「貴様!!さっさと余の上から退け!!」
そう言うヒューバートの頬は赤く染まっている。あたしは覆いかぶさったまま手でヒューバートの顎を捕えた。
「なに?恥ずかしがってるのか?」
ニヤリと笑えばますますヒューバートの顔が赤くなり、怒りと戸惑いからかプルプルと震えだす。まったくこれほど苛め甲斐のあるヤツ初めて会ったよ。初だねぇ。
「・・そ・・そもそもどうやってここまで入ったんだ!!しかも余の上に・・・上に・・・!!」
「あーー・・」
どうやって説明しよう。ベルガラが宣戦布告してきたらしいから、戦争を仕掛けられているオーティスの少なくとも王様は白だろう。あたしがドローシャの王妃で魔女だと・・・バラすか?いや、でも言っても信じてもらえなさそう。むしろ大爆笑されそう。あたしだって自分で王妃って柄じゃないのはわかってるし。
「えっと・・・時計を持ったウサギを追いかけていたらいつの間にかここにたどり着いたんだ」
ヒューバートは盛大に意味が分からないという顔をしてくれた。けれど否定するにもどう否定すればいいのかわからないらしく、開きかけた口はすぐに閉じられる。
「・・・・と・・・とりあえず余の上から退け」
「うーん、どうしよっかなー。この姿を見られたらあらぬ誤解を生んでいろーんな噂が広まるだろうなぁ」
うわー面白そう。そうからかうように言えばヒューバートの額に青筋が浮かんだ。
「いい加減にしろよ、女。普通余にそんな野蛮な口を聞いたところで不敬罪に当たり処刑されることもあるのだからな。ましてやこのような屈辱、許されると思うなよ」
「頭固いなぁ。女に迫られたことないの?ん?」
顔を近づけてニヤッと笑えば、ヒューバートはまた赤くなって大声を出し始めた。
「いい加減にしろ!!」
「ごめんごめん、反応が純情少年らしくて面白かったからつい」
ヒューバートの上から退こうとした瞬間、バターンと勢いよく人が駆け込んできた。
「ヒュー・・・・ぅ?恵理ちゃん?」
現れた百は目をパチクリさせてこちらを見る。今のあたしたちの状況はと言うと、あたしが上、ヒューバートが下。俗に言う馬乗りという体勢で、どこからどう見ても邪な想像を掻き立てるワケで・・・。
百は声をかける暇もないほどの高速で踵を返すと駆け去ってしまった。入れ替わりでもう一人、今度はザックが入って来てあたしたちを見ると口をあんぐり開ける。彼は百のように駆け去ることなくその場に立ちつくしていた。
「誤解されたっぽいな」
なんて言ったって馬乗りだしな。しつこいようだけど馬乗りだからな。
「・・・・・・」
下からの沈黙に慌てて飛びのけば、ヒューバートの顔はかわいそうなことに真っ青になっていた。誤解されたことがよほどショックだったらしい。
「そんなに落ち込むなよ」
「・・・・・誰のせいで誤解を生んだと思っている」
ヒューバートは静かにキレていた。あたしも他人の恋愛まで邪魔したくないのでフォローしてあげることにする。半分あたしの所為でもあるし。
「よく考えろよ。もし百がヒューバートのことをなんとも思っていないなら満面の笑みで“おめでとう”って言われるに決まってるだろ?つまり、百はあたしとヒューバートが仲良くしてるのを見たくなかったんじゃねえの?」
そう言えばヒューバートの青い顔がみるみるうちに赤くなった。
「余にも・・・可能性があるのだろうか」
「たぶんね」
なんて扱いやすいやつなんだ。まあがんばれと背中をポンとたたけば、その手は黒髪のおかまザックにグワシッと掴まれた。
「あんたねぇ、うちの陛下に手を出さないでもらえるかしら」
丁寧な口調が逆に怖い。彼の後ろに燃え盛る炎のような熱を感じる。
「だから謝っただろ?」
「謝ってすむ問題じゃないのよ!あんたの無駄に整った容姿と色気で迫られたら陛下も落ちちゃうかもしれないでしょ!?」
「「ないない」」
あたしとヒューバートは声をそろえて否定する。ザックはピキッと青筋を浮かべてあたしとヒューバートをソファに座らせた。
