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捨てる死体あれば拾う死体あり

作者: 西夏

 殺した姉を捨てに行ったら先客がいた。


 夜の山で、先客は「え」と言って固まった。足元には大きな穴と、投げ捨てられた黒のビニール袋。汗ばんだ手には土だらけのスコップ。こちらに向けられた彼の顔には汗が浮かんでおり、肩は大きく上下している。彼の目は疲れからくるものなのか死んだように光を失っていた。私は背負っていたゴルフバッグを地面に下ろし、彼に一つ頭を下げる。彼も困った様子ながら礼を返した。


「こんばんは」

「ああ、こんばんは……」

「死体ですか、それ」


 彼の足元の穴に近づき、中を覗いてみる。穴の中には土をかぶった黒いビニール袋が何個も埋められてあった。男性はその場に立ち尽くしたまま、私の行動を見守る。右手は肩身が狭そうにスコップの柄をにぎにぎと揉んでいる。質問には答える気がないのか、口をつぐんだままである。

「私もなんです」

構わず、そう言って背後のゴルフバッグを指さす。

「昨日の夜です。姉に婚約者を寝取られたんで、包丁で」

「……そうでしたか」

男性はかすれた声でそう答えた。月明かりに照らされた彼は、よく見ればまだ若そうだった。大学生くらいにも見える。


「じゃあ、私は私で、あっちで埋めてきます。ではまた」

そう言って去ろうとすると、男性は「あの」と呼び止めた。

「もしよかったら、一緒に死体埋めませんか。女性一人じゃ大変でしょう」

「それも、そうですね。じゃあよろしくお願いします」

ということで、まず彼の死体埋めを手伝う。私は既に軍手をはめているが、青年は素手でスコップを握る。虫に触れてしまっては困るので、私は彼のように素手では立ち向かわない。そう思うと、私も女なのだと感じた。

 

 手伝うと言っても後は土をかぶせるだけであるので、こちらは三十分とかからなかった。六月の土は雨の湿気を吸って重かった。今日も夜から降るらしい。湿った土のにおいは死体のにおいと混ざって少々吐き気をもよおすような、とにかくあまりかぎたくない匂いがした。彼の死体を埋め終え、今度は私の姉に取り掛かる。百メートルほど移動して穴を掘り始める。深さ一メートル、長さ二メートルほどの大穴を彼と共に無言で掘り開ける。確かに私一人では何時間とかかったかもしれない。


「もうそろそろいいんじゃないですか」

穴の中で土をすくっては投げ上げる彼に一声かけてから、ゴルフバッグごと姉を青年に手渡す。

「ゴルフバッグも捨てちゃっていいんですか」

「いいの。婚約者に買ってもらったものだから」

「そうですか」

彼はそれ以上聞くことなく、ゴルフバッグに土を返し始めた。ゴルフバッグは土に埋もれ、どんどんその緑と白の姿は見えなくなっていく。姉は今頃何を思っているだろう。私のことを恨んででもいるのだろうか。どうでもいいが。姉も、婚約者の拓哉ももうどうでもいい。


「さようなら」

スコップで土の山から一すくいし、ゴルフバッグに盛大に土をかぶせつけた。






「ラーメンでも行きませんか」

という彼の提案に乗って、私たちは彼の車に乗ってラーメン屋に来た。街には深夜の三時までやってるラーメン屋が一つだけあった。彼のワンボックスカーに乗っている間、死体を埋めていた時同様、私たちは互いに一言も話さなかった。ゴルフバッグを担いで山を中腹まで登り、その後それを埋めたのだから、疲れが出たのかもしれない。ラーメン屋は店主とその奥さんが二人で回している老舗だった。壁一面が脂ぎってべたべたとしており、メニューは何か所も折れ目がついている。そんな店のこあがりに対面して座り、ぼんやりとメニューが来るのを待つ。窓の外を眺める彼は、明るいところで見るとやはり若く見えた。私より年下かもしれない。


「へいおまち」

和やかに奥さんが塩ラーメンと豚骨ラーメンを卓に並べ、「おまけだから」と言って餃子も残していく。彼はそれを「どうも」と言って受け取り、きちんと手を合わせて「いただきます」と唱えた後に、豚骨ラーメンのスープを一すくいした。私も「いただきます」と唱え、麵をすする。疲れ切った体に、ラーメンが流し込まれ、体の内から体力が補充されていくのを感じる。


「今後、どうするか決めてますか」

彼はレンゲで麺を冷ましながら、こちらを見ずに訊ねた。

「どうするって?」

「自首、とか」

「するわけないじゃん、なんでそんなことしないといけないの」

思わず鼻で笑ってしまう。彼はなおも顔を上げない。

「なんかそんな感じしますね。じゃあ、逃亡するんですか」

「別に。自首する気はさらさらないけど、じゃあどうするかなんて考えてない。私はただ、気づいたらあいつを殺してたってだけ。それだけ」

「ほお」


 実際、私は何も考えていなかった。いつか殺してやる、と憎んでいた姉が、自分からその機会を与えてきたから享受した。あまりにもスムーズで、当然の結果。そこに迷いはなかったし、恐れもなかった。それは今も同じである。麺をもう一口分取り、一気にすする。汁が数滴跳ねたが気にしない。彼も気にせず自分のラーメンに向かっている。私は法を犯した自覚はあれど、悪いことをしたとは思えていないのだ。だから逃げるつもりもない。このラーメンを食べ終わった後の計画は何一つないのである。

