第二十九話 依存と・・・
翌朝、あたしは百に誘われて一緒に朝食を取っていた。久しぶりに会えた上にこうして一緒に食事できる日が来るなんて・・・。感慨に浸りながら百の笑顔を堪能する。
食事はほとんどドローシャのものと変わらないので安心した。ちょっと違うのは質。ドローシャだと毎日とんでもない高級品ばかり並んでいたから、やっぱり舌が肥えてしまったらしい。オーティスも料理人の腕がいいからかマズくはないんだけど。
「・・・で、なんでまたあんたが付いてくるわけ?」
ヒューバート、お前は百の保護者か?友達同士で食べてるんだから、少しは気を利かせてくれればいいのに。しかも昨日の金髪の男も黙って傍に控えてるし。騎士かなこいつ。
彼はギロリとあたしを睨むと、右の口角を上げて嫌味な笑いをしながら口を開いた。
「邪魔したのはそっちだろう。食事の時間はもともと余とモモの時間だったんだからな」
「今日くらい譲ってくれてもいいだろ、どんだけ心狭いんだよ」
「なんだと!?余に文句をいうつもりか!?」
むかー。王様だと何しても許されるとでも思ってんのかね。まあ許されるんだけど・・・。
「まあいいや、そんなことよりさ、あたしに付けた見張りさんたちを退かしてもらえると嬉しいんだけど」
その瞬間ピクリとヒューバートの眉が動いてフォークを持った手が止まった。
「見張りって?」
「隠密のこと。まあ忍者みたいな感じで、昨日からずっと見はられてるんだ。シャワー浴びることもできねえ」
百は眉を寄せて困ったようにヒューバートを見た。
「ヒュー、そんなことしたの?」
「・・・女、なぜわかった」
彼は試すような目であたしを見抜く。紫の瞳はものすごく綺麗だとは思うけど、やっぱりあたしはレオナードの青い瞳の方が好き。
「だって昨日天井からゴンッって音がしたあと、「イテッ」って声がしたから」
これは実話だ。どれだけ間抜けなんだと思ってたけど、その場で聞こえないフリをしてあげたあたしはものすごく優しいと思う。
ヒューバートは額に青筋を浮かべると、静かに「そうか」と漏らした。
「ヒュー、恵理ちゃんは皆を裏切るような人じゃないよ」
涙目になった百を、ヒューバートは慌てて宥め始めた。“裏切るような人”だから百は間違ってるんだけど、警戒したところで一般人があたしをどうこうできることはない。
あたしは食器をすべて下げてもらうと、方肘をついてニッと笑った。
「警戒するなり疑うなりどうぞお好きなように。ただし百に危害を加えたり、一日中覗いたりしないなら・・・の話だけど」
ヒューバートはしぶしぶ頷いた。
「後、お間抜けな隠密さんたち、なんとかしたほうがいいんじゃない?」
「う・・・うるさいっ」
戦争で人手不足なだけなのかもしれないけど、下手な隠密は逆効果だ。本当に敵を警戒するつもりがあるなら、最初から他人を城内に入れなければいい話。百を拾ってくれたことは感謝するけど、そんなこと普通王様はしない。不法侵入されたことにしても、レオナードやあたしだったらすぐにその場で殺すから。その点、この若いヒューバートは未熟だし甘いと思う。
「ま、お仕事がんばって」
ひらひらと手を振ると、情報収集のためにその場を後にした。
ヴィラが部屋を去った後、ヒューバートはひと際大きなため息を吐く。あの女は侮れない、それにどこか見下されている気がする。
機嫌が戻った百はニコニコしながら紅茶に砂糖を混ぜ、それをヒューバートに手渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
百がこの城に住み始めてからもう2年近くになる。だからヒューバートは百の性格を熟知していた。
純粋無垢で穢れがなく、心根が真っ直ぐで嘘がつけない、正直で素直で絵に描いたようなお人好し。どうやって今まで生きて来たんだろうかと考えさせられるほど、本当に変った女の子だった。
だからこそ不安になる。百は本当にヴィラと望んで友達になったのだろうか、と。
「モモ」
「ん?」
「あの女はどんな奴なんだ?」
百は思い出し笑いなのか、ふふふと嬉しそうに破顔する。
「聞きたい?」
「ああ、聞かせてくれ」
ん、わかった。と百は頷いた。
「恵里ちゃんはね、ヤンキーだったの!」
「ヤンキー?」
「えっと、不良でわかるよね?チンピラとかゴロツキみたいな」
彼女の言葉づかいや態度から妙に納得できたヒューバートは空笑いをする。不良は名誉なことだとは言えないのに、なぜか百嬉しそうに話していた。
「今から6年前、同じクラスだったけどあたしも恵理ちゃんもあまり学校に行ってなかったし、怖かったから話しかけることもなくって・・・。だけどある日、あたしが男子にからかわれて困っているところを助けてくれたんだ」
すごく嬉しかったと、頬を染めて百は目を閉じた。ドジで引きこもりがちで友達もおらず、クラスの誰も助けてくれなかった。そんな中、一人で男子全員を相手に堂々とした態度が百が憧れる姿そのものだった。
