第二十話 離別
この感情の名前がわからない。
“好き”ってものすごく難しいとあたしは思うんだ。アルフレットは楽しいし明るいから好き。ルードリーフはなんだかんだ言いながらものすごく面倒見がよくて好き。シルヴィオは言葉にしなくてもあたしのことわかってくれるから好き。侍女たちは可愛くて賢くていつもあたしを和ませてくれるから好き。百は笑顔がキラキラ輝いてて、あたしのことを慕ってくれる優しさと綺麗な心が好き。
じゃあ、レオナードに対する好きってなんだろう。みんなとどう違う?
「ヴィラ、そんなに見つめられたら穴が開きそうだ」
「・・・試してみる?」
やめてくれ、ってレオナードはクツクツと笑った。この笑い方は好きかもしれない。それからあたしを見つめる優しくて穏やかな青い瞳も、ふやけそうなほど柔らかな笑みも。この笑い方はあたしの前でしかしてくれない、あたしの特権だ。だからとても好き。
そう言えば、レオナードはあたしが怒らせてからずいぶん丸くなった気がする。色気も優しさも甘さも、以前とは比べ物にならないほど増した。彼の中で、何かが変化した?
「穴は開きそうか?」
「どうだろうな」
深夜のベットの中。唯一誰にも邪魔されない2人の時間。
食事の時は騎士もローゼリアもいるし、執務室だっていつ誰が来るかわからない。けれど夜はよっぽどの急用がないかぎり誰も近づかない。
2人の時間は好き。だってこのときのレオナードはこの通りとっても優しい。近寄るだけでドキドキする、触れるだけで心臓が騒ぎ出す、抱きしめられると安心する。
百には感じなかったまた別の好き。でもわからないんだ。レオナードは考えなくていいって言ってくれたけど、何かが喉の奥に突っかかっているようで腑に落ちない。
「ねえ、レオナードの好きな人って誰だ?」
このとき固まったレオナードの顔は・・・・・うん、いつまでも忘れられないだろう。
いつも通りに政務を片づけていると、廊下がやけに騒がしくなって来た。執務室に出入りできるのは限られた人間のみ。騒がしいということはつまり・・・
「陛下!」
なるほど、こういうことか。
息を切らし肩を上下させて部屋に入って来たのは第二王妃だった。怒っているのか顔を真っ赤に染めている。一応止めたらしいアルフレットも諦めたような顔をしてドアに背もたれ、彼女の様子を窺っているらしい。
「お話がございます」
「こちらにはない。部屋に戻れ」
「嫌でございます!」
この女はこれほど融通の利かない女だっただろうか。先代の王と側室の娘、ローゼリア・エイジー。温厚で思慮深く比較的大人しい人物だから迎えたのだが。
「ならば、簡潔に話せ」
時間がもったいない。言外にそう伝えると、彼女はまくしたてるようにペラペラと話し始めた。
「わたくし陛下に不満がございます。なぜお会いすることができないのです?」
「食事の時会っているではないか」
「夜のことです」
俺は自然とため息を漏らした。
嫁げば通うとでも思ったのだろうか。そして赤子を身ごもり、国中に祝福されるとでも夢見ていたのだろうか。――――傲慢な。
必要なのはこの女ではなく彼女の身分だ。ヴィラへの注目を少しでも避けるために、そしてヴィラへの負担を軽減するために。そして利用するために、一番身分の高い者を第二王妃に迎えただけなのだから。
「面倒だ」
「なっ」
「お前は所詮政治の駒。大人しく部屋に籠っていればいい」
「陛下はわたくしを愚弄なさるおつもりですか!?」
「お前は国王に逆らう気か。たとえ前国王の娘であろうと、俺の一言でお前の首が飛ぶ」
仕事を辞めさせられるという意味ではなく、本当に首が刎ねられるのだ。それは我が国特有の、国王に与えられた絶対的な権力。神に選ばれた者だからこそ持てる力。
この女はそれを思い出したのか、顔を真っ青にして小刻みに震えだした。
「だからと言って・・自分の妻をながいしろにするなどあんまりですわ・・・」
「言いたいことはそれだけなら出て行け、邪魔だ」
彼女は悔しそうに涙を流しながら部屋を後にした。一部始終を見ていたアルフレットが大きなため息を吐いて口を開く。
「なんだかんだ言いながらレオナード、やっぱりお前の奥さんになっても大丈夫なのは魔女さんくらいしかいないんじゃないか?」
ヴィラしかいないのではない。ヴィラでなくてはダメなんだ。彼女を守るためならば、俺は何を利用しても心は痛まない。相変わらずヴィラは俺の想いを理解してくれないけれど、それでも守ると決めた以上彼女のためなら世界を滅ぼしても後悔はしない。
「アルフレット、お前は引き続きジキルド・カトレアの周辺を洗え」
「んー、でも向こうも証拠消すのに躍起になってるでしょうからね、こっちが証拠掴みそうになるたび消される・・・イタチごっこですよ」
「どんな手を使ってでも掴んでこい」
アルフレットは軽く頭を下げると執務室を出て行った。
先日の事件の、卿とキリエラの正体は必ず付きとめる。それらを処分しない限り、ヴィラにとって安全な世界にはできないのだから。
