第十三話 剣技大会
人々は興奮し顔を輝かせて笑っていた。どういう仕組みなのか上から赤い花びらが降ってきて、まるで赤い雪が降り積もるように石造りの床を彩る。
「まるでお祭り騒ぎだな」
今日は剣技大会だ。
会場は以前結婚式で使った謁見室ではなく、あの会場よりも一回り小さい闘技場。2メートルほど上から試合を見下ろせる観覧席があり、あたしとレオナードは一番いいポジションに用意されたイスに座っている。
「祭りですからね」
無言のレオナードの代わりにシルヴィオが答えてくれた。この剣技大会は結婚式みたいに格式張っていないので気が楽だ。ただし、参加する剣士たちはガチガチに緊張している者もいるようだったけれど。
「シルヴィオやアルフレットは参加しねぇの?」
「オレたち騎士は参加できないんっすよ。剣技大会は国で一番強い者を決める大会ではなく、貴族のお遊びみたいなものですから。まあ一応ディッチ左将軍やフォーゲル右将軍とか将軍職のやつも出るんで上位争いはかなり厳しいですけどね」
「へえ」
じゃあ参加するのは貴族ってことか。
おっと、セクハラ王子を参加者の群れの中で発見。あいつも出るんかい。
「始める、下がれ」
レオナードの無愛想な声にシルヴィオとアルフレットがサッと後ろに下がった。立ち上がって軽く手を上げるだけで、会場がしんと静まり返る。なんだか魔法みたい。
「これより剣技大会を開催いたします」
声を上げたのは結婚式で司会をやっていた人と同じ人のようだ。黒っぽい茶色の髪の、どこか荘厳な雰囲気を持った男。顔立ちは整っているけれど、どこか厳つくって人好きされるタイプではない。
あたしは扇で口元を隠すと、レオナードにしか聞こえないほどの小さな声で訊ねた。
「ねえ、あれ誰?」
「ジキルド・カトレア財務長官だ」
「ああ、ニーナのお父さんか」
言われてみれば顔は似てないけど髪色がそっくりだ。
「彼は保守派の幹部だな。頭が切れて仕事はできるがあまりいい噂はない。ニーナ・カトレアの父親だけあって、祝福の杯の事件で一番怪しいのはあの男だ。近づくなよ。
逆にあの金髪の男がフェルディナンド・オルドリッチ宰相。政庁のトップで革新派の筆頭。保守派との折り合いは悪くないが、なぜかカトレア財務長官とは犬猿の仲だ。
他には、あの深緑の髪の男・・・あれがドラーグ・ディッチ左将軍。ちなみに左将軍は軍のトップのことだ。クロード・フォーゲル王子は右将軍だがそれは軍のナンバー2になる」
レオナードはわかりやすく丁寧に説明してくれた。名前がたくさん出てきて覚えられそうになかったけど。
っていうかさ、この国“ド”がつく人多くねえ?レオナード、ルードリーフ、クロード・・・ほらね。
「なんで名前にドが多いんだ?」
「この国で貴族生まれの男には“ドローシャ”の国名にあやかって“ド”の音、またはそれに似た音を名前につけることが多い。女には“ラリルレロ”の音をつける。決まりではなく文化だ」
ほお、面白い。つまりは、日本で言う~郎とか~子の貴族バージョンみたいなものなんだな。
「ん?ってことは名前にドがつくレオナードも貴族出身?」
レオナードも国王に選ばれる前は普通の人間だったわけで(だと願いたい)、普通の生活をしていたはずだ。農民出身とかだったら似合わなすぎて笑えるけど。
「・・・一応は。それより試合を見なくていいのか?」
あ、話逸らした。
「試合見ながら話してるから問題ない」
っていうかつまんない。あたしも参加したかったな。鉄パイプさえあればなんとかイケそう。
レオナードの試合は本当に最後の最後らしく、暇だったのでレオナードと小声で話しばかりしていた。一応政治の話だったけどわかりやすかったので暇つぶしになるし、観覧席のほとんどが歓声と拍手を送っていたので全く声は響かないし。
一方クロードとか言うセクハラ王子は順調に勝ち進んでいるようだった。まあ、軍のナンバー2なら勝たなきゃおかしいんだろうけど嫌だ。
そんなこんなで、結局最後のトーナメント決勝戦は左将軍対右将軍の将軍対決になる。10分間の戦いの末、ふらついた一瞬を逃さなかった左将軍が勝った。さすが決勝戦だけあって一番見ごたえがあったしいい勝負だった。
大歓声の中、カトレア財務長官が今までで一番大きな声を出す。
「勝者、ドラーグ・ディッチ。次の試合は前回の優勝者であるレオナード・・・様と対決していただきます」
うん、一応王様に呼び捨ては無理だね。
次が試合なのに当の本人は悠長に座っていたから何してるんだと思えば、彼は名前を呼ばれた途端立ち上がって下に飛び降りた。いやいや、猫じゃあるまいし危ねえから普通に行けや!
