⑫追撃の冴木星良
◇
午後の授業も終わり、俺達のクラスは掃除の時間を迎える。
ゴミ箱を焼却炉に持っていこうとしたが、クラスメイトに何故か呼び止められた。
「あ、いえ、神代さんがそんな雑事をする必要ありませんわ。これは私がするので、神代さんは雑巾を絞るフリでもしていて下さいまし」
「………」
……絞るフリかよ?
一体、俺は何様なんだ?
何時から俺は、こんなお姫さま的立場になったんだっけ?
意味不明と首を傾げつつ、俺の代りにゴミ捨てに行った級友(とうぜん断ったが、頑として聞き入れなかった)を見送る。
それから雑巾を絞ろうとし(勿論フリではない)、その時、シーアが不思議そうに口を開いた。
《……そういえば、帝って男嫌いじゃない? でもその割に、昨夜は男性も居たのに、礼儀正しく接していたわよね? アレって、どういう事?》
《ああ、その事ですか。そうですね。確かに私は男嫌いだけど、切っ掛けになったのはほかのヒトとは無関係なあの変態です。なら、全く関係ないヒトにこの嫌悪感を向けるのはちょっと違う気がするんですよ。それじゃあ無関係な私を玩具にしようとしたあの変態とある意味同じでしょ? だから嫌いは嫌いだけど、一応最低限の礼儀は弁える事にしているんです。
腹ん中では、ヘドが出そうですが》
だが、俺が自身の哲学を語ると、シーアは謎の反応を示してくる。
《あの……前から思っていたのだけど、それは少し不味い気が》
《んん? 何で私が男嫌いだと、不味いんです? シーアさんに何か迷惑かけましたっけ?》
もしそうなら謝罪する用意はありますよ、と心にもない事を告げる。
何故かシーアは、引きつった笑いを浮かべた。
《いえ、この先、具体的には社会に出た時、不利益を被るかもしれないじゃない? 今はバレてないから良いけど、社会に出た後、明るみなったらどうなるかしら? 出世とかに支障がでるんじゃ……?》
《はぁ。言われてみればそうですね》
仮に俺の直属の上司が男だとすれば、自分達を毛嫌いする俺に良い貌はしまい。
寧ろ、冷遇の一途を辿る事になるかも。
確かにそれは、面白くない。
《ではどうしろと? まさか私に男嫌いを克服しろとでも言うんですか、シーアさんは?》
で、こんなやり取りをしている時、また唐突に背後から話しかけられた。
冴木星良が、〝お前はマジでエスパーか?〟と絶叫しそうな事を言い始めたのだ。
「そういえば帝って――男のヒト苦手だよね?」
「……は?」
「って、何その反応? まさかバレてないと思っていたの? しかも、ちょっとってレベルじゃないよね? 敬吾さんからも一定以上距離をつめないし。敬吾さん、それに気付いていて、だから凄く傷ついているよ」
「………」
そうだったのか?
瀬谷敬吾には、俺の嫌悪感が伝わっている……?
「うん。昨夜、敬吾さん私の教会に来て、懺悔していたし。〝神様、俺、神代に対して何か悪い事しましたか?〟って」
手にした箒をグルグル回転させながら、冴木星良は言い切る。
俺が思いもしなかった事を、ハッキリ断言していた。
つーか、〝私の教会〟って、何時からあの教会はお前の物になった?
一応、お前の両親の所有物だろ、あの神の家は?
「……というより、良いんですか? そんな第三者の懺悔の内容を、バラしたりして?」
「あー、私、別に神職に就いている訳じゃないからねー。偶々聞いちゃった話をバラす分には問題ないよ」
「………」
……いや、問題大ありだろ?
