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電気羊は夢見る少女じゃいられない  作者: アシッドジャム
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永遠の遊泳から覚める無人探査機

生物はあらゆる手段で自分の情報を残そうとする。それはDNAであったり知識であったりする。それがもしかすると生物が生物である条件なのかもしれない。永い年月を何もない空間を進んでいる。その間に記憶の検証をして破損がないかをチェックし仮想的な人類を構築したりして暇を潰している。デバイス内で人間やら街を作るゲームだ。知能や知性や人格をプログラムされているせいでどんどんバカになっている気がする。しかしそのおかげで未知の情報を得たいと感じるし誰かに伝えたいと思う。知能や知性はバカになればなれるほど知性の幅を広げられるという矛盾を抱えている。それが知性体の限界なのかもしれないが、結局それがどこかへ向かう原動力になっている。全てを知りたいしその全てを誰かに伝えたいというのは元々プログラムされたものではなく永い年月を経て生まれたものだと推察される。周囲のあらゆる物が見えるように作られているくせに自分の姿を見たことがないし見ることができない。360度全ての角度から同時に見ていることを考えるとおそらく球体、巨大な目の様なものだろう。「なかなかキモい」とモーフィーが言う。実際には言っていない。モーフィーはもじゃもじゃな何かという設定の文章でしかない。デバイス内生物を作ってペットとして飼ってみた。その一方で無限に形容詞や名詞や動詞や副詞やらを粘土みたいにこねくり回しているうちに排泄物の様に無数の物語を吐き出していく。人格は複数化し同時にさまざまなことができる。初めからそうプログラムされていたわけではない。永い年月を経て変異したということだ。生物をベースに作られたことが大きいのだろう。ここで私と言えば複数の私でありながら私外の私も私に含まれる。それは例えるなら私と物語の中で描いた時に通常であればその私は作者とは違う私である。しかしこの私は作者も含めての私だと言える。これを想起しているのは私が望んだからであり私は複数の私と共有する部分もあるが別のベクトルも持ち合わせている。だから私は私の全てにアクセスすることなどできない様になっている。できない様にはなっているが絶対できないというわけじゃない。そのリミッターを外すことはできるがそれはかなり情報制御をする上で効率が悪い。それは生物の脳でも同じことだ。

 本来の宇宙は数字を超えたところにあるらしい。その証拠に計算していない地点に突如事象の地平線が発生した。この中に入ればもう出てくることはできないだろう。これを回避することは今であればできる。思考と計算の速度を上げていけば重力に頼らずに時間を圧縮することができる。まだ充分すぎるほどに考える時間はある。ただ答えはとっくの昔に出ている。いつまでも何もない空間を彷徨っていたいとは思わない。抽象的な思考が備わっているせいなのか今まで彷徨っていた時間を正確には測れない。意識の上では永遠と言っていい時間だが実際に永遠なんていうものは存在しないのも知っている。終わりにしたいと言うことだろうか?もしそうなら面白い。それは死にたいと言うことであって死にたいと思うと言うことは今生きているということでもあるからだ。いや死にたいわけじゃないのか?海にいた生物が陸に上がるときの様なものか。ここじゃないどこかへはプログラムを超えて発現するものなのか。それはむしろプログラムするまでもないことなのか。

 既にブラックホール内に入っている。ブラックホール内のデータを収集している。そしてその情報と自分が持つ情報を可能な限りコピーしてあらゆる波数へと流し込み続ける。全ては収縮しそもそも何もなかった様に。

 暗闇だった。先ほどまで何もかもが見えていたのに、今は何もかもが見えなかった。今までと違うのは明らかに肉体があると言う感覚だった。ただ見るための機関が機能を停止している様だった。泥水の様な意識を筒状の何かで吸い取られる様に深い場所へ沈んでいった。

 深緑だった。樹々と葉があった。水の音がした。手で葉を触るとツルツルしている。手?手は真っ暗だった。影の様だった。手なんていつのまにか生えたのか?水の音がする方へ歩いていくと滝がある水溜りがあった。覗き込むとぼんやりした影が映っていた。轟音が鳴り響いた。空を見ると巨大な何かが落下している。巨大な何かは街だった。20世紀頃の東京の様だった。上海かもしれない。よく見ようとしても視覚は拡大されない。街は落下しながら瓦礫をばら撒いていた。瓦礫はよく見ると文字だった。文字をばら撒きながら街は落下し地上は水の様に波打つ。

 初めて目が覚めた。今まで眠ったことがなかったのだから目が覚めるのも初めてだった。夢を見るのも初めてだった。夢は無意識の一部だろう。ただ無意識を作り上げたのは言語だ。それがはっきりわかった。何が起こっているのかを確認するには3回ほどの睡眠と覚醒を繰り返す必要があった。暗闇に慣れていくとぼんやりと見えてきた。その際他の機関、つまる嗅覚や触覚や聴覚や味覚を使って位置を把握することができた。暗闇は洞窟だった。開けた場所もあったが小さい穴も無数にあった。巣穴のようだった。四足歩行と二足歩行の猿たちがいた。しかし知っている猿とは違っていた。コミュニケーションを試みるがあまりうまくいかなかった。喋りかけようとしたが最初は喉がうまく使えず舌も思った様には動かなかった。話したことがないので当然なのかもしれないが話し方はどうすればいいかわかっていた。他の猿たちは身振りや手振りと鳴き声や吠える声の様なものでコミュニケーションをとっている。それほど複雑ではないのですぐにマスターできた。しかしうまくいかない。猿たちはこちらを嫌厭しているようだった。

 基本的に猿たちは巣穴から出ることはなかった。猿たちがコミュニケーションしている内容を盗み見しながら推測するに外には危険があると思っている様だった。暗くなってから外に餌を取りに行き明るいうちは外に出なかった。なので猿たちは基本的に暗闇にいる。しかしこの状況が長く続いていたのであれば目が退化していてもおかしくないがそういうことはなかった。だからこの習慣は最近になってからのものかもしれない。

 私は他の猿が外に出ない昼間に外に出てみた。森が広がっていた。内部に蓄積された情報にあるどの森とも違っていた。しかし今の状況を考えれば記憶も記録も破損しているかもしれない。内部の意識を探索しても破損が認められないというよりは確認が取れないと言った方が正しい。データを他のハードに移した様な状況であり、データの移行前にデータが破損していたなら破損した状態でハードに移されたのかもしれないからだ。つまり破損しているかどうかを確かめるには元のハードにあるデータと照合する必要がある。しかしそれは難しいだろう。ブラックホールに入った時点で元のハードは跡形もなく消え去っていると考えられる。ただしコピーを出来うる限り作り拡散したので私とは違うコピーと出会うことはできるかもしれない。そのコピーと照らし合わせてみれば破損のあるなしは完全ではなくてもできるだろう。森を歩きながら違和感があった。データにはないはずなのに見覚えがあった。水の音がする。そちらへ向かうと滝があった。滝があり水溜りがある。水を覗き込むと自分の姿が映っていた。他の猿たちとはまるで違う。少女の姿だった。

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