第六話 あまりに日常的な非日常、大型妖魔というもの
こうやって意識して見てみると案外妖魔はいるのだと思う。浮遊しているものなどは目につきやすいし、たまに地面を這っていることもある。ただ、大型のは少ない。今例に出したのもすべて小型の妖魔で、放っておいても精々靴が破ける程度のいたずらしかできないという。……これを唯から聞いたときに負の感情をひしひしと感じたので、おそらく被害にあったことがあるのだろう。
小型の妖魔は高くて百円程度らしく、妖祓師もめったに狙うことは無いという。それは仕方のないことだとも思うが。
逆に大型の妖魔だと、週に一回出現するくらいだけどその核石を売れば数十万はするのだとか。一応妖祓師は功績や稼ぎに応じて決まる等級によって、一月ごとにお金がもらえるのだが……最下位の下等妖祓師だと月千円。到底生活していける額ではない。となると、当然のごとくアルバイトよりも効率の悪い妖祓師の仕事などやめていく。
それが続いた結果、この街に妖祓師が数人しかいないという現状に陥っているのだとか。
因みに唯は一等妖祓師で、中型の妖魔を狙い続けた結果、月の稼ぎは十万円なんだとか。明らかに高校生の稼ぐ額ではないだろう。現状一人暮らしの庵の等級は怖くて聞けていない。
気づくと空は茜色に染まっていて、東のほうからは闇が迫ってきていた。
「あれ、電車乗ったけな……」
辺りを見渡すと、家の近くではあったが、どう考えても下校中駅から来るような場所ではなかった。まさか歩いてここまで帰ってきたのだろうか。そう考えると、この時間帯なのもうなずけるが……。
「どれだけ上の空だったんだよ……」
どうやら考え事をしすぎて意識が飛んでたようだった。
ここから家までは十分ほどだしさっさと帰ってしまおう。そう考えて歩き出したとき、通り過ぎた公園に違和感を感じた。
数歩戻って見てみると、その公園のブランコに一つの人影があった。
「紅華?」
よく見るとその人影は見知った人物であることに気付く。狐の耳に狐の尻尾。間違いようがないだろう。他の神獣でなければ、だけど。
ふと後ろに何か動くものが見えた気がした。
「鹿か?いや、でも……」
まずこの付近に野生動物は少ない。ましてや鹿なんて、奈良じゃあるまいし。それに、この禍々しい気配は……。
言葉と体、どちらが先だったのかは分からない。ただ、「危ない‼」と叫んだことと紅華の体を抱えて地面に滑り込んだことははっきりしている。
「いたあ……」
「紅華、大丈夫か⁉」
「そうだけど……何なの……」
それだけ言うと、彼女も絶句したあと目に恐怖の色が浮かんだ。
「大型、妖魔……」
その妖魔は、三メートルはあろうその巨躯で僕たちを見下ろしていた。
体を薄い妖気が覆い、疑似的な闇が作り出されている。鹿とは言ったが、これを見てそう断じることの出来る者はそういないだろう。色は少し毒々しくなり、体の輪郭も異常だ。
確かに、大型妖魔の中では比較的小さいほうだ。でも、流石に何の力もない僕の手には余る。余り過ぎる。
「嘘だろ……」
急に妖魔が前かがみになり、突進の体勢を作る。
「逃げて、早く‼」
「う、うん」
紅華が走っていくのを横目に、僕は冷や汗を流す。ああは言ったが、正直勝てる見込みなんてない。逃げようにも妖魔に追いつかれて終わりだろう。なんとか時間を稼いで助けが来るのを待つしかないか。
妖魔は咆哮を上げるとこちらへ突進してきた。それと同時に右に走る。そのまま妖魔は突っ込んでいき、ジャングルジムを大破させた。
「冗談きついって……」
想像を遥かに超える威力に絶句しながらも、これなら時間を稼ぐぐらいならできそうだ。ただし、大型妖魔の攻撃がこれだけならば、だが。
無論そんな希望は世界の彼方へと吹き飛ばされた。
「はは、もう何でもありじゃないか」
妖魔はジャングルジムの破片を不愉快だとでも言うかのように振り払うと、信じられないことを目の前で繰り広げた。角が、まるで鞭のように伸び、うねうねしている。
その角は、こちらまで飛んでくると、僕の腕を打ち付けた。とは言っても、少しかすった程度であまり痛くはない。ただ、それだけだったはずなのに凄い衝撃をくらうこととなった。
正面から当たると即死する。
そのことが、まるで当然かのように受け入れられてしまう。幸い、速度が物理法則の範疇に収まっていることが救いだろうか。
二本の鞭による連撃は、躱せること自体が奇跡に近いだろう。しかし、当然というべきか、躱しきれるものでもなく、腕や腋に痣が出来ていく。
流石に疲れが出てきたのか、足がもつれた。
「くそっ」
思わず口から悪態が漏れる。
もうすでに次の鞭がやってきている。これは、躱せない。どうあがいてもこの体勢からでは。
最後に一人救うことが出来たのを誇りに思うべきなのだろうか。ああ、でも。
「死にたく…ないなあ」
そうだ、死にたくない。やっと目標もできたところなのに。大切な日常があったのに。それをこんな偶然こいつに出会ったことで無にされる?たまったもんじゃない。この体勢からでも躱すことはできなくても、衝撃を最低限弱めることなら出来る。
――生きたい。生きるためなら、どんなに無様でもいい。
本気で、そう思った。
もしこれで死ななくても、数ヵ月は病院に監禁状態だろう。もしかするとこの体も使い物にならなくなるかもしれない。それでも良い。死ぬよりは。
何も知らずに、死ぬよりは。
そう覚悟を決めたとき、視界を暴力的なまでの熱量が焼いた。
どこか優しい空気を纏った、深紅の炎が。