シェリル=エバートンの受難
設定や世界観は無視して、軽い気持ちでお読み下さい。
( ・∇・)
事の始まりは、いつも突然訪れる。
子爵令嬢シェリル=エバートンにも、それは訪れた。
「悪いが、お前との婚約はなかった事にして欲しい」
学園帰りに婚約者に呼び出されたシェリルは、唐突にそう言われたのだ。
「好きな人が出来たんだよ。悪いなシェリル」
どうせお前も俺の事は好きじゃなかっただろ? と婚約者"候補"のイレブン=パーカーに言われたのである。
確かに、好きではない。
そして、何か勘違いしている様だが彼は婚約者ではなく、あくまで"候補"だったのだが、それは知らなかったらしい。
「あ、そう」
彼は候補の1人なので、予備は勿論いる。
シェリルは何の感情も湧かなかった。
「お前のそういう所が好きじゃなかったんだよ」
「あ、そ」
それはお互い様である。人を馬鹿にする様な態度しか取らないイレブンの事など、こちらから願い下げである。
「親には言っといてやる。じゃあな」
イレブンは一方的にそう言って、足早に去って行ったのだった。
「何アレ?」
入れ替わる様にもう1人の"婚約者候補"がやって来た。
イレブンが線の細い美男子なら、彼は男らしい体格の良い細マッチョ。シェリルの好みはどちらかと言うと、コッチだ。
「婚約をなかった事にして欲しいって言われた」
「お前、アレと婚約なんかしてたか?」
「してない」
「だよな? 俺だってまだ候補のまんまだし」
「あの人の両親、凄くしっかりしてるのに、どうしてあぁなのかしら? 婚約だって、卒業前に最終的な結論を出すって伝えてあったんだけど、なんか勘違いしてたみたい」
「ふぅん? まぁ、どうせ断ったんだろ?」
と婚約者候補のニックがニカッと笑った。
イレブンと同じで愛から始まらなくとも、彼とは互いに歩みより現在は良い関係だ。
「そうね。私は貴方が好きだもの」
結婚する前に、言葉を伝えるのも必要かとシェリルは思い口にした。
政略から始まったとしても、情や絆は必要だ。
「え?」
初めての告白に、ニックは目を丸くしていた。
「ホラ、帰るわよ」
2度目は言わない。
シェリルはニックから背を向けて、門まで歩いて行った。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!! 今の言葉をもう一度!!」
その背を追うニック。
「また、その内ね?」
とシェリルがウインクをして見せれば、ニックの頬は夕焼けの空の様に赤く染まっていた。可愛いヤツである。
◇ ◇ ◇
ーーそれから、ひと月後。
シェリルはキャブリー伯爵家の"当主"となった。
子爵令嬢のシェリルが、何故伯爵家の当主になったのか。
それは、伯爵家当主の伯母マイラが、先日病で亡くなったためである。
シェリルの母ライラは、伯爵家を継いだマイラの実妹。姉が結婚し家督を継いだため、ライラは父の子爵家に嫁いで来たのだ。
だが、伯母が亡くなり子がいなかったため、近親で姪のシェリルが当主となったという訳だ。
シェリルがもし継がなければ、弟のジョーイが。ジョーイが継がなければ、末のジャックが継ぐ事になるだろう。
シェリルの知る限りでは、伯母の結婚生活は、一見おしどり夫婦の様に見えた。
伯母の誕生日には薔薇を贈り、結婚記念日には2人仲良く祝っていた。周りには仲睦まじい夫婦に見えた様だが、伯父は伯母を愛していた訳ではない。
伯母と結婚する事で得るモノに惹かれて結婚したのだ。
伯母は生前、庭師だった伯父をこよなく愛していた。だからこそ、親の反対を押し切って結婚したのだが、伯父は上辺だけで愛してはいなかった。
子供のいない伯母の家に、良く遊びに行っていたシェリルは、その事に気づいていた。
伯母の家督が目当てだったのだろう。
しかし、その仮面夫婦みたいな関係も、伯母が病気で亡くなり呆気なく終わりを告げた。
ーーのだが。
葬式の準備や今後の話し合いをするため、シェリル達が伯爵家に訪れた事で予期せぬ事態が起きていた。
