第十八話 遠乗り
あれから数日経ったけど、ローゼリアが来てもレオナードの態度も一緒に過ごす時間も全く変わらなかった。そのことにあたしはものすごくホッとしている。ローゼリアには申し訳ないけど、やっぱりどんな形であれあたしにとってレオナードは大切だから、彼女に奪われたくないと思っていることは認める。
だけどこの気持ちを人に知られてはダメ。レオナードは王様だから、国のものであって決してあたしのものにはならない。それにあたしは百がいる。あの子をレオナードから守らなきゃいけないから。
だから、心に蓋をしよう。見て見ぬふりをしよう。大丈夫、あたしは大丈夫。
第二王妃が来てからヴィラの元気が少し無くなったような気がするのは俺の願望だろうか。相変わらず食事の時間はあの女に邪魔され続けているが、それ以外の妨害はなくヴィラの生活に変化はない。ただ時折不安そうにこちらを見上げてくる彼女が可愛らしく、遠慮がちに話しかける様子が初々しい。
「ヴィラ」
「どした?」
講義が終わった時間を見計らってヴィラの部屋に来ると、案の定彼女は寝起きだったらしく眠そうに眼を擦っている。さきほどルードリーフがげっそりした顔をして出て行くのを見たから、そうなのだろうとは思っていたが。
「明日から3日間休みが出来た」
「え″!珍しい」
昼間はほとんどないお互いの休みが合わず、2人でゆっくりできる機会がなかった。3日間あればヴィラも十分楽しめるだろう。
ただし、この連休には別の意味もあった。ジキルド・カトレアの処分が決まり決行する日は城が荒れる可能性があり、ヴィラをできるだけ安全な場所に移したかったのだ。もしもヴィラを人質に取られれば、俺はきっと手を出せないだろうから。
「ヴィラの予定も開けておいた。どこか少し遠くへ出かけようか」
「え″!いいの!?城の外に出ても!?」
ああと頷けば彼女は久しぶりに晴れやかに笑った。城の外に出るのは彼女が嫁いできてから初めてになるで嬉しいのだろう。
「で、どこに行きたい?」
「どうしよう・・・3日かぁ」
「いろいろな場所を見て回ってもいいが、疲れてるだろう?馬を飛ばせば少し行ったところに大きな湖がある。そこに別荘があるから、ゆっくりしてもいいだろう」
「湖って・・・もしかして人魚とかいるかなぁ」
「ああ、昔一度だけ見たことある」
ヴィラは楽しみでたまらないといった表情で、嬉しそうに抱きついてきた。彼女の放つ甘い香りが鼻をくすぐり、髪を撫でればさらさらと音を立てる。顎に手をかけて口付けようとしたが、廊下から足音が聞こえてきたためヴィラは慌てて離れていった。
3日間の旅行はなんと2人きりで、シルヴィオとアルフレットとローゼリアは留守番を言いつけられてかなり不満そうだった。あたしは悪いなあと思いつつ久々の外は嬉しくて仕方ない。警備は現地にいる別荘専属の兵士たちに任せるそうだ。必要な3日分の着替えを用意して外に出ると、目を見張るほど綺麗な毛並みの黒い馬が居た。
「あ、そういえばあたし馬乗ったことない」
浮かれ過ぎてすっかり忘れてた。
「俺の馬に乗ればいいだろう?」
「いや、めっちゃ恥ずかしいじゃんよ」
見送りに来たかなりの数の人たちに見られてるのに。レオナードは意外そうに片眉をはね上げて、あたしの腰に手を回すと無理やり馬の上に引き上げた。
うわっ・・・結構高い・・・。
横座りなのでバランスを取るのに必死になっていると、レオナードが軽々と後ろに座ってあたしの身体を支える。恥ずかしくて死ぬ!死ぬ!
