第十一話 セクハラ王子
まどろみながら目を開けると、青い瞳があたしを覗き込んでたから慌ててシーツの中にもぐった。触れ合う肌から感じる熱で全身が痺れるような感覚を覚える。頭を撫でてくれる手が優しくて、それは安らぎを与えてくれた。痺れと安らぎ、2つの相反するものを抱えても決して不快ではない。むしろ幸せ・・・なのかもしれない。
恐れていたことは実現してしまった。レオナードのそばにいることが心地よすぎて、いつか離れられなくなってしまうんじゃないかって、ずっと怖かったから。
「・・・最悪」
小さな独り言にレオナードはクスリと笑い、頬に唇を押し当ててきた。茶色の柔らかい髪が顔をくすぐる。いつもの怖いオーラなんて全くないレオナードは、色気の塊みたいなもので、まあ要するにかなり危険。こんなレオナードを城の皆が見ちゃったら、きっと政治の場として機能しなくなるんじゃないだろうか。彼の魅力にファンクラブどころか崇拝者まで出そうだから怖い。
「敵、また増えちゃうかな」
あたしがレオナードと仲良くなれば、貴族たちはうかうかしていられないだろう。あたしたちの不仲は有名だったみたいだから安心していただろうに。
「心配しなくていい。俺がなんとかする」
甘い、優しい、そして意外と甘えただ。お願いだからそんな顔してそんなセリフ吐かないでくれ。赤面しそう。
「そういうわけにはいかねえよ」
ここで生きていくならば、覚悟を決めなければならない。魔女として、王妃として、やるべき課題は山積みどころか際限なく天から降ってくる。異教徒の排除、貴族社会の統率、国内外の政治。あと、もしレオナードが許してくれるのなら百を探してみようと思う。ここが世界の権力の中枢だから、ここからでも見つかるかもしれない。
「あたしだってバカじゃないよ」
やるべきことはやる。
そう言ったらレオナードに「どうだか」と言われて、ムカツイたからデコピンしてやった。痛そうな音が響いたけどレオナードは怒ることなく、心配そうな目で懇願するように言う。
「それより、頼むからちゃんと食事を取ってくれ。痩せ過ぎだ」
「・・・・うん」
そういえば最近やること多すぎてロクに食べてなかったかも。ニーナの事件以来お茶会もやってないや。・・・・レオナードは心配してくれたのかな?
とっても不思議だ。あの何にも興味なさそうなレオナードがあたしを気遣ってくれて、あんなに嫌がってたあたしが当たり前のようにレオナードのそばにいて。歯車が狂ったのは、いつからだろう。
レオナードが分からない。魔女だからあたしを受け入れてくれた?あたしに利用価値はある?じゃあ優しくする価値は?
「どうして・・・優しくするんだ」
レオナードは意外そうに片眉を上げる。そんな表情も様になっていて、ちょっと悔しかったのは内緒だ。
「人が人を必要とするのに理由などない」
「何その哲学的な答え。わかりやすく言えよ」
「人は無意識に、求めているものを与えようとするものだ」
「余計わかり辛いんだけど」
「自分で考えるんだな」
意地悪な答えにムッとして顔を反らすと、後ろから抱き締められて余計に身体が密着した。レオナードの身体はいつも温かい。
「予感は当たっちゃったな」
「予感?」
これから忙しくなるよ。うんとね。
朝食のときのこと。大人しく食べていたヴィラだったが急に口を開いた。
「本が読みたいっ」
どうしたんだ突然、と同席していたシルヴィオとレオナードとアルフレットは首を捻る。
「珍しいっすね、魔女さんが本なんて・・・」
「言っとくけど勉強のためじゃねえよ?」
「やはりな」
「なんだと!?」
レオナードの嫌味な言葉にヴィラが突っかかる。いつもの夫婦喧嘩にシルヴィオもアルフレットも安堵した。食事もちゃんととっているし、ヴィラはだいぶ元気になってくれたようだ。レオナードとの仲は相変わらず良くなさそうだったが、それが逆にいつもの風景なので2人の騎士は安心する。
「蔵書数は国立図書館が一番だが、城から少し離れてる。行くなら資料室だな」
「専門書ばっかりで楽しくなさそう・・・」
「何か文句でも?」
「そりゃある・・・いえ、ないです。はい」
慌てて訂正したヴィラは食器を片づけさせるようにヒラヒラと手を振った。シルヴィオが侍女を呼び、食器が次々と下げられていく。
「今から行く。誰か案内してくれ」
「じゃあ陛下が案内してあげてくださいよ」
アルフレットの提案にヴィラは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「なーんで、プライベートの時間までレオナードと顔を合わせなきゃいけねえんだよ」
「まあまあ、たまには夫婦でゆっくりするのもいいんじゃないっすか?陛下の政務も今日は少ない方ですし」
ねえ、陛下。と同意を求めたアルフレットだったが、レオナードに睨まれて口を噤んだ。眉間にしわを寄せた後、ため息を吐いてフォークを置く。
「まあ、いいだろう」
「別にアルフレット貸してくれればいいのに」
「アルフレットには別の仕事をさせている。手が空かないだろう」