伯父は、マリアと言う女性とその娘サラを連れて屋敷に入れ、暮らそうとしていたのだ。
葬式もまだだと言うのに、血族でもない彼が指揮を取ろうとしていた。
何故かその傍らには、シェリルの元婚約者候補イレブンもいたのだから驚きだ。
「イレブン? 貴方、そこで何をしているの?」
葬式の準備段階。
しかも、呼んでもいない彼がいるのが不思議でならない。
その横には、何故か愛人の娘サラがシェリルに勝ち誇った様な笑みを浮かべて、イレブンの腕にしがみ付いていた。
どうやら、サラは一方的にシェリルの存在を知っていた様だ。
ただ、この屋敷と関係があるとまで、知っていたかは謎だけど。
「あ? シェリル? なんでお前が」
シェリルの存在にイレブンも驚愕していた。
もう関係のないシェリルが、何故ここにいるのかと。
「何でって、ココ、伯母の家だもの」
「は?」
シェリルは子爵家の娘だが、母方は伯爵家縁の者だとは知らなかったらしい。
「この伯爵家当主だったマイラは、私の伯母なのよ。で? 貴方は何しに来たの?」
彼は、伯母とは全く付き合いはなかった筈だ。
「何しにって、あぁ、お前は知らないのか。俺はこの伯爵家の次期当主になるんだよ」
良く分からないが、イレブンがシェリルに対して鼻で笑って返した。
どうして、彼がこの伯爵家の次期当主なのだろうか?
「何故?」
呆れ過ぎて笑いが漏れたのは仕方がない。
婚約者と勘違いしたり、当主とか、彼の頭の中は一体どうなっているのだろう。
「プッ。知らねぇのか」
「だから、何を?」
勿体ぶる意味が分からないと、シェリルは冷めた目で見ていた。
「ここにいるサラはな、この伯爵家の娘なんだよ。今はまだ、コイツの父親が健在だからアレだけど、いずれは継ぐ。で、サラと結婚する俺は次期当主って訳だ」
分かったか、子爵家のシェリルちゃん?
とイレブンは鼻で笑っていた。
隣にいるサラも、その腕に絡みつき口端を上げていた。
シェリルから婚約者"候補"を奪って、気分が良いらしい。
「伯爵家の娘? 伯母の娘でもない彼女が何故継げるのよ? 馬鹿じゃないの?」
思い違いもここまで来るとおめでたい。
シェリルは呆れて、気の利いた返しが出来なかった。
「お前の伯母なんか関係ねぇだろ? 父親が伯爵なんだから」
「あのね? 勘違いしている様だから教えてあげるけど、あそこにいる伯父は伯爵家当主ではなくて、ただの"代理"。だから、伯父は元から相続権なんてないのよ?」
「「はぁ!?」」
イレブンとサラが仲良く驚愕の声を上げた。
その声に被せる様に、向こう側からも同じ様な声が上がっていた。
「な、な、私に出て行けと!?」
どうやら、勘違いはコチラだけではない様だ。
父に事実を突きつけられたのか、伯父が声を震わせている。
「この屋敷は、娘シェリルか息子のどちらかが継ぐ事になる。大体キミはマイラ殿の生前、補佐役さえもやっていなかっただろう? 穀潰しはいらないんだよ」
「こ、この屋敷は、伯爵家は私の物だろう!!」
「だから、キミは先程から何を言ってるんだ。この伯爵家は元はキミの妻マイラ伯爵の物。そして、彼女が亡くなった今、実妹で私の妻ライラ、或いは娘達の物なんだよ」
父が呆れた様に、伯父を一蹴していた。
説明するのも億劫そうである。
「妻が死んだら、財産は全て夫の物だろうが!!」
「あのねぇ、何を勘違いしているかは分からんが、ウチは貴族で平民ではないんだよ。爵位や屋敷、主だった財産は血で受け継ぐ」
「なっ!!」
父が改めて説明すると、伯父はパクパクと口を開けて返す言葉を探していた。
実際は、代理として責務を果たしていたのであれば、それなりの温情はある。爵位は無理だが補佐のままとか、領地を分けて貰って管理官の役職を貰えるとか。放逐なんて、普通はまずない。
だが、当主代理を当主だと勘違いして何もして来なかった彼に、与える職はなかった。