「それから・・・あたしどうしてもお礼を言いたくて・・・でも勇気が出なくて困った時に、恵理ちゃんから話しかけてくれたんだ。それから仲良くなりたくて、会話は苦手だけど付いて回ったら呆れられたけど笑ってくれて、そのときの笑顔がものすごく綺麗で・・・。ここまでは普通の友達・・・だったんだけどね」
百の表情に影ができ、ヒューバートは心配そうに顔を覗き込んだ。
「ある日わかっちゃったんだ。恵理ちゃんとあたしの共通点が」
それが、両親との不仲と暴力。
正反対だったけど、2人は同じだった。全く同じ苦しみに遭って、たまたま違う道に逃げただけ。百の家庭の事情を知らなかったヒューバートは顔を真っ青にして口を開きかけたが、それは百が静止して話を続けた。
「でもねっ、あたしの家はそこまで酷くなかったの。両親が完璧主義の人で・・・あたしが出来が悪かったから苛立ってただけ。ちゃんと普段は可愛がってもらったし、愛情がなかったわけじゃなかったから。でも・・・恵理ちゃんは違った。存在を拒否されて、まともにご飯も食べさせてもらえない。いつも身体をボロボロにされて・・・。だから恵理ちゃんは外に出るしかなかった。
・・・でももう、限界だったんだと思う。ものすごく強くてしっかりしてて、頭も良くて運動もできて・・本当にあたしと正反対だったけど、いっつも心の中で泣いてた。あの日・・・あたしと恵理ちゃんがこの世界に飛ばされた時、なんとなく思ったんだ。“神様が恵理ちゃんを助けてくれた”んじゃないかなって」
自然の多い所へ行きたいと言われた時、百は怖くて仕方なかった。もしかしたら、生きるのを諦めたんじゃなかと。
「あたしたちね、普通じゃないんだ。お互いに依存して、お互いでお互いを支えあわなきゃ生きて行くこともできなかった。あたしは怖がりで人が苦手だったから恵理ちゃんの強さが必要だった、恵理ちゃんは孤独であたしの弱さが必要だった」
「そうか・・」
ヒューバートはそれ以後押し黙ってしまい、百は柔らかく笑んで彼を見た。
「恵理ちゃんは根はいい人なんだけど、ずいぶん曲がり道な人生歩いてきたから誤解されやすいんだよね。大丈夫、悪い人じゃないから」
「・・・わかった」
ヒューバートは控えていたアレフに目くばせすると、立ち上がって百の額に口づけを落とす。
「政務に行ってくる。今日モモの仕事は一日休みにしたから、あの女と遊んでくればいい」
「ありがとう!」
ヒューバートが部屋を後にすると、百は軽く息を吐いて窓から見える空を眺めた。これから何が起こるか分からないけれど、皆に幸せな結末が訪れますようにと祈りながら。
冷たい水で顔を洗うと、タオルに顔を埋めた。レオナードがいなくなってからもう何日目かすらわからない。ただ恐怖や不安を感じられないほど一心不乱になっていたから、ここに来てレオナードが居なくなったことを実感した。
百に会えたのは本当にうれしい。けれど、あの子を見るたびにあっちの世界を思い出す。
苦しい、痛い、辛い、憎い。負の感情を凝り固めたような心は、今でもあたしの中の大部分を占めている。その中の僅かな光が、百の存在だった。ただ笑って隣に居てくれるだけで自分を保つことができた。それだけあの子の何にも穢されていない純粋さが必要だった。
異世界に飛ばされて家族と会わなくなり、あたしにはもう百の存在がなくても自分の足で歩けるはずだった。けれどあたしは相変わらずに百を必要とした。―――――弱かったから。
だけどその弱い自分を受け入れてくれた存在、それがレオナード。レオナードが居たからあたしはまた自分を保つことができた・・・っていうのはちょっと違う。レオナードはあたしの弱い部分を理解してくれて、あたしは自分から目を逸らさずに見つめることができた。あたしは自分で自分を認められるようになった。だからあたしは弱くてもその弱さに押しつぶされることはなかった。
感謝している。あたしを傍に置いてくれたこと、受け入れてくれたこと。
レオナードがいなくてもあたしは生きていける。だけどあたしはもしレオナードが死んだらその後を追うだろうと思う。それだけ愛してる自覚はある。
これは依存じゃない。もっともっと心の奥深いところにある感情。
「恵理ちゃんっ」
部屋に飛び込んできた百。タオルから顔を離すと、あたしは鏡を見た。
「ちょっと待ってくれ」
「うんっ」
鏡に映るのはこの世で一番嫌いだった容姿。人はこの顔を褒めるけど、これさえなければ家族が壊れることもなかった。ひと欠片でも両親に似ていたら―――。
でもこの顔がなければ家を飛び出すこともなかった。この世界に来ることもなかった。レオナードに会うことも・・・。
「仕事はどうしたんだ?」
「休みをもらったの!一緒に遊んでいいって」
「そうか」
「街に行こうよ、案内するね」
「うん」
今では自分を受け入れることができる。あたしは絶対に挫けない。
―――レオナードを見つけ出す、そのときまでは。