第十六話 決意
あたしは森の奥深く、木の板でできたヘンテコな家の前に居た。
「また来たのかえ」
黒ずくめの師匠が籠いっぱいの薬草を抱えて帰って来た。ものすごく呆れたような顔であたしを見る。
「師匠・・・百の居場所、占って」
「何度やっても同じじゃ。わらわには分からぬ」
とりあえず中に入りなさいと、師匠に勧めて家の中に足を踏み入れた。変な形の時計、動物の剥製、緑色の煙を噴き出すロウソク、相変わらずごちゃごちゃした部屋に懐かしさを覚えて、あたしはお気に入りだった木の椅子に座った。
レオナードには話していないことがたくさんある。これもそのひとつだった。
魂を飛ばす魔術。どこでも好きな場所に移動できるが、それは精神体のみで本物の身体は眠りこけている。城のみんなはあたしが寝ているようにしか見えないだろう。ルードリーフの講義の時間は、こうやって魂を飛ばして百を探しまわっていた。師匠の家に来た回数ももう数えきれないほどだ。まああのレオナードのことだから、薄々勘づいてるかもしれないけど。
師匠はあずき色の変な顔が書いてあるマグカップをあたしに差し出し、肘をついて隣の椅子に座る。中身はお手製のハーブティーで、一口飲むだけで身体が温まる不思議なお茶。寒い季節はこれを好んで飲んでいたのを師匠も覚えていてくれたんだろう。
目の前の師匠は、美しい赤い瞳であたしを覗き込んだ。
「で、今度は何があったのかえ?」
鋭い師匠はもう何もかもお見通し。隠す気は全くないのですぐに話し始めた。
「・・・レオナード、怒らせちゃった」
「あの男を怒らせるなぞ・・・・何をしたんじゃ」
「あたしの所為じゃねえよ。だってレオナードが、百を殺すって言うから」
師匠はわからない、というような顔をする。
「殺さなくてはならない原因がその女にはあるのかえ?」
「ない・・・と思う。あたしもなんでそんなこと言いだしたのか、さっぱりわかんねえ」
レオナードが全然わかんない。わかんなくてもいいんだけど、百を危険にさらすことだけは絶対に避けたい。だからあたしは彼よりも先に百を見つけだす。
あたしが考え込んでいる間に、師匠は長い爪でテーブルに文字を書き始めた。
「お前は特殊な性格だからのう。内には優しく、外には関心がない」
「どういう意味?」
「モモとかいうヴィラの友人はお前の内側の人間じゃな。例えるならば母性のような絶対的な愛、身を粉にして守ろうとする存在。しかし外側にはまるで無関心、どうなろうと他人事、殺すことも厭わぬ残虐性はそこから来ておるのじゃろう」
「言われてみればわかんないこともないけど、それとどう関係あんだよ」
師匠は一息つくと、呆れたような困ったような微妙な表情で続けた。
「あの男・・・新しい王も昔から変わった性格でのう。全く他人に心を砕くことをしない。そんな奴が怒ったということは・・・・そういうことじゃ」
そういうことってどういうことだよ!
曖昧に濁す師匠は相変わらず不思議な人だ。いつもそうなんだけど、彼女ははっきりと教えてくれない嫌いがある。
「ふむ、あの男はのう、お前にとって自分がどの位置にいるのかわからなくて焦っておるのよのう」
「どの位置って?」
「内側か、外側か、あるいはその間か。内側にいる友人に妬いたのじゃろう。ほほほ、可愛いではないか」
「妬くってあのレオナードが?ないないないない、あり得ない」
「そうかえ?あの男も所詮はただの人間。今までその才故に手に入らぬものなどなかっただろう。だからこそ手に入らぬものをどうしてよいかわからないのじゃ」
ますます分からない。レオナードはあたしを手に入れたじゃないか。約束もしたし、あたしだってもう逃げるつもりはない。
師匠はやさしい目であたしを見た。赤い瞳は燻ぶるように燃える炎に似た暖かさがある。
「せいぜい悩めばよい。ヴィラはもうそろそろ、人が持つ当たり前の感情を覚えるべきじゃ」
「・・・そんなのわかんないよ」
あたしには百がいる。それで十分だろ?
城に来て初めて失敗したかもしれない。魂を飛ばした状態のまま迷子になってしまった。魂が迷子になったんじゃなくて本体の方が迷子だ。
ルードリーフの講義が終わる時間に戻って来たんだけど、なんと身体がどこにもない。本体の安全が確保できるからこそ魂を飛ばせるので、もちろん術を使うタイミングや時間は計算して行っている。ルードリーフの講義には必ず時間が決められていたし、そばにシルヴィオも控えているので安心して飛ばせていた。
のに。
どこだよ身体ぁ~~~~!!
部屋にはルードリーフもいないし、隣のレオナードの部屋にもない。特に不審な人物が出入りした形跡もないので、どこかにあるんだろうと城中をウロウロして探しまわってみる。
そしていつの間にか6時間以上経ち、どっぷり日が暮れてしまったころ。あたしはついに本体を発見した。・・・・・レオナードの執務室のソファに。
ヤダヤダヤダヤダ、戻りたくない!ただでさえ昨日怒らせちゃったレオナード。さすがに愛想を尽かされてしまったのか、昨日の晩は会いに来てくれなかった。朝食も一緒に取らなかった。
つまり、あれから会うのは初めてで・・・ものごっつ嫌なんだけど!でもなんで身体がここにあるんだろう。レオナードは黙々と政務に励んでるし。
でもそろそろ戻らないと怪しまれる。いや、もう十分怪しまれているんだろうけど、いつまで経っても戻れないのはちょっと困る。あたしは腹に力を込めて気合いを入れると、元の身体に魂を戻した。ソファで横になってる感覚が戻ってきて、あたしはゆっくりと目だけ開けてみた。できればこのまま、レオナードに見つからずに部屋に戻りたい。
そろりそろりと起き上ろうとしたが、ガタンとイスから立ち上がる音がして慌てて横になった。レオナードの近づいてくる気配にダラダラと冷や汗が流れる。
「ヴィラ、やっと戻ったか」
「う・・・・・」
バレてるし・・・。
恐る恐る目を開けると、青い瞳があたしを見下ろしていた。もう怒っている様子はない・・・のかな?