ヴィラは頷くと立ち上がる。侍女にショールを渡され羽織ると、道を知らないにも関わらず我先にと歩き出した。
資料室とは言っても、国内で2番目の蔵書数を誇るそれは巨大な図書館だった。限られた人しか出入りできないらしく、他に人がいなくて安心しながらヴィラは手に本を取る。
「で、何を調べるんだ?」
「師匠が書いた魔術本がねー、どっかにあると思うんだけど」
それを聞いたレオナードとシルヴィオが魔術書を探し出す。あ、とヴィラは思い出したように付け加えた。
「師匠が言ってたけど、呪いがかかってたりする本もあるらしいから気をつけろよ」
一瞬2人の手が止まった。魔女であるヴィラなら呪いも大したことないかもしれないが、シルヴィオとレオナードにとっては未知の領域。
「あった」
その一言にホッとしたのは当然だろう。
ヴィラの手元には表紙が赤いベロア布でできた比較的薄い本があった。中は手書きで魔女ベルデラの癖字が並んでいる。ヴィラは満足そうに頷いた。
「あったあった。確かこれにワープの魔術式が載ってるハズ」
レオナードはワープという言葉で明らかに不機嫌になり、本を取り上げようか本気で悩んだ。ただでさえウロウロと予測不可能な行動をするヴィラに、これ以上足を与えたくない。
悩んでいる暇もなく、ひょっこりと現れた人物に皆の思考を持って行かれた。長い藍色の髪を後ろで括った美丈夫。にこにことご機嫌な様子でヴィラの前に進み出る。
「おや、もしかしてエルヴィーラ王妃?」
「そうだけど・・・」
誰だコイツ、と訝しげに見るヴィラに、彼はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「私は右将軍のクロード・フォーゲル。いやぁ、会えてうれしいなぁ」
馴れ馴れしい態度に不快を示したのはシルヴィオだった。2人の間に素早く身を滑り込ませようとしたが、クロードのほうが一枚上手だったようで、ヴィラの腰に手を回すと自分の方へと引き寄せた。あまりの密着ぶりに殴りかかりそうになったのはシルヴィオもレオナードも同じだ。
「殿下、ふざけるのは大概にしてもらいたい」
「ん?殿下って?」
「私は前国王の息子なのだよ。だから正確には元殿下になるんだ、王妃」
へえと好奇心旺盛なヴィラの表情が軽くなった。クロードはぱっと花が咲いたように笑い、ヴィラに身を乗り出して手を取る。
「やはり美しいね王妃!貴女は難しい顔をしていても凛々しく華やかだが、きっと微笑めばこの世で君の虜にならない男はいないよ」
「そりゃー、どうも」
普通の女性なら気圧されたり赤面するところだが、図太いヴィラは適当に受け流す。そんなところも気に入ったらしいクロードはますます笑みを深めた。
「いい加減離れろ」
レオナードの厳しい、むしろ怒っているような声にクロードはフフフと妖しい笑みに変える。
「陛下がご機嫌を損ねてしまったようだ。残念だが美しい王妃、今日はこれにて我慢することにしましょう」
気づけばクロードはヴィラにぶっちゅーーーーと熱烈なキスをしていた。唇で唇に、だ。ヴィラは目をパチクリとさせ、唇を離したクロードを見る。レオナードがスラリと剣を抜きとったその時、
「ヘタクソ」
ぽつりと呟いたヴィラの一言がクロードに雷を落とした。
今まさに殴りかかろうとしていたシルヴィオはプッと噴き出し、剣を振りかざそうとしていたレオナードの手が止まる。アルフレットが居たら間違いなく彼は身体をくの字に曲げて爆笑していただろう。
レオナードは王妃に手を出した不敬罪でクロードを処罰しようかとも思ったが、その気持ちは大きく削げてしまった。男のプライドを一瞬で粉々に粉砕する一言をヴィラは言ってのけたのだから。
「ま、満足していただけなかったようだね、王妃。次からは精進するよ。ではこれにて失礼」
クロードは引きつった顔をして逃げた。
シルヴィオがハンカチでヴィラの口をごしごしと擦る。
「まったく素晴らしいお言葉でございました、ヴィラ様」
まさかいきなり見知らぬ人にキスされ、怒ることも泣くこともせず感想を言うとは。そんなことができる女は世界中を探してもヴィラしかいないだろう。
「あのセクハラ野郎めベロチューしやがって・・・あたしのファーストキスを・・・」
「嘘をつくな。お前ほど男慣れした女を初めて見た」
レオナードはもちろんクロードの行った行為に腹を立てていたが、ヴィラのあまりの逞しさに咎めるタイミングを逃してため息を吐く。
「だってあたしの生まれ育った世界は性生活乱れまくってたもん。恋人じゃなくても性行為をする人はするぞ。だから結婚するまで貞操守るやつはほとんどいねえ。キスが挨拶の国もあるくらいだし」
シルヴィオは驚きに瞠目した。こちらの世界では女性の結婚前交渉はあり得ない。身分の高い者であれば遊び歩いている男性もいるが。
「元王子様ねぇ・・・」
「あまり関わるな」
「いや、関わりたくねえよ。あんなセクハラ野郎」
ヴィラは嫌そうな顔をして本を脇に抱え、部屋に戻るために踵を返した。