「とにかく、モモ様呼んでくるから誤解を解きなさい!それから毒女!もう二度と陛下の半径一メートル以内に近づかないこと!」
毒女ってのがちょっと気になったけれど、ザックに睨まれてあたしは返事を返した。
ザックと金髪の騎士アレフに連れられて浮かない顔をした百が部屋に入って来た。ヒューバートはそわそわと落着きがなく、あたしが肘で突くと慌てて背筋を正し今度は固まって動かなくなる。
「さあさあ座って。みんなでお茶しましょう」
ザックはヒューバートの真正面に百を座らせ、ガラガラとカップやポットの積まれたワゴンを押す。次々と用意されるお茶の準備は素早く丁寧で的確。女性のたしなみもあるとはさすがザック。
「う・・・・あ・・・・あの・・・・モモ・・・」
ガチガチに緊張しているヒューバートは情けない声で話し始める。もじもじとした態度があたしから見れば全くの不合格で、苛立ちについつい声を張り上げる。
「もっと男らしくビシッと言えねえのか!!」
「は、はい!!モモ!!さっきの誤解なんだ!この毒女とは何の関係もない!むしろ苦手だ!!」
だから毒女ってなんだよ!それにしても「はい!」って・・・やっぱり根が素直なんだろうな。面白いヤツ。
百はカップを両手で持ったままぽかんと口を開け、数秒後に恥ずかしそうに目線を彷徨わせ始めた。
「でも・・・恵理ちゃんはものすごく綺麗で、大人っぽくて、しっかりしてて、背も高くて、胸も大きくて、よく気が利いて・・・・あたしとは正反対で・・・・」
「モモ!この女は人間規格外だ!それにモモの思っているような女ではない!狡賢くて嫌味で大人げないヤツだぞ!」
いろいろ嫌な単語が聞こえてきたけれど大事な場面なので我慢してやる。百はちらりと俯いていた視線を上げ、ヒューバートは益々言葉に熱を込めて話し出した。
「こんな毒女よりモモの方が100倍魅力的だ!」
「告白の時に他の女と比べる表現はタブー」
「百は魅力的だ!」
突っ込みを入れるとヒューバートは慌てて訂正し、女を口説き慣れていないのかたどたどしい言葉でモモをいかに想っているか熱弁した。百もだんだんわかってきたのか、頬を染めて挙動不審になり始める。
「で・・・でも、恵理ちゃん綺麗だからあたし・・・・」
「そんなに不安なら毒女をこの国から追い出してもいいんだ!モモ!」
百はヒューバートがあたしに靡くのが不安なのかチラリとこちらを見る。
「心配しなくてもあたし既婚者だし」
「「「えっ!!」」」
百とヒューバートとザックの声を重なった。アレフは相変わらずの無表情だったけれど。
「毒女と結婚するなんて・・・相手が哀れで仕方ないわ・・・」
「おいザック、それはどういう意味だ」
「恵理ちゃん初耳だよ!相手は誰!?」
「ドローシャの人だよ。おかげで生活には困ってない。そのうち紹介するから」
百は目を輝かせてうんうんと頷いた。ヒューバートとザックはまだ納得できないのかあたしを訝しげな視線で見やる。
「あたしはともかく、ヒューバート、お前百泣かせたらタダじゃおかないからな」
「・・・わかってる。モモは余が幸せにするんだ」
百はとたんに顔を赤く染めて恥ずかしそうに俯いた。・・・あれ?もう纏まっちゃった?
「よかったわねー!これで一件落着だわ!」
「よかったなヒューバート。一年越しの恋が実って」
「う・・・・・」
これから思う存分からかってやれるぞ。あー楽しみ。
・・・・そのためにも、なんとしてもレオナードを取り戻してベルガラをつぶさなきゃいけない。残された期間は1か月弱。
とりあえず今は、新しい恋人たちの祝福が先かな。
あたしは立ち上がりザックとアレフの腕を掴むと、ヒューバートと百に向かって笑みを向ける。
「では、邪魔者は退散するからお話するなりいちゃつくなりどうぞご自由にー」
そしてあたしは男ども2人の腕を引っ張りながら、真っ赤になったヒューバートたちを置いて部屋を後にした。