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日蝕の日  作者: 川霧 悠
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第二話 平凡な日常、あるいは最後の

 チャイムが鳴り響き、隣の校舎の廊下からは人気が少なくなっていく。


 そんな光景を眺めながら、静かな部室には乾いた音が響いている。


「それで狐を拾ってきたと」


「まあそんな感じ」


 その沈黙を再び破ったのはこの目の前にいる彼女、白川唯だった。彼女はクロという猫を飼っていて、それでアドバイスがないか聞いていたのだ。因みにクロは手足がの先の方が黒いだけで、黒猫というわけではない。品種は……ジャムみたいな名前だったと思う。


「とは言われても狐のことなんて全然知らないわよ。でも一つ言えることは戸締りはしっかりすることね。逃亡されたら捕まえるのは大変よ」


 そういう唯の言葉にはかなり実感がこもっていた。昨日も逃げたのか。


「そんなに脱走するのは単に唯が嫌われているだけではないのか?」


 少し煽るような口調で隣から声が飛んで来た。若宮庵だ。


「いいえ?少なくともあなたよりは好かれやすい体質だと思っているわ、ひねくれ野郎」


「ほう、そこまで自意識過剰になれるのは見上げた根性だな、唯」


「私はひねくれ野郎より好かれやすいと言っただけなのになんでそれで自意識過剰ということになるのかしら。それにさっきから唯唯唯唯軽々しく呼ばないでくれる?貴方ごときに名前を呼ばれると虫唾が走るわ」


「何故だ?唯」


「あのねえ……」


「ちょ、二人とも落ち着いて」


 この二人、唯と庵はなんというか、犬猿の仲を体現したような関係だ。過去に何かあったのか、はたまた単に相性が悪いだけなのかは分からないが、ものすごく仲が悪い。


 今だって取っ組み合いになりそうなほどだ。なんで二人が同じ部活に入っているのだろうか。ある意味この学校で一番の不思議かもしれない。


「そういえば綾斗って重度の巻き込まれ体質じゃないか?」


「巻き込まれ体質って……。なんでそうなる」


 急な話の転換に入れたが、こんなところもひねくれ野郎と呼ばれる所以かと思い、それについては触れないようにした。


 ただ、巻き込まれ体質と言われるのは不服だ。何の根拠があって――


「例えば去年の四月、不良に絡まれて入学式に遅刻、大恥をかく羽目になったりだとか、同八月、厳島神社に行きたくもないのに言った挙句帰りに乗っていたフェリーが沈没、楽しみにしていた予定が全てなくなったりだとか……。ああ、最近のもあるぞ、一昨日もショッピングモールで痴漢と間違われて……」


「分かった、分かったからもうやめろ、やめてくれ‼というかなんで僕がそんなことになってたことを知ってるんだ⁉」


 もう恥ずかしくて死んでしまいそうだった。特に去年の厳島神社、あれは地獄だった。フェーリーって本当に沈むんだと実感した。


「そこの本屋で色々と買っていたら騒ぎが聞こえたものでな」


「綾斗最低……」


「おい待て、絶対誤解してるだろ‼あの時僕がどれほど怖かったか分かるか?今でも思い出すだけで震えが……」


 駒を指す手が震え、駒と盤でカタカタと音が鳴る。


 本当にあれは地獄だった。周りの人からは侮蔑の視線を送られ、相手からは怒りの表情みたいなドヤ顔を送られ、怒りと恐怖が入り混じっていた。無論恐怖の方が勝っていたが。あの時見ていたという人が名乗り出てくれていなかったらと思うと余計に震える。


