第二十二話 紹介状
―――――4日後の昼下がり。
「手紙?」
執務をこなしていたレオナードは手を休めて眉間にしわを寄せる。ルードリーフはロウソクの朱印で封を押された封筒を差し出した。レオナードはそれを乱暴に開け、アルフレットは中を覗き込む。
その手紙の差出人はフェルディナンド・オルドリッチだった。
「なんて書いてあるんだ?」
「エルヴィーラよりも容姿が美しく、非常に賢い魔女が知り合いにいる。新しい王妃に迎えては・・・と」
内容は新しい王妃を迎えないかという紹介の手紙。
3人の考えていることは同じだった。ジキルド・カトレアが死に際に『卿はキリエラ様を王妃の座につけようとしている』と言ったこと。もしもこの魔女がキリエラならば・・・
「卿とはオルドリッチ宰相殿のことなのでしょうか」
「そうかもしれないな」
まさかこんな形で敵から飛び込んでくるとは。
手紙の文面には、いかに知り合いの魔女が美しく素晴らしい女性か、いかにヴィラがレオナードに相応しくなく手を煩わせていたかを延々と綴られていた。
「どうやら噂が功を制したようだ」
「どういうことです?」
「オルドリッチは俺とヴィラの仲が悪いという噂を真に受けたらしい。おそらく、ヴィラに対して仕掛けた罠を俺が喜んでいるとでも思っているのだろう」
ヴィラを貶す文章でそれを確信する。そして彼よりも上の立場など王しかこの国にはいない。つまり事の首謀者は彼で間違いないだろう。
――――これが終われば、ヴィラを迎えに行ける。レオナードは薄く笑った。
そんなレオナードを不思議そうに見やりながらもルードリーフが言う。
「しかし彼はオルドリッチ家の当主。しかも政庁のトップでございますよ?彼がゾロア教徒など・・・あり得ないのでは?」
「どうだろうなぁ、政治家って変人が多いからさ」
オルドリッチ家といえば国内でも一・二を争う有力貴族。宰相のフェルディナンドは3千年ほど前から国を統括してきた革新派の優秀な官吏だ。もし彼が異教徒であればドローシャは大変な衝撃を受けるだろう。
「でもさ、カトレア財務長官と宰相ってかなり仲悪くなかったっすか?」
「わざと仲が悪いふりをしていたか、ジキルド・カトレアを脅しでもしたのでしょう」
一通りの問答が終わると、レオナードは頷いてアルフレットを見た。
「フェルディナンド・オルドリッチを審問会にかける。アルフレット、すぐに捕えろ。例の魔女も一緒にだ。もし抵抗するようならば収集をかけ、国中から魔女を集めて助力を頼め」
「魔女・・・・まさか攻撃して来ないっすよね」
「それはおかしな話よのう」
真っ青になるアルフレットだったが、突然女の声が聞こえた。煙にまかれた卓上から真紅の瞳の女が現れる。黒いローブを着た、なかなか美人な女だった。目を見張って口を開くルードリーフ。
「ベルデラ王妃!なぜここに!」
「少し気になることがあってのう。お主らの話によると、その魔女とやらはゾロア教徒に加担しておるそうじゃの」
レオナードは頷いた。
「異教徒かはわからない・・・が、ヴィラに危害を加えようとしたのは間違いないだろう」
「それはあり得ぬ」
3人は同時に眉をひそめた。
ジキルド・カトレアが死に際に魔女の存在を白状した。よって敵に魔女がいることは間違いないのだ。
「お主らは不思議に思ったことはないかえ?魔女はこの国にしか生まれぬ、が、生まれた後どこの国に行こうが魔女の自由じゃ。魔女とはのう、個人差はあるが人間が持っていない不思議な力を操る、その力は大きな利益も不利益も生むことができるのじゃ。しかし魔女は決して他国に行くことはない。他国はこぞって魔女を望んだが、歴史上一度も頷いた魔女はおらぬ」
「どういう意味だ」
「魔女には生まれつき本能が備わっておる。それは“ドローシャの王”を裏切れぬ本能じゃ。理由はわからぬが、必ずそうなのじゃ。王には決して逆らうことはしないぞえ。だから敵に回る魔女などあり得ぬのじゃ」
「では、キリエラという魔女は魔女ではないと?」
「さあ、そこまではわらわにもわからぬよ」
その本能が本当に存在するならば、ますますキリエラの存在が怪しくなってくる。もしかしたら架空の人物かもしれないし、あるいは魔女のフリをしているだけか。考え込んでいる3人のうち、口火を切ったのはルードリーフだった。
「しかしエルヴィーラ様は陛下にずいぶんと逆らっていたようですが・・・」
確かに、と2人は頷く。ヴィラは最初から結婚を嫌がったり逃げ出したりと王に従順な様子は欠片も見当たらなかった。ほほほとベルデラは高らかに笑う。
「あの娘はのう、異世界で育った所為かまるで魔女の本能が備わっておらなんだ。つまりヴィラがこの国を裏切る可能性がある唯一の魔女。よってこの国の脅威とならぬよう王妃にしたのじゃ」
「なるほどな・・・」
ところで、とベルデラは話を変える。
「肝心のヴィラはどうしたのかえ?」
一気に部屋の空気が凍りついた。しかし返事をしないわけにもいかず、レオナードの様子を見ながらルードリーフが答える。
「エルヴィーラ様は・・・10日ほど前・・・・城を去りました」
