第十四話 溝(1)
彼女はかなり変わった女だと思う。
繰り返す愛情表現も、ヴィラはきっと理由を分かっていない。普通の女なら自分をどう思っているか問うだろう。しかしヴィラに対する俺の気持ちも抱えている想いも何も知らないはずなのに、それを彼女は考えようともしないのだから。きっと疑問には思っているのだろうが、それを悩まない彼女は本当にタフでマイペースな女だ。
揺るがない芯の強さを持ったヴィラ。最初は面倒だと思ったがいつ見ても飽きない彼女を単純に“欲しい”と思った。―――――だから無理やり手に入れたつもりだったが、予想外なことにヴィラは簡単に諦め俺を許した。しかし彼女が許したのは王という立場ではなく、あくまでもレオナード個人であって王ではない。
人前と2人きりの時の態度が違うのはそれ故だ。人前では王と王妃として接する彼女は、やはりどんな形であれ王妃という枠から抜け切れないのだろう。たとえそれが不本意であったとしても。
思い知ればいいんだ。俺がどんな想いなのか、何を考えているのか、何故欲しているのか。これから生きる途方もなく長い年月を重ねて、きっとヴィラに教え込んでやろう。そして身体だけでなく心も自分のものにしようと決心したのは、彼女が矢に射られた剣技大会のとき。
ヴィラはなぜ俺が心臓を貫かれるほどの痛みに襲われたか、全く分かっていないようだった。ただいつもと違う俺を不安そうに見上げて、ここに居ることを約束して。
今はそれで十分かもしれない。けれどヴィラ、お前は籠の中で思い知るべきなんだ。俺がどんな想いでお前を見ているのか。
仕立て屋に頼んで出来上がった私服を侍女たちと一緒に見て楽しむ。なんだか友達同士で買い物に来たような気分だ。
「まあ、こちらのお色素敵ですわね」
「結婚祝いにオーティス王国からいただいたブローチとこの服はきっと合うと思いますよ」
昨日の剣技大会で怖がってもう近づかなくなるかな、と思ったけどそれは正反対だったらしい。侍女たちはいつも以上に顔を輝かせて、あたしを見る目に熱が籠っていた。やっぱりこの国、ちょっとおかしくないか?
「まあ、綺麗な青。陛下の瞳の色と同じですわね」
「こちらも散りばめられた宝石がとてもオシャレだわ」
レクサスさんの作ってくれた服はどれもすごくいい。街の女性が着るような簡単な服ではなかったけど、ドレスなのにどれも着やすく動きやすそうでとても軽い。人前に出るのが恥ずかしくなく、かつ普段から着られるデザインはなんだかレクサスさんらしくて少し笑えた。
「さっそく今日の服はこの中から選ぼうか」
「じゃあわたくしはこれがいいと思います」
「いや、これの方がいいわよ」
侍女たちは我先にと気に入った服をあたしに差し出す。結局どれを着たらいいかわからなくなったところに、誰かが部屋をノックして入って来た。レオナードだ。さっき朝食を終えたばかりなのに、戻ってくるなんて珍しい。
「話がある、来い」
どこまでも偉そうなレオナードはいつものレオナードだ。あたしは渡された服を置いてシルヴィオに留守番を言いつけると、簡単なワンピース姿のままレオナードについて行った。広い廊下は2人きりなのに終始無言。向かっている方向からいって執務室かな?と思っていたら、レオナードがこちらを見て腰に腕を回した。急に身体が密着してびっくりする。
「なんだよ。こんなとこで気安く触んじゃねえ」
誰かに見られたらどうすんだよ!とレオナードを睨めば、彼は不敵に笑ってあたしの耳に囁いた。
「見られて何が困る?夫婦だというのに」
そして軽く触れるだけのキスをされた。廊下で、誰かに見られるかもしれないのに。こんの野郎!
拳を突き出して殴ろうとしたけれど、その手は突然現れたアルフレットに掴まれた。
「殴らせろーー!」
「魔女さん、どうどう。キスくらい許してやってくださいよー。こいつ禁欲生活送ってるんですから」
禁欲!?反対だろが!毎日毎日毎日毎日!!