「おかえり」
あ、いつもの優しいレオナードだ。もう二度と言ってくれないと思っていた言葉をくれて、レオナードはあたしの身体を起こすと彼の膝の上に乗せた。
たった一日会っていないだけなのに、ものすごく久しぶりな気がする。触れた唇がものすごく優しくて柔らかい。
「お腹は空いてないか?」
「う・・・うん、ちょっとだけ」
レオナードは手を伸ばすとすぐそこにある水差しからコップに液体を注いだ。水ではないらしい黄緑色の液体をあたしに手渡す。
「侍女たちがお前のために用意した特別な煎じ茶だ。栄養があるから飲みなさい」
ちょっと口をつけるとほのかな苦みと甘さが口の中に広がった。味は日本の緑茶に似てるけど、いろんな薬草を煮詰めて作ったらしい青汁に近い感覚だ。
「種湯と言って子宝に恵まれるらしく、よく子どもを望む夫婦が飲むお茶だ」
ブフォッ
と盛大にレオナードの顔に噴き出してしまい、あたしは慌ててフキンで彼の顔を拭った。
「ご、ごごごごごごごごめん!」
「・・・・・」
レオナードの無言が逆に怖い。せっかく怒りを鎮めてくれたのかなと思ったのに、また怒らせてしまったかもしれない。拭いても拭いてもレオナードはじいっとあたしを見つめたまま。あたしはどうすればいいかわからずにあわあわしながら謝り倒す。
「ごめん、ほんとごめん噴き出しちゃって・・・そうだ、服・・・服をっ・・・」
濡れた代わりの服を探そうと立ち上がりかけたが、腰にしっかりと回された腕は力を緩めてくれない。
「気にしなくていい。大して濡れていない」
「そうか?」
よかった、怒ってないっぽい。
あたしはレオナードに残っているお茶を飲むように促されて、仕方なく一気に飲み干した。久々に胃の中に物を入れたけれど、飲み物だったので大丈夫なようだ。
邪な意味ではないんだけど、レオナードは無駄に顔がいいから傍にいるだけでドキドキする。触れられるだけで心臓がざわざわと騒ぎ出す。精悍な顔つき、少しだけ日焼けしたような色合いのきめ細かい肌、ほどよく筋肉のついた身体は女のあたしから一言で言わせるとエロい。うん。
レオナードならどんな女でも喜んで嫁に来るだろうに。王様だし、優しいし、普段は無愛想だけど欠点なんてほとんど無いんじゃ?果たして本当にあたしが嫁いじゃってよかったんだろうか。まあ、王様だから他にも嫁が来るんだろうし、そういう情報はもう耳に入っているからもうすぐなんだろうけど。
だけど、胸が騒ぐ。
「どうした?」
「なんでも、ない」
だけど、どうしようもなく心が痛い。
新しい妃を迎えることになった。相手をするどころか考えるだけで面倒だったが、貴族会の全会一致で勧められたため受け入れることにした。彼らが言うには、ヴィラとの不仲が他国の耳にも入り醜聞になっている、とのこと。もちろん全ての人がいい顔をしたわけではない。あれほど教育係りを嫌がっていたルードリーフは眉間にしわを寄せていたし、アルフレットは仕方ないとでも言うようにため息を吐いた。
肝心のヴィラは、「ああ、知ってる」の一言で済まされた。嫌がってくれるんじゃないかという期待は見事に打ち砕かれたが、彼女が心を痛めなくてよかったとも思っている。
最近ヴィラはバレたのをいいことに、堂々と俺に身体を預けてどこかへ行く。どこへ行っているのかは聞かされていないが、必ず帰ってくるので特に不満があるわけじゃない。それに彼女が帰って来た時、「おかえり」というと嬉しそうに微笑む表情があまりにも綺麗で、俺にとってもひとつの楽しみになっていた。
「んふぇ、くろおろがろうしてもやりふぁいっれいうはら」
「口に物を入れたまま喋るな」
そしてよく食べるようになった。これにはシルヴィオもアルフレットもかなり安堵したようだ。
「ん・・・クロードがね、どうしてもやりたいっていうから」
「何をだ。もう少しわかりやすく話せ」
「だーかーらー、あのセクハラ王子が王妃軍の軍師になりたいっていうからーやらせてあげようと思って」
「人となりは保障できないが、身分と実力は確かだ。反対はしない」
「ふーん」
相変わらず人前で心を許そうとしないのはお互い様。仲が悪いという噂も特に否定はしなかった。ヴィラは単に興味がないからで、俺はその噂が便利だからだ。彼女が権力を持っていないと思わせることで、ヴィラにあまり注視しなくなるだろうから。今回の件も、もしヴィラの隠れ蓑になるならば十分に利用させてもらう。
「ヴィラ」
彼女は果物を頬張ったまま返事を返す。
「んー?」
「明日、来る」
何かとは言わなかったけれど、ヴィラには十分伝わるだろう。
「ん、ちゃんと挨拶する」
あ、と思い出したように彼女は付け加えた。
「でも仲良くはしないからな」
「ああ」
例えヴィラの心が手に入らなくても、結局俺は彼女を手放せないだろう。ならば俺は彼女を守り続ける。全てのものから、彼女の全てを。