部屋にセクハラの代名詞であるクロードがやってきて、今何故か散歩に連れ出されている。東の庭園はとても綺麗で好きだけど、横に居る相手をぜひチェンジしたい。
「やはり美しいね、王妃のほうが」
「それはどうも」
そして歯の浮くような気持ち悪い台詞は止めてほしい。ときめくから?ううん、うざったいから。剣もできるし人懐っこいし悪いやつではないんだと思うんだけど、どこか人とかけ離れたテンションについていけない。嫌いではないんだけどな。
「陛下がとっても羨ましいよ、貴女のような女性を手に入れるなんて」
「・・・あっそ」
レオナードの話は持ち出さないでくれ。返答に困るっつーの。
「いや、貴女こそ世界中の女性の妬みの対象なのかな?中心の国の王、茶髪と青い瞳の美丈夫、文と武の才に恵まれた彼の隣に立つのだから」
「そうかもね」
あたしじゃなかったら、手放しに喜んで王妃になったんだろうな。あたしはものすごく嫌で嫌で仕方なかったけど。諦めるまでどれだけ苦い思いをしたことか。
クロードはクルリと身体の向きを変え、あたしに向かってニコリと笑う。
「それから、私の妹がお世話になってるみたいだけど、どう?やっぱりローゼリアのこと嫌い?」
「ああ、そう言えばお前ら兄妹なんだっけ・・・。別にどうもないよ、あんまり会わないし」
そっか、とクロードは笑った。っと、噂をしていたら本人登場。木陰のところで一人蹲っている。
「じゃあ私はこれで失礼するよ。またね、美しい王妃」
ええええええええ、ローゼリアに挨拶くらいしてけよ!・・・・・ってもう遅かった。毎度のことながら嵐のように去って行ったクロード。取り残されたあたしとローゼリアはパチリと目が合う。
・・・ローゼリアの目が赤い。
「どうしたんだ?」
まさか侍女たちの嫌がらせ受けた?もしかしてシルヴィオに何か言われたんだろうか。
ローゼリアはあたしを見つめたまま視線を外さず、赤い目を隠そうともせずその場を動かない。あたしはなんだか心配で手を伸ばしたけど、その手は見事に叩かれてしまった。
「触らないで、わたくしに触っていいのは陛下だけです!」
「・・・あっそう。で、こんなところで何してるんだ?ローゼリア」
ローゼリアはうっと目に涙をためて、ハンカチで顔を隠す。
「・・・誰にも言わないでくださいますか?」
「うん。別に言う人もいねえし」
「実は―――――」
――――夜。
ヴィラの元に訪れたレオナードは抱きしめようとした手を払われて困惑していた。
「どうしたんだ?」
「・・・・やっぱりダメだ」
ヴィラの言っている意味がわからない。レオナードは問い詰めようとしたが、目に溜まった涙を見て心臓が止まるような錯覚を起こす。彼女を怯えさせるものの正体を考えたが、今日一日何か起こったと報告は受けていない。
「・・・ヴィラ?」
すがるような気持ちでヴィラの名を呼んだ。レオナードは彼女の拒絶を受けたことが未だに一度もなかった。しかし彼女は今、全身でレオナードを嫌がっている。涙を浮かべて、悲痛に耐える表情をしている。
「レオナードは何も悪くない。でも・・・ごめん」
「何を謝っているんだ。俺は・・・何かしたのか?」
違うと、ヴィラは何度も首を横に振った。ポトリと、一滴の雫が床に落ちる。
「して、ない。違う・・・違うんだ。悪いのはあたしだから」
「ヴィラは何もしていない」
「うん、わかってる・・・」
レオナードはどうすればいいのかわからず途方に暮れて、ヴィラが落ち着くことを祈るしかできなかった。彼女を抱きしめようとして、今度拒絶されたらもう立ち直れないかもしれない。
ヴィラは俯いて小さく息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、レオナード」
「なんだ?」
「前、どこにも行かないって約束したよな。あれ、なかったことにして」
ヴィラはもう目も合わせようとしない。レオナードは驚きを通り越して表情を作る余裕すらなかった。
「あたしを、自由にして。選べる自由をちょうだい」
レオナードに今わかることはただひとつ。ヴィラが苦しんでいること。そしてその原因がレオナードにあること。
自由にすれば、彼女はもう二度と戻ってこないかもしれない。もう二度と会うことすらできないかもしれない。レオナードはヴィラを手放せない。
けれど。
「――――わかった」
拒絶された、痛み。この痛みを味わい続けるくらいならば、ヴィラを失う痛みに耐えられるかもしれない。それにもしかしたら、また戻ってきてくれるかもしれない。例え戻ってこなかったとしても、レオナードはドローシャの国王、無理やり連れ戻すこともできるだろう。
彼女を守ると決めた。ヴィラを傷つける者は誰であろうと許さない。
―――――そう、例えそれが自分であろうと。
「・・・ありがとう・・・っ」
ヴィラは漆黒の鷲に化けると、以前のように落下することなく軽々と空に飛び立つ。
レオナードはヴィラが見えなくなっても、月の浮かぶ夜空をずっと眺め続けた。