国王の登場に会場が沸いた。彼の剣の腕前は例年の剣技大会を見た者なら誰でも知っている。レオナードのことを“剣豪”と讃えの始めたのは僅か24の時に彼が剣技大会で優勝してからであった。それ以来一度も優勝者の座を他に与えたことはなく、王座に就いた今でも大会に出場している。
人々は持ち場についた国王の凛々しさにため息を吐き、次に観覧席に座っている王妃を見て頬を染めた。聞く先々で2人の不仲の噂を耳にするが、見目が良いのでお似合いだと思っている人は意外と多い。最も、今日も王妃の顔は仮面によって隠されていたためほとんどの者は素顔を知らないが、この世のものにあらずと讃えられる美しさを疑う者はいなかった。
「試合、始め」
誰もが口を閉ざし、試合に魅入ったためシンと静かになる。金属のぶつかる音と人々の息を飲む気配で包まれた会場は、今までの熱気を感じさせないほど空気が張り詰められていた。国王の相手のディッチ左将軍も実力は確かだが、剣に詳しくない素人でも両者の力の違いは明らかだ。
ひと際甲高い金属音が鳴り、左将軍の手から剣が無くなったところで勝負は終わった。
「勝者、レオナード陛下」
割れんばかりの歓声と悲鳴に似た黄色い声が沸いた。
勝ったというのにレオナードは嬉しそうな表情はせず、厳しい顔のまま愛用の剣を鞘に戻し踵を返したそのとき。
―――バシュッ!
と重たい音が響いてヴィラの細い身体を何かが貫いた。
先ほどの歓声よりもずっと大きな悲鳴が会場に響き渡り、シルヴィオとレオナードは驚きと恐怖のあまり足が動かない。
“矢”を射られたヴィラに、誰もが死を予想した。
が、予想に反してヴィラは顔色一つ変えることなく自らの胸を貫いた矢を見るように俯き、戸惑うことなくそれを引き抜いた。手の中に収まった血だらけの矢は、ボッと火がついて白く細い手の中で燃え尽きる。矢が刺さっていたはずの胸からは全く血が流れていない。
そして紅の引かれた口は美しい弧を描いた。
「どうやら面白い余興が出来たようだ」
会場には音一つなく、ヴィラの艶のある声だけが響く。アルフレットが捕えたヴィラに矢を放った犯人は、後ろで手を掴まれたまま中央に引きずり出された。銀色の鎧を着た普通の兵士の格好。しかし手には黒地に金の刺繍が施されたブレスレットを身につけている。
「さあて、どうやって殺そうか。・・・そうだ、優勝祝いにレオナードに決めさせよう。切り刻むか、穴を開けるか、焼くか、煮るか、埋めるか」
レオナードは無表情で観覧席に居るヴィラを見上げ、抑揚のない低い声で言った。
「切る」
一瞬だった。レオナードの剣が弧を描き、取り押さえていた犯人の身体が2つに分裂する。まともに返り血を浴びたアルフレットは肩を竦めて顔についた血を手で拭う。
闘技場を去るヴィラとレオナード。王妃の魔術と残虐さを目の当たりにした観衆は真っ青な顔で見送った。この国で国王と王妃の言葉は絶対であり、彼らの一言で自分も床に血を流して横たわる死体と同じ運命を辿る可能性があるのだ。
お祭り騒ぎの剣技大会は、恐怖と一人の異教徒の死をもって閉会した。
あーびっくりした。
レオナードの試合が終わったと思ったら、どこからか矢が飛んできて避ける間もなく心臓のど真ん中にズドン。すぐに傷塞いだけど皆の視線が痛かったので、犯人を始末するとレオナードと2人でさっさと部屋に戻ってきた。
けれど、戻ってきてからレオナードは背を向けて頭を抱えたままこちらを見てくれない。
「レオナード?」
「・・・心臓が止まるかと思った」
絞り出すような小さな声。仮面を外して広い背中に抱きつけば、大きな身体が少しだけ震えているのがわかった。
―――心配してくれたの?