「はっ」
ベルデラは腹の底から声を出す。片眉をあげてレオナードに顔を近づけた。
「とうとう逃げられおったかバカ者め」
レオナードはベルデラの目力に負けじと睨み返す。
「ヴィラが今どこにいるかわかるか、ベルデラ」
「3日前普通にわらわの家に来たのう。特に変わった様子は無かったのじゃが・・・。お主、ヴィラに何かしたのかえ?」
「何も・・・むしろこっちが理由を聞きたいくらいだ」
ふむ、とベルデラは考え込む。薄い唇を噛みしめて、どこか遠くを見つめながら話し始めた。
「ヴィラは縛られるのを嫌がるであろう?」
「ああ、家族が欲しくなかった、だそうだ」
「あの娘は虐待を受けて育った所為もあるが、非常に自分の身を守ることに長けておる」
え?と3人は同時に聞き返した。ベルデラはうむ、と重々しく頷く。
「囚われれば逃げられぬ、信じれば裏切られる、弱味を見せては付け込まれる。ああ見えて酷く臆病な子じゃ。しかし同時に優しさも持っていてのう、危害を加えぬ限り全て受け入れる度量も持っている。そして活発で破天荒でどこか抜けているように見えるがの、恐ろしく頭の良い賢い娘じゃった」
「・・・・エルヴィーラ様は一度も講義を聞いてはくださりませんでしたが?」
ルードリーフの文句も仕方ないことだろう。アルフレットもレオナードもヴィラが講義の度に寝ていることはよく知っていた。
「ほほほ、政治・経済・法律・魔術そして心理学、ヴィラは好んでこの5つの専門書を読み漁っておったのう。言ったじゃろう、ヴィラは臆病じゃと。自分を守れる術を身につけるためには手段を選ばぬ。すぐ手が出るような乱暴者じゃが、知識がいかに武器になるかをよく知っておった」
ベルデラはまるで娘を見るような暖かい目でヴィラを思い出す。子を身籠れなかった彼女にとって、弟子であるヴィラは自分の娘同然に思っていた。
「あの子は占術や呪術はまるでダメじゃが、それ以外ならば他に髄を見ぬ魔力の持ち主。底がない・・・とでも言うかの。特に戦争ではお主の助けになると思っておったのじゃが」
「だが、ヴィラは俺を捨てた」
レオナードが吐き捨てるように言い、2人は俯いた。しかし小首を傾げるベルデラ。
「それはちと違うと思うぞえ。この花はどうしたんじゃ?」
ベルデラが手に取ったのは、レオナードの卓上に置いてあった青い花。花瓶に活けられることもなく無造作に置いてあるが、今も色鮮やかに咲いている。
「4日ほど前か、窓の桟にあったので拾ったが・・・放置してもまったく枯れないんだ」
ほほほほとベルデラは独特の高笑いで嬉しそうに笑った。紅の瞳を少女のように輝かせて。
「これは作られた花じゃ。この魔力はヴィラじゃな」
「魔女さんが?」
「よかったのう、愛想を尽かされたわけではないそうじゃ。この花がある限りレオナード、お主は半永久的に死なぬよ。身代わりの花と言ってな、お主の受けた傷はすべてこの花が請け負う。ほほほ、ヴィラはこの手の魔術――――他に魔力を注ぎ込む魔術が得意じゃからのう。大切にされている証拠ではないかえ?」
「・・・戻って、来るだろうか」
レオナードが呟くように言った言葉に、ベルデラは自信満々で言いきった。
「あの子は立ち直りが早いからの、すぐに戻ってくるだろうのう」
審問会への訴状を渡されたオルドリッチは怒りに狂っていた。顔を真っ赤にし、訴状を持っている手がガクガクと震えている。
「どういうことだ!なぜ!」
「卿・・・ですから申し上げましたのに」
女はため息を吐いてやや呆れたように言った。オルドリッチは歯ぎしりすると訴状を睨む。
あの男ならば自分の多少の罪は見逃すと思っていた。それだけのことを自分は今まで行い、そして成果と功績を長年積み重ねて来たのだ。しかし・・・・レオナードはオルドリッチが思っていたような人間ではなかったらしい。
「認めよう、私は少し陛下を見くびっていたようだ。いきなり魔女を差し出すなど早計であった。しかしもう我々は後戻りできぬ」
「はい・・・」
「こうなればもう他に方法はない。キリエラ、陛下を葬ることはできるであろう?」
女は突然の頼み事に困った顔をする。
「殺すとなると・・・・それ相応の魔力が必要です。わたくし程度の魔力では、直接陛下とお会いしないことにはどうにも・・・・」
「では審問会が最初で最後のチャンスだ」
オルドリッチは目を光らせて歪んだ笑いをした。
「運が良いな、キリエラ、審問会にはお前も来るように書いてあるぞ」
「・・・わたくしもでございますか」
「これで直接陛下に会うことができる。会ってすぐ、お前は魔術を使い陛下を殺すのだ。そしてその混乱に乗じて王座を奪う。幸いなことに王は代替わりしたばかり、側近も盤石ではないであろう。あちらには魔女がいない・・・が、こちらには魔女がいる。圧倒的にこちらが有利だ」
女は不安そうな憂いを帯びた目でオルドリッチを見つめた。オルドリッチは優しく彼女の白い手を取ると軽く口づける。
「よいな?我々に残された道はそれしかないのだから」
「・・・・わかりました、全力を尽くしましょう」
弱気だった女の瞳に、強い意志が籠った。