その後、私たちは一言も発さないままにラーメンを食べ終えた。彼は最後に水を一気に飲み干し、何でもないかのように訊ねた。


「俺が持ってた死体のこと、何も聞かないんですね」

ちらと彼を見やる。彼は空いたコップを手にもって見つめていた。そのコップにはやたらと指紋が重なっている。

「まあ、ね。聞いても意味ないし、聞く理由がない」

「ちなみに誰だと思います? あれ」

「君の若さから言って彼女とか?」

「違いますよ」

彼は薄く笑ってコップを机に置いた。一つ、浅く息を吐き、こちらに視線を向ける。その目は、死んだようでありながら、光が差していた。


「誰だっていいですよね。知っても意味がない。僕があれを殺した事実は変わらないんだから。ただ殺しただけ。それだけ。深い意味なんて求められても困ります」

彼は私から目を離さない。少年がサッカー選手に羨望を向けてでもいるかのような視線が向けられる。

「僕らの日常に、某月某日、人を殺した、ていうのが刻まれただけで、僕らの日常は変わりません。逃げもしないし隠れもしない。でも、この日常は終わりが近いことも事実です。そこで提案です」

そこまで言って、彼は一呼吸ついた。前座のドラムロールのように。私は口を挟まず、最後まで彼の言葉を聞く。


「この日常が終わるまで、僕と一緒に暮らしませんか」

思いもよらぬ方向に話が飛んだので、とっさに何も言えず固まる。彼はそれを話しの催促と捉えたのか、続きを淡々と話し始める。

「人を殺した、その事実は誰にとっても非日常です。その誰かと一緒に暮らしていては僕たちには二度と日常は訪れません。でも僕たちなら? あの瞬間を日常に落とし込めるのは僕とあなただけだ。そう思いません?」


 彼はそこまで一気に語ると、追加の水を汲みに席を立った。私は何も言わずに彼を見送った。彼と一緒に住む、そんなことはもちろん考え付かなかった。しかし彼の言うことにも一理あった。確かにこれからの日常は今まで通りにはいかないだろう。私はただ安穏に生きていきたいだけなのに。

そうこう考えているうちに彼は新しい水を持って帰ってきた。

「どう思います?」


私はラーメンのスープを一口飲んで、

「その前に、一個嘘ついたの教えてあげる」

と切り出した。私には未来がはっきりと見え始めていた。

「なんですか」

特にいら立ちもせず、彼はその続きを促した。

「実はね、姉を殺したのは昨日じゃないの。もう何年も前。なかなか捨てに行く勇気がモテなくてさ。今頃はもう骨になってるんじゃないかな。誰かもわからないかもね。匂いもきつかったし」

「ああ、確かに。だからゴルフバッグごと捨てたんですね」

そう、と答え、私も新しく水を注ぎに席を立つ。青年が少し惜しそうに私を見送ったのが、視界の隅で見えた。


「僕の提案は、どう思いますか」

席に戻ってくるなり、青年はまた身を乗り出して訊ねた。

「前と変わらない日常を送りたいのは同感だよ。でもね、君と一緒に暮らす必要はないかな」

彼はその言葉を聞いた途端、目から光を失い「そうですか」と言って肩を落とした。

「これからも私は一人で生きていくつもり。一人は慣れてるし」

「それじゃあ僕は必要ないですね」

彼は残念そうに少し笑みを浮かべた。笑うとやはり大学生らしいあどけなさがあった。


「でも君に会えてよかったよ」

「僕もです」




 私たちはその会話を最後に店を出た。彼が家まで送っていくと申し出てくれたが、丁重にお断りして歩いて帰ることにした。五分も歩かないうちに、厚い雲から雨が降り始めた。私はもう可笑しくてたまらなくなってきた。


 だんだんと雨足が強くなる中、私はポケットから携帯を取り出し「1」「1」「0」を押した。電話相手は二コール目で出た。雨の音に負けないよう、大きな声で訴えた。


「さっき、ジョギング中に○○山の中腹まで行ったんです!そしたら、男の人が何かを埋めてました!!しかもあたり一面変なにおいがしていて……もし死体だったらと思うと怖くて……!!」

その後、警官に聞かれるまま詳しい場所を伝え、私の任務は終わった。携帯をしまい、一人雨の中、笑いをこらえきれずに大声で笑う。


 私は作業中、ずっと軍手をしていた。ゴルフバッグも死体も、私の指紋はすべてぬぐってある。現場には彼の指紋しか残っていない。おまけにこの雨で、私の足跡も彼の足跡も流れ落ちているだろう。誰が何をしているかなどわからない。明日には警察が二つの死体を掘り起こすことだろう。指紋を残した彼に、謎の白骨化死体の疑惑もかかる。もし彼が一方の死体を自分のものではないと否定したら、それはもう片方の罪は認めることになる。彼は否定もできず二つの罪を背負ってくれることになるだろう。

私はもう一度笑った。笑えて仕方なかった。顔にあたる雨が気持ちいい。


 私も日常が欲しい。そのためにあなたと暮らす必要はないけどあなたが必要だったの。そう心でつぶやき爆笑した。







君に会えてよかったよ。



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