「陛下、エルヴィーラ様、道中どうかお気をつけて」
ルードリーフが頭を下げると、城のみんなも彼に倣って一斉に頭を下げる。そんな中、一人だけ恨めしそうな顔をして突っ立っているローゼリアはかなり目立った。
「心配には及ばん、我々には神の子がついている。みなは留守の間城を守るように」
はっ、と皆は短く礼を取った。動きが揃ってる様は軍隊みたいですごいや。
レオナードがパンッと軽く手綱を動かすと馬が前に歩き出す。ゆっくり歩いていても身体に震動が伝わって大きく上下に揺れた。
「追手に付いてこられないようかなり飛ばすが・・・・大丈夫か?」
正直ちょっと怖かったけど頷く。のろのろ進んでたんじゃいつまでも着かないし、異教徒に囲まれでもしたら面倒だ。
レオナードはあたしの後頭部にキスをすると、それが合図になったかのように馬が駆けだした。風を切る感じはバイクに似てるけど、激しく揺れる馬はまるで何かのアトラクションみたいだ。通り過ぎて行く景色がそれこそ走馬灯のように駆け巡り、途中で一瞬天国が見えたような気がしなくもない。唯一の救いはあたしが落ちないようにレオナードの左腕が支えてくれていたこと。これがなければ、確実にあたしは落馬していたと思う。
「・・・空飛ぶ箒作ろう」
途中でぽつりと呟いた言葉はレオナードにも聞こえたらしい。彼は耳元で盛大に笑っていた。
大きな城下町を抜けるとあとはほぼ森の中を走る。道なき道とでもいうか、本当に馬一頭通るのがやっとなくらいの細い道。差し込む光に朝露が光る、そんな幻想的でロマンチックな自然だ。師匠の家がある森はいつも薄暗くてお化けでも出てきそうな感じだったし、幹がぐるぐると渦巻状になっている変な木がたくさんあった。それが普通だと思ってたんだけど、ちゃんとした森があってよかったと心底安堵する。
そして、2時間くらい経った頃湖が見えてきた。湖じゃなくてむしろ海だ。それくらい大きくて果てのない綺麗な青色の湖。太陽を映しキラキラと光る湖面は日本じゃなかなか見られない絶景だろう。それになにより水が淀みひとつなく澄んでいて、本当に人魚が居そうな感じがする。師匠からこちらの世界には人魚がいると聞いて一度見てみたいと思ってたんだ。
「着いたぞ」
後ろから聞こえたレオナードの声に顔を上げると、ちらりと立派な建物が見えてきた。
「・・・別荘?」
「別荘だ」
いや、別荘じゃない。城だろ。
外観はあたしが普段いる城の塔とあまりかわらない。それくらい大きくて立派な建物だった。自然の中に堂々とそびえ立つ姿は荘厳な雰囲気を醸し出す。
着いたら10人くらいの使用人たちのお迎えがあった。先に降りたレオナードの手を借りて馬から降りようとしたけど、地面に足をつけた途端フラフラする。
「少し休もう」
レオナードの提案はものすごく有難かった。案内されるままに建物の中に入り、あたしたちのために用意されたのは最上階の部屋。広くもなく狭くもなく、庶民育ちのあたしには嬉しい部屋だ。
着いてすぐあたしはベットに横になる。レオナードは苦笑して近くに座ると、いつものようにあたしの頭を撫でた。
「ここ、いいとこだな」
自然がキラキラしてる。空気が優しくて身体が軽くなる気もする。あたしはいつものように青い瞳に見守られて、だんだん重くなる瞼を閉じた。
陽が高くなってきた頃、目を覚ますと隣にレオナードが居てじっとこちらを見つめていた。
「あたしどれくらい寝てた?」
「半刻ほどだ」
思ったよりも時間が経ってない。ずっと馬に揺られてきたから、昼時なのにお腹は空いてないみたいだ。
降ってくるようなレオナードの口付け。くれるものは同じなのに、こうも静かな場所だとなんだか恥ずかしい。唇を離すと熱い吐息が交わって、レオナードは安心したように微笑んだ。
「少しは元気が出たようだな」
どういう意味だろうかと考えていると、レオナードは両手であたしの頭を包み込んで額を合わせる。
「第二王妃が来てから、少し元気がなかっただろう?」
うわ、バレてら。さすが何でもお見通し、王様で顔がよくて政治ができて剣もできるレオナード。気にかけてくれてることが嬉しいのと同時に、気付かれてたのが分かってものすごく恥ずかしかった。顔を背けて反対向きの体制に変えたけど、それでもレオナードは後ろから抱きしめてくる。
「そんなこと・・ない」
「そうか」
残念そうな声に胸が締め付けられるような感覚を覚えた。感情をうまく言葉にできない。だってあたしは何も知らない。
「わかんないよ」
わからないよレオナード。あたしは一体どうすればいいんだろう。家族のこととか、百のこととか、ローゼリアのこととか、いろいろな感情が交じってごちゃごちゃになる。
「何も考えなくていい。ヴィラはそのままでいればいい」
「うん・・・」
あたしは、あたしのままで。
結局あれから、ベットからは出してもらえずそのまま一日が終わってしまった。じとーーーっとレオナードを見れば、彼は焦ったように視線を反らす。
「せっかく人魚に会えると思ったのに・・・」
「・・・・悪かった」
「楽しみにしてたのに・・・」
「・・・・ああ」
ばかばかばか。と言いつつ断れなかったあたしもあたしなんだけどさ。レオナードは悪いとは思っているようだけど、反省しているようには見えない。それがまたムカついて、レオナードの腕の中から逃れるとベットの端までころころ転がった。彼の眉間には不満そうにしわが寄る。
「明日は、絶対行くからな」
「わかってる」
「約束する?」
「約束しよう」
頷かせたところで、もう夜中だけどご飯を食べようと服を着終わったとき。
ゴンゴンゴン
と乱暴なノックが聞こえて、レオナードが扉を開けた。飛び込むように現れたのはこの別荘の人らしく、恐怖におびえたような表情で早口に喋った。
「大変です!襲撃を受けてます!」
「慌てるな、きちんと説明しろ」
至極落ち着いた様子のレオナードに、使用人も深呼吸して今度はゆっくりと話しだした。
「今この家は敵に取り囲まれています。数は約5万ほどかと」
「え″」
軍が動いた?
何つー数だよ、こんな森の中に。
「もうすぐこの家に侵入してくるでしょう。その前になんとかお逃げくださいませ」
「取り囲まれてるなら無理だろう」
レオナードは厳しい表情で、しかしやはり冷静に言葉を紡ぐ。あたしは報告されただけじゃ現実味がなくて、なんとなく他人事のように聞いていた。明日人魚を見るのは無理そうだな・・・と思いながら。