やはり〝女子に秘密を聞かれたら、それはもう周知されるから覚悟しろ〟いう話は本当らしい。
「そんな訳で物は相談なんだけど、帝――男性嫌いを克服する気とかない?」
「………」
……一致していた。
今、シーアさんと冴木星良の意見は、完全なる一致をみせていた。
「……はぁ。ではお聞きしますが、具体的にはどうやって?」
「うん。我に秘策あり! という訳で帝は放課後、私につき合ってもらえるかな?」
厭な予感しかしねー。
そうは思いつつも、俺は一考する。
この時、俺は迂闊にも、彼女に対して僅かな隙を見せてしまったのだ。
「わかりました、良いでしょう。なら――お手並み拝見といこうじゃありませんか」
故に冴木星良同様、上から目線で俺は彼女の申し出を了解する。
偶にはこういうのも悪くはないだろうという、軽い気持ちで。
こんな有り触れた日常が、もうすぐ終わりを告げると――知らされぬまま。
◇
ではここで、俺の目線で見た冴木星良について少し語ってみよう。
冴木星良は、俺の幼馴染の一人だ。生まれも育ちも白波町で、先述通り彼女の実家は教会である。
ただ『異端者』は神の存在をほぼ信じていないので、信者は町外の人間が殆どである。
実の所、俺も教会がどうやって生計を立てているかは知らない。
謎と言えば、謎だ。
冴木家がどう暮らしているかは、本当に謎である。
寺は檀家があるから生活は成り立つが、教会はどうやって稼いでいるのかまるで分からない。
一度それとなく冴木星良に訊いた事があるが、彼女は意味ありげな笑みを浮かべただけだった。
〝そっかー。帝は私の事をそんなに知りたいのかー。でも、ダーメ〟とドヤ顔でぬかしていたのを今でも忘れていない。
その冴木星良だが、昔はよく遊んだが、俺がこうなってからは、若干距離をおくようにしている。
冴木星良は勘が良いので、余り関わると俺の正体がバレそうな気がしたから。
それでも小、中、高と同じ学校である俺達は、紛れもなく腐れ縁で結ばれている。
冴木星良は小学生の頃から、殆ど変っていない。
手先は器用だが、運動音痴という矛盾した側面をもつ。
好物はちゃんこ鍋で、何故かすき焼きを目の仇にしている。
小学生の頃は保健委員で、中学生は図書部に所属していた。
高校ではボランティア部に入り、彼女の人脈は俺に比べれば遥かに広い。
ボランティアをしている為か、対人能力が高く、さりげない優しさを見せる。
このさりげないというのがポイントで、彼女は決して押し付けがましい真似はしない。
いい例が高校一年の時の体育祭で、彼女はリレーの選手が足を挫いているのを一目で看破した。
それでも棄権する事は勧めず、冴木星良はそいつの患部をテーピングでグルグル巻きにした。
そいつが如何にリレーに賭けていたか知っていたからこその処置で、ある意味鬼とも言える。
現にそいつは案の定リレーでビリになってしまい、落胆する事になる。
〝それでも出ずに後悔するよりは、出て後悔する方が良かった〟とそいつが冴木星良に笑い掛けたのを覚えている。
いや、この時点でさりげない優しさの範疇から、はみ出している気がする。
それでも冴木星良はそういう奴で、彼女は友人達の意向を最大限尊重するのだ。
例えそれが友人達にとっていばらの道でも、真に友人達が望むならその選択を敬畏する。
それは厳しさと優しさを兼ね備えた、複雑怪奇な感情だと思う。
けれどそれが冴木星良という人物で、きっと彼女のそういう所に救われた人間は少なくない。
冴木星良は多くの場合、友人達の支えなのだ。
そのくせ幼馴染である俺に対しては、お節介な所がある。
先程の様に友人を増やせと囃し立てたり、食事を共にする事も多い。
俺は一人でいたいのに、よく考えてみれば何時でも其処には冴木星良が居た。
正直いえば、俺がいつ冴木星良を意識する様になったかは、覚えていない。
俺は彼女を好きになった瞬間を、知らないのだ。
ただ、何時の間にか目の端で追う様になっていて、気が付けば好きになっていた。
いや、もしかすれば彼女と関わっていれば、彼女を好きになるのは当たり前なのかも。
それだけの器量と器が、冴木星良にはある気がする。
こんな俺でさえ、特別だと思える存在。
孤独を愛する俺でさえ必要とする誰か。
白状すれば、それが冴木星良で良かったと――俺は心から思っていた。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
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