伯父の計画では伯母が亡くなり、爵位を継いで愛人と娘と、ここで愉快に暮らす予定だったのだろう。
そうなると信じていた伯父は、現実を突きつけられて愕然としている。
「あなた? え、どういう事?」
近くにいた愛人も話が読めないのか、伯父と父を交互に見ていた。
彼女は今日から、この屋敷で伯爵夫人として暮らすつもりでいた。だから、ここに来たのに、誰も迎え入れてくれなかった。
それどころか、雲行きさえ怪しくなっている。
「とにかく、義姉の葬式の手伝いさえする気がないのなら、早急に屋敷から出て行ってくれ。私達はキミ等と違って忙しいんだ」
愛人に説明する義理はないとばかりに、父は葬儀社と話す母の元へと向かって行った。
「イレブン、貴方も関係者じゃないんだから、出て行ってくれる?」
「は? 俺は次期当主だぜ?」
「四男の貴方が何処の当主なのよ」
まだ、現実を理解していないイレブンに、シェリルは呆れ返っていた。
「ココだよ!!」
「貴方、今の父の話しを聞いてなかったの? 赤の他人が何故、この伯爵家を継げるのよ」
「それは、あたしが伯爵令嬢だからよ!!」
空気も事情も読めないサラが、横から会話に入って来た。
類は友を呼ぶのか、似ているから息が合ったのか、おめでたい人達である。
「伯爵令嬢? どこの伯爵の令嬢なのよ。貴方のお母様は、平民じゃないの?」
「お母さんは平民だけど、お父さんは伯爵家当主だもの」
シェリルが訊けば、サラは知らないのかと鼻で笑って返してきた。
どうやら、本気で理解していない様だ。
「もしかして貴方のお父様って、あそこに突っ立ってる伯父様の事?」
「そうよ?」
「なら、貴方はただの平民じゃない」
「は?」
「あのね? 貴方の母は平民なんでしょ? で、伯父様は、ここの元庭師で平民出の婿養子。平民と平民からは、伯爵令嬢は生まれないわよ」
浮気をしているのは知っていたが、子供までいたなんて驚きだ。
どういうつもりで、愛人や子供を作ったのか。あの伯父を見ていれば、単純過ぎて想像はつく。
大方、伯爵家当主だと勝手に言っていたに違いない。
「は? そんなの関係ーー」
「あるわよ」
サラの言い分を、シェリルは端からぶった切る。
すべてを聞いていたら、頭がおかしくなりそうだ。
「いい? 伯爵家の人間と結婚したからって、配偶者が爵位を受け継ぐ訳じゃないのよ? 伯母に子がいれば、子に。いなければ、血族が爵位を継ぐの。だから、伯母の子じゃない貴方は平民のまま。理解出来たかしら?」
嘲笑するのも馬鹿馬鹿しいとシェリルは、一通り説明すると執事長を呼び、彼女を屋敷から出す様に命じた。
「ちょっ、なんであたしが出て行かなくちゃならないのよ!?」
「赤の他人だからよ」
これだけ説明したのにも関わらず、全く理解しないサラ。
執事長に引き摺られながらも、まだ抵抗しているから驚きである。そんなサラにもう話す事はないと、シェリルはさよならと手を振ったのであった。
「私の娘に何をするの!?」
「貴方もだ。伯爵家に関係のない者は出て行ってくれたまえ」
「関係ならあるわよ!! 私の夫はこの伯爵家当主よ!!」
「入り婿の彼が、当主になんてなれる訳がないだろう。もしもだが、義姉が譲ると言っていたとしても、爵位の譲渡は陛下の許可が必要なんだよ。当主当主と騒ぐ前に、証明書を持って来たまえ」
追い出される娘を見て叫んだ愛人も、父の指示で屋敷の外に放り出されていた。
それを一部始終見ていたイレブンは、何がなんだかさっぱり分からず、呆然としていた。
こんな筈ではなかったと。
「イレブン、貴方も用がないのだったら邪魔だから出て行ってくれる?」
「え、いや、俺は」
シェリルは冷たい声で、出入り口を指した。
それでやっと、サラと結婚しても伯爵家を継げないと分かったイレブンは、シェリルにすり寄ろうとしていた。
甘ったるしい考え以前に図々しい。そして、浅はかである。
「ニック!!」
出入り口を見ていると、サラと入れ替わる様に来た婚約者を見つけ、シェリルは嬉しそうに走り寄った。