「それで、綾斗。言い訳はあるのかしら」


「あるにきまってるだろ。どうして僕が痴漢なんてしないといけないんだ」


「男子はみんな万年発情期なんじゃないのかしら」


「おい、全世界の男子に謝れ!なんだよ万年発情期って」


「まあそうね。そこのひねくれ野郎ならともかく……」


「俺もそんなことはしないぞ。やることと言えば……そうだな。不良釣りくらいだ」


 なんだよ不良釣りって。僕も唯もそう思った。


庵曰く、弱者のふりをしておけば不良が集まってくるのでこれでもかというほど痛めつけ、その後逆にカツアゲしてしまうのだとか。


本当に何をしているのだろうか。


「ねえ、そこのガムテープ取ってくれるかしら」


「ん?いいけど……」


 唯はガムテープを受け取ると、庵に向かってこう言い放った。


「ちょっと黙っててくれるかしら」


「嫌だと言ったら?……おい、ちょっと待て、その手を下ろせ!」


 暫くすると、庵は何も言わなくなった。いや、正確にはもごもご言っているのだが……。何があったのかは想像におまかせする。現在、唯は庵の手足を縄で縛っている。


 静かになった部室で、パチパチと乾いた音が響きわたる。たまに掃除ロッカーからドンドンと鈍い音も……。何も言いう雰囲気ではなく、静かな時間が過ぎていく。


 それから一時間は経っただろうか。


「負けました」


 その一言で先ほどまでの空気は破られた。


「疲れたー。これで私の八七勝七九敗ね」


「大して変わらないだろ。まだ八差だ」


「そう?結構大きな差だと思うけれど。まさか負け犬の遠吠え?」


 負けたのは僕だった。もうこれで三連続の敗北だ。これ以上負け越すと何も言い返せなくなってしまいそうだ。


「じゃあ先に帰るわね。鍵よろしく」


「ああ、分かった」


 そう言って唯はどこか焦っているように帰っていった。何かあるのだろうか。


 僕もその後を追うように荷物をまとめ、電気を消して、鍵を閉めようとした。だが、その手もあと少しのところで止まった。ドンドンという音がロッカーから鳴り響いていた。


「まさか……」


 恐る恐るロッカーに近づく。先ほどの予感が外れていてくれと願いながら。


 ロッカーの扉に手をかけ、徐に開ける。


「遅いじゃないか、綾斗」


「…………よう、ひねくれ野郎」


 ……まさか一時間も閉じ込めたままだったなんて。そして、それでも尚平然としている庵に絶句する。こいつの精神はどうなっているのだろうか。




 鍵を職員室に返しに行くと、ちょうど太陽が西に傾きかけていた。現在は六時半頃、こうしてみると冬に比べてかなり一日が長くなったと実感する。一応まだ日は出ているとはいえ、昼間よりはかなり暗くなっている。


 それにしても梅雨が明けてから随分と熱くなったような気がする。今も蒸し暑くて、そのせいか心なしか人の往来も少なくなっているような気さえしてくる。


 その証拠にここからは人っ子一人見えない。……いや、おかしくないか?ここはいくら大通りではないと言っても、一応人は常に十人ほどはいる。それなのにこの静けさだ。


 不気味に思い辺りを見回してみるものの、特に不審な点はなく、杞憂だったのかと思い直す。


 ちょうど、その時だった。気を抜いたところを狙ってきたかのようなタイミングで、何かが地面に叩きつけられるような音がした。


 意識が全てそちらに引っ張られる。


 思考より先に僕は走り出していた。距離はさほどなかったが、それでも走っていた。


 角の所で急停止をかけ、その方向を見たとき、僕は叫んでいた。


「唯⁉」


 道の真ん中に倒れていた唯に駆け寄る。割と大丈夫だったようで、直ぐに起き上がった唯が僕の方を見た。そして、その顔は驚愕に縁どられていた。


「何で……。逃げなさい、早く‼」


 そこに含まれていた感情は、焦り、いら立ち、そして恐怖だった。とても冗談には聞こえない、本当の感情だったのだろう。でも……


「逃げるって、何から?」


 ――そこには何もなかった。逃げろと言われても、なんで逃げないといけないのかがよく分からなかった。


「いいから‼」


 そう言われて、よく分からないながらも早く逃げようと背を後ろに向けたときだった。


 後ろで、普通はならないような騒音が鳴り響いた。


 走り出そうとした足が止まり、体は後ろを振り向いた。


 そこにあったのは、何かを持っているかのように腕を振るい、動き回っている唯の姿だった。


 もし、これをしているのが知らない人なら精神異常者だと思ったことだろう。


 けど、これを見てそうは思えない。前述の通りだとするよりは見えない何かがいるのだと言われた方がしっくり来る。


 あるいは、それが事実なのだろう。


 事実、地面の至る所がひび割れている。何もないならそうはならない。


 ふと、前方から何かが来るのを風で感じ取った。そして、次の瞬間には僕は宙を舞っていた。


 理解不能、そう考える間もなかった。地面に何度も叩きつけられたが、既に意識が飛びかけていたせいか、痛いとは思わなかった。


「綾斗‼」


 薄れゆく意識の中、耳に届いたのはそんな声だった。

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