第65話「山崎先生の合奏練習」
山崎先生はいつになく真剣な表情で和田に質問した。
「では和田さん、あなたのパートはテンポ何で練習していたのですか?」
突然話を振られて、和田は少し慌てると答えた。
「は、はい!前に先生がテンポ120で練習するとおっしゃっていたのでそれを目指して100から120まで順に上げていって練習していました!」
「他のパートの皆さんもそうですか?」
先生の質問を受けて他のパートのパートリーダーもうなずいた。山崎先生はわかりましたとお礼を言うと、話を続けた。
「私はたしかに今日の合奏はテンポ120で行うと言いました。これは楽譜に指示されているテンポ160と比べてもかなり遅いテンポです。初めての合奏ですからこれくらい落とした方がいいと思い、指示を出したつもりでしたが、うまく伝わっていなかったようですね。」
これまでパート練習を指導していた各パートの2年生は少し不安げな表情をした。その様子を見ながら山崎先生はハッキリと言った。
「私は確かにテンポ120で合奏するとは言いましたが、テンポ120で練習をしてくださいとは言っていません。つまり、今日の合奏ではメンバー全員がテンポ120で完璧に音を出せるようにしてくださいと言ったのです。」
先生はそう言ったのち、叩き棒を叩き始めながら和田に声をかけた。
「ちょっと1stだけで聴かせてもらってもいいですか?今の皆さんの状態をもっとしっかりと確認したいのです。」
「え、あ、はい!」
突然振られて和田は慌てて楽器を準備すると1年生たちにも同じようにさせた。
「それではお願いします。」
そんな1stの様子を見ながら先生はすぐに合図を出した。
その後の演奏は散々であった。先生に指示されるがままに慌てて弾き始めたことがあってか、今までとは異なる先生の厳しげな表情の迫力に圧倒されたのか、はたまた練習不足のためか。
「はいもう大丈夫ですありがとう。」
先生はそう言って演奏を止めると、益田に声をかけた。
「益田くん。今のを聴いてどう思いましたか?」
「は、はい。正直かなりバラけているかと…」
益田の答えを聞き、先生はうなずいた。
「そうです。まだなんとなく弾いている感じがあります。曲の速さに乗り切れずに1つ1つの音が蔑ろになってしまっている。また全員から音が出てるという感じではなく2年生の音、つまり前方からしか音が聴こえてこない。この曲は“マンドリンの群れ”という曲ですからもっと全体で音を出さないといけません。これは1stに限った話ではありません。同じことを他のパートで行なっても全く同じ感想を持つはずです。」
先生の話を聞きながら、音量が足りないと言われた1年生たちは少し俯いた。
その様子を見て先生は補足した。
「今1年生の音量が足りないと言いましたが、これは1年生の問題ではありません。2年生のパート練習の仕方を改善しなくてはいけないのです。1年生が大半の今年の体制、去年とはまるでワケが違います、今の3年生が君たちにしてくれたようなパート練習を再現してはダメです。1年生たちが積極的に音を出すことができるようになる場を2年生が生み出して行かなくてはいけないのです。そして、そのために最初にしたテンポの話が関わってくるのです。」
山崎先生はそういうと、2年生の顔を一人一人見てから改めて説明を始めた。
「今の1年生に最も足りないものは“自信”です。もちろん楽器を始めたばかりで“実力”などまだ他にもつけなくてはいけないことはありますが、その前の段階としての話です。自分はその時にしっかりと弾けているという自信をつけるためにはその日の練習である程度余裕を持てているという実感が必要です。」
山崎先生の話を聞いて、2年生たちはそれぞれそれぞれ自分のパートの1年生の方をみた。
「ここで最初の話に戻るのです。私は先ほど“パート練の時点でメンバー全員がテンポ120で音を出せるようにしておいてください”と言ったつもりだったと言いましたね。あれはつまりパート練の時点でメンバー全員が指定のテンポで余裕を持てるような状態まで持っていって欲しいということです。そのためにはパート練習で120のテンポで練習をしておくのではなく、パート練習では130くらいまで幅を利かせて練習しておき、合奏では120で問題なく弾けるように備えておいて欲しいということです。」
山崎先生の厳しい指摘を聞いて、山口が質問した。
「そうですね。確かにパート練習で早めのテンポで練習しておけば合奏では余裕を持って弾けるでしょう。しかし、120で合奏すると言われたら普通パート練習では指定された120のテンポで練習するものではないですか?」
「はい。その通りです。普通は指定されたテンポで練習するものです。しかし今は練習初期。皆さんの目指すべき本番のテンポは160です。今は練習のために120まで落としているに過ぎない。私が言いたいのは“今日の合奏でテンポ120で弾けること”を目指すのではなく、“11月の本番でテンポ160で表現をつけながら演奏すること”を目指して欲しいのだということです。」
山崎先生の話を聞きながら、2年生は真剣な表情で先生を見つめた。さすがの山口も口をつぐんだ。
「正直皆さんがパート練習で120で練習するか130で練習するかはそこまで重要ではありません。ただ、何度も言っているように今年の代が例年に比べて劣勢であることは確かです。しかし今の皆さんは昨年と同じような練習方法になっており、危機感が感じられなかった。先日皆さんは言いました。今年の目標も全国大会1位だと。昨年の代で、練習方法で成し遂げられなかった全国1位をもう一度目指すのですからそれなりの練習方法を考えてもらわないと困るのです。すでに去年に比べると練習は遅れています。私が言いたいのは今年も1位という目標を立てるのであれば2年生の皆さんは相応の工夫をして練習に臨んで欲しいのです。」
山崎先生はそこまで言うと、最後に付け加えた。
「とはいえ夏休みの部活は今日で終わり、次の合奏は夏休み明けになります。次の合奏を見据えて練習していた従来のパート練ではなく、これからは11月の県大会の本番を見据えて早め早めの練習をお願いします。できますか?」
「はい!やります。やってみせます!」
山崎先生の問いかけに水島は気合を入れて答えた。
この日の練習はこれで終わった。夏休み最後の練習ということで楽器を持って帰る生徒が多かった。いつも通り奏太と糸成は帰り道を歩いていた。
「今日の山崎先生、ちょっと怖かったな。今まで俺らにみせたことのない感じだった。」
奏太がそういうと、糸成も答えた。
「ああ。でも毎年全国大会出場させてきたくらいだし、大会曲の合奏となると厳しいこともあるんだろうな。」
「俺、今日の話を聞いてハッとした。先輩の言うことを聞いてやってればいいんだと思ってたけど違った。先輩たちも初めての運営だし人数も少なくて大変なことも多い。先生は2年生がもっとしっかりしろって言い方だったけど俺ら1年生も自分たちなりに先輩たちをサポートして行かなきゃなんだよな。俺、楽器持って帰ってきたしこれからも毎日練習する!!」
「練習もいいけど、お前宿題は大丈夫なのか?夏休み明けにはテストもあるんだし。」
「…え?」
糸成の言う通り夏休みが開けるとテストがある。8月20日に部活が終わるのもその前のテスト休みになるからである。
「え?いや、ぜ、全然、だだだ大丈夫だし…」
奏太は全然大丈夫ではなかったが、とっさに誤魔化した。しかし、観察眼の鋭い親友に敵うはずもなく、一瞬でばれた。
「そう言うと思ってまたマナブに勉強会頼んでおいたよ。いつでもいいってさ。」
「神!!!」