あれくらいで動揺するなよと思ったけど、誰かが自分の生を望んでくれることが嬉しいとも思った。あたしは生きてていいんだって、そう言ってくれてる気がした。
「もう助からないかと・・・死んだかと思った。矢が刺さって、血が・・・」
あたしはレオナードを無理やりひっくり返してこちらを向かせた。青い瞳があたしを見て大きく揺れる。子どもに言い聞かせるように、宥めるように言った。
「あたしは魔女だ」
レオナードが視線を逸らそうとしたから、あたしは顔を掴んで近づけた。
「あたし死なないから・・・」
だから悲しまないでよ、あたしは生きてるじゃんか。そんなに辛そうな顔してたら、あたしまで胸が痛くなるじゃんか。
「ここにいるって約束するから」
もう逃げないから。絶対に死なないから。レオナードは、いつもみたいに偉そうな顔をしてくれればそれでいい。それ以上辛そうにしないで。あたしはずっとずっとここにいるから。
「・・・当たり前だ」
今度逃げたら殺してやるって、物騒なことをレオナードは呟いた。なんて自分勝手なやつだと思ったけど、ちょっと微笑んでくれたので良しとしよう。
顔中に降ってくるキスが温かくてくすぐったい。あたしを見つめる瞳が熱っぽくて恥ずかしい。だけど・・・・・嬉しい。
レオナードは矢に射られたため空いたドレスの穴を掴み、そのまま真っ二つに引き裂いた。上半身が露わになったので、肘でレオナードの頭を小突くと片手で胸を隠した。しかしその手はレオナードの手によって除けられて、先ほど矢が刺さった場所を何度も愛撫される。
部屋は明るいし上半身は裸だし、恥ずかしいけどレオナードの好きにさせてあげた。執拗に繰り返されるキスで胸の中心に散る赤い華。あたしはレオナードの頭を抱えるように抱きしめ、彼の柔らかくて綺麗な茶色の髪を撫でる。
その行為に満足したのか、レオナードは胸から唇を離すと顔を上げた。視線と息がぶつかる。顔が近づく。けど。
コンコンコン
ノックの音にレオナードは舌打ちをしてあたしから離れ、上半身裸状態のあたしは慌てて隣の自室に駆け込んだ。隣室から聞こえる声の主はルードリーフのようだ。アルフレットだったらノックなしに入ってくるからまじでセーフ!
男は唇を噛んでワイングラスをテーブルに置いた。月明かりに照らされてキラキラと髪が輝く。
「さすがは魔女。矢を射られても死なぬとは、もはや人間ではないな」
「卿・・・」
隣に居る黒衣の美しい女は憂いを帯びた声で男に寄り添った。男は女の美しい黒髪を撫でると、さきほどよりも声を高くして機嫌よく言う。
「王妃さえ殺せば、キリエラ、お前を王妃の座につけられるんだ。そうしたらきっと陛下もお前に夢中になるだろう。美しいキリエラ、お前は王妃になって王を傀儡にするのだ」
「王妃を殺すのは・・・教義ではなく陛下を傀儡にするためなのですね」
女は黒目を小さくして驚く仕草をし、厳しい顔つきになった。しかし男は満足げに笑う。
「王を言いなりにすること、すなわち世界を我が物にすること。陳腐な世界征服も実現すればどれだけ素晴らしいことだろうか。しかも王妃は陛下とたいそう仲が悪いと聞く。亡き者にしてさしあげれば陛下もきっとお喜びになるだろう。そして・・・」
男はそっと腕を伸ばし、女の顎に手をかけた。
「お前は魔女。キリエラ、お前が次の王妃になるのだから」
女は瞳を大きく揺らした後、この上なく妖艶な笑みを見せる。血色のよい唇が薄暗い部屋の中でやけに鮮やかだった。