ギギギギギと力比べしてる押し合い状態のあたしとアルフレット。全力を出してもアルフレットはなかなか動かない。悔しい。
「アルフレットと力が同等など・・・・笑えないほどバカ力だな」
「うるせえよレオナード!」
取っ組み合い状態をやめたあたしにレオナードが嫌みを飛ばす。アルフレットは嵐のように去って行った。もう殴ろうとはしなかったけど、プリプリと怒りながらやっぱり執務室に到着。中には誰もいない。
「で、話ってなんだよ」
あたしは勧められたイスに座ってレオナードを睨む。一方、レオナードもあたしと反対側のイスに座って真面目な表情であたしを見据えた。
「政治の話だ。難しいと思うなら無理に結論を出さなくていい」
「うん」
「この国には当然だが軍隊がある。一番大きな軍は近衛軍で規模は時期によって違うが約50万程度、これは世界的に類を見ない大規模な軍で国王の意のままに動かすことができるこの国の要となる軍だ。次に州・領ごとに軍が置かれている。州は国に属する警備軍隊だが、その下に位置するのは貴族が納める領ごとに置かれた軍・・・これは貴族の私軍になる。州軍は州の規模にもよるが大体3万から10万まで、私軍は規則で4万までと決められている。ここまではわかるな?」
たぶんわかった(かもしれない)ので頷く。
「何故こんな話をお前にするかというと、王妃にも軍があるからだ。王妃軍といって規模は約5万、近衛軍と比べるとかなりの少数軍隊だが第一王妃の独断で動かすことができる。また国王の一存で動かすことのできない、この国唯一の軍隊だ。お前が王妃になってから一か月近く経つが王妃軍に対する令が敷かれていないため、今は無駄な時間を持て余している。よって、もしヴィラが納得するならば王妃軍を有効活用するために、王妃軍に対する指揮権を他に委託する」
「つまり、あたしにしか動かせない軍隊がもったいないからお好きにどうぞって言えばいいわけね」
「そうだ」
5万の軍隊か。何かと戦おうと思ったら少ないけど、何かをするには意外と便利かもしれない。そうだ、百を探し出せるかも――――。
あたしはテーブルに身を乗り出す。
「あのさ、あたし探してる子がいるんだけど、その子を探すためにその軍を動かすことはできねえ?」
「もちろんできるが・・・探してる子?」
レオナードは眉間にしわを寄せて聞き返す。そう言えばレオナードにはまだ百のこと言ってなかったっけ。探すつもりならいつかは話さなきゃいけないし、いい機会だから全部話してしまおう。
「あたしがこっちの世界に流されたとき、もう一人一緒に居た友達がいたんだ。百って言って、すごくドジな子なんだけどまだ探せてなくって」
「お前に友達・・・?」
「なんだよ、何か変かよ」
「いや、ヴィラは誰かに干渉されるのを嫌うから親しい人はいないと思っていた」
う、まあまあ当たってる。確かに向こうの世界でも友達は百しかいなかったし、欲しいとも思わなかったけどさ。
「・・・まあ、レオナードの言うとおり親しいって言うか、大切な人は百以外いなかったよ。家族と仲悪かったし、学校にもほとんど行ってなかったし。性格は正反対だったけど、とても大切な子なんだ。
あたし結局ここから出ることはできないけどさ、軍を使ったら百を探すことも可能だろう?」
レオナードは厳しい顔をしてあたしの話を聞いていた。そしてゆっくりと頷く。
「お前さえ望めば王妃軍を動かすことができる。俺は王妃軍には一切干渉できないからな。だが、その女を見つけ次第、俺はその女を殺す」
―――――――は?
あまりにもさらっと言われて、あたしは一瞬冗談かと思った。けどレオナードの厳しい表情は、冗談を言っているようにはとても見えない。
「なんで・・・」
声が掠れて上手く言えなかった。何故あの子を殺す必要がある?レオナードになんの危害がある?
「お前の心の中を巣食う存在はすべて消す。もしお前がその女を忘れられるならば手出しはしない・・・が、できないだろう?」
できない。できないさ。あたしはあの子の無事をなにより願っている。この世界の人々全ての命よりも、百の命の方が何倍も大切なのだから。
「そんな存在は許さない。お前は俺のものだ」
怖い。
今までのピリピリとしたオーラを纏ったレオナードの怖さじゃない。ヘビに睨まれたカエルとでも言おうか、圧倒的絶対的に強い相手に対する畏怖で身体の身動きができない状態の怖さ。今のレオナードの怖さはまさにそれだった。レオナードが言うのだから、きっと彼は実行するだろう。百を殺すだろう。彼の本気から百を守る術をあたしは持たない。世界の覇者、50万以上の軍を持つ彼を誰が止められるだろうか。
「・・・あんまりだ」
あたしは足早に部屋を出た。今はこれ以上、レオナードの顔を見たくはなかった。
夜中、人の気配がして目を覚ました。誰かは見なくても分かる。レオナードだ。こんなときくらいそっとしておいて欲しいけど、そんなことレオナードに言っても聞いてくれないだろう。
覆いかぶさる人影を睨む。
「起きたか」
「レオナードの所為でね」
「それは悪かったな」
心にもないことを。毎晩、どんなに遅くてもあたしが寝ていても起こすくせに。
昼間にあんなことがあったから夕食時はピリピリしていた。にも関わらず、2人きりのときの彼はものすごく優しくて甘いままだ。息をする間もなく降ってくるキスに、あたしはぎゅっときつく目を閉じた。
あたしはどうすれば百を守れるんだろうか。きっとレオナードに泣いて懇願しても、考えを改めてはくれないと思う。レオナードの性格はなんとなくわかってきたけど、あたしには理解できないところがまだあるから。
あたしの所為で百を危険にさらしてはダメだ。もしあの子もこの世界に居るのならば、レオナードよりも先に接触して安全な元の世界に返そう。百は嫌がるかもしれないけど、それしか方法はない。
ここに居るって約束するから、逃げないって誓うから、あたしから百まで奪わないで。
「レオナードっ」
「ヴィラ・・・」
ふやけてしまいそうなほど甘い声に騙されてしまいそうになる。だからあたしは自分を叱咤して、溺れそうになる自分を引きとめた。しかし、そんなあたしの心をレオナードは見透かしたらしい。
「構えるな。全て忘れろ」
そんなことができたらどんなに楽か。レオナードの優しさに、身も心も全て捧げられたなら王妃として必ず幸せになれるだろう。
けど、あたしには忘れられない、あの辛さと悔しさともどかしさを。あたし達が受けたあの苦しみを。