「お悔やみを申し上げるよ。伯母さんに、もう一度会いたかった」
一度会った事のあるニックは、心から残念だとシェリルに伝えていた。
人が亡くなったのに悲しむ姿さえも見せず、騒ぎ散らすだけの愛人やサラ達とは、全然違う。
「伯母もそう思ってたハズよ」
「何か手伝える事はあるか?」
「あ、なら。荷物を纏める作業を手伝って貰える? 伯父の私物をエントランスに出すから」
「あぁ、噂の」
「伯母様が亡くなったら、出て行かなくちゃならなかったのに、継ぐつもりでいたって言うから驚きよね。大体、当主の仕事も全くしてなかったのよ? 信じられないわ」
あの叔父は代理とは名ばかりで、たまに庭をイジる程度で何もしていなかったのだ。
平民の男が、爵位のある者と結婚して楽が出来るのは、相手が健在な時だけ。女はそれでもワンチャンあるけれど。
「それなのに、愛人を後妻にするつもりだったんだろ? んな事出来るのは爵位がある男だけだってな。あ、俺は勿論、浮気なんかしないぜ?」
と自分をアピールする事は忘れない。
「別にしてもいいわよ?」
シェリルは思わせ振りに微笑んだ。
今の伯父を見た上で、覚悟があるならばと。
「しねぇつーの。俺は、あのーー」
お前に首ったけだし、とニックは一番大事な台詞をゴニョゴニョと呟いていた。
恥ずかしいのか、顔が真っ赤である。
「そういう所が好きよ、ニック」
シェリルはそう言って、ニックの襟首を引っ張り、背伸びをして頬にキスをした。
図体は大きいのに、こういう所が可愛いなと思ったのだ。
「お、俺も……俺も!!」
シェリルは既に、父や母の元に歩き出しているのを追いかけながら、ニックはモジモジしながら付いて行く。
だが、やはり恥ずかしくて、好きと返せなかった。
「ちょ、コイツは誰だよ? あ? シェリル、お前さては浮気してたのか!?」
その様子に、ただならぬ関係だと感じたイレブンは、自分を棚に上げまくり1人で怒っていた。
そんなイレブンを振り返り、大股で歩み寄ったニックは、彼の襟首を容赦なく捻り上げた。
「お前と一緒にすんじゃねぇよ」
「な、な、な!?」
「お前は婚約者じゃなく、"候補"止まりだったクセによ」
「は? こ、候補!?」
「そうだよ、こ・う・ほ」
「……う、嘘だ」
「嘘じゃねぇよ。家に帰って親父に聞いてみろよ。まぁ、でも断ったんだろ? なら、もうお前には関係ねぇ話じゃねぇか」
「……」
「大方、子爵家のシェリルより、伯爵家の娘かもしれないアノ女の方が良くなって、あっさり乗り換えたんだろ? だが、残念だったな。あの女は、伯爵家の血は一滴も受け継いじゃいねぇ。結婚相手の身分と身辺くらい、ある程度は把握しておけよ。それが貴族だろ?」
「……っ!」
「あぁ、甘っちょろの四男坊じゃあ仕方ないか」
ニックは鼻で笑うとイレブンを突き放し、シェリルの元へ足早に行くのであった。
「クッソ!! クッソ!! クッソ!!」
イレブン、完敗である。
怒りたくても怒りの矛先はいなかった。
このままここに居ても、使用人達にさえ相手にされない。呆然としながら、屋敷を後にするのであった。
「私は、伯爵家の当主のハズだ!!」
未だに現実を理解しない伯父を部屋に隔離し、父や管財人が何度も説明し、書類を見せ納得させるまでには、相当な時間と労力が掛かった。
最後まで、伯母の遺産を相続する権利も主張していたのだが、当主として何もして来なかった事、愛人に貢ぐため使い込んでいた事を上げられ、諦めたのである。
それどころか、これ以上この伯爵家に関わるのなら、使い込んだ金銭も要求すると言われ、大きく項垂れた。
ーーその3日後。
彼は、少ない私物と慈悲と言う名の金子を握らせされ、屋敷を後にしたのである。
婚約者候補の勘違い。
伯父の当主乗っ取り騒ぎ。
愛人と娘の思い違い。
小さな波乱はあったものの、シェリルは伯爵家を無事に継ぎ、ニックを夫に迎え入れ、本当のおしどり夫婦となったのであった。