第34話「練習のコツ」
次の日から3年生の先輩たちは補講に行き、17時までは1、2年のみでパート練になった。この時間は三送会の曲の練習になり、それぞれの曲について弾き方を先輩に教えてもらいながら練習をした。2年生のいない2ndマンドリンのパートについては1stマンドリンと合同になり、和田が本番では自分が弾かない2ndのパートも含めて2パート分教えることになり、苦労していた。先輩が教えてくれたことで前日の自主練のときよりも練習がはかどり、それぞれその後の2、3年生が全国大会のパート練と合奏をしている間の自主練をスムーズに行うことができるようになった。
奏太は文化祭の時に他の人より多く曲を練習していたこともあって周りのメンバーより要領が良く、自主練の間は頼りにされた。あとは1stの三池花奈や2ndの赤石学など音楽経験者も自主練の時に中心になってそれぞれの練習を手助けした。特に2ndは2年生がおらず、三送会の曲は1年生のみで演奏することになるので特に頑張って練習していた。
3年生の補講が始まり、部活の終了時間が30分伸びてからも1年生だけは部活の終わり時間は18時のままになっており、先輩たちが合奏している間も各自で判断して帰ってよいことになっていた。(17時30分の時点で一回帰りの連絡は済ませてしまっている)しかし、先輩たちが頑張っていることと、曲数が多い割に本番まで時間が無いこともあって多くの1年生が18時以降も自主練をするのだった。奏太や糸成も自主練を頑張り、帰る時間は先輩たちとほぼ同じくらいだった。(先輩たちは18時30分の部活終わり以降更に1時間くらい自主練をして帰る。)この際、先に帰る3年生の先輩に練習している曲を聞かれないように注意をしなくてはいけなかった。
続く7月6日は水曜日ということで部活は休みだった。しかし、奏太は中川との約束の通り、マンドリンを教えてもらうことになっていた。この日はその初日だ。そういうわけでいつも通り部室に行き、楽器を取り出すなど準備をして中川が来るのを待っていた。
「あれ?トレくん今日も練習するの?偉いねえ!」
「あっ!“なが…”、…チェロの先輩!」
奏太は慌てて返事をした。
「あはは!あなた本当に人の名前覚えるの苦手なんだね!2年の永野だよ!」
名前を覚えられない奏太の様子を見て笑ったその先輩はチェロ2年の永野梨香だった。
「あ、すみません!永野先輩、先輩の方こそ今日はまた指揮者の話し合いですか?」
奏太は決まり悪そうに謝ると永野の来た理由を確認した。
「うん、そうだよ。他の2年はまだ来てないみたいだね。10日までに決めろって先生に言われてるもんでね〜、そろそろ結論を出さないといけないんだ。音楽室使ってもいい?」
「大変ですね、もちろん大丈夫ですよ!俺はここで練習するだけなんで!」
奏太は中川のことはあえて伏せて答えた。
「そっか!頑張ってね!3年生の先輩たちも受験生の割に部活休みの日にも自主練しに来たりするから曲だけバレないように気をつけてね!」
永野はそう言うと手を振って音楽室に歩いて行った。
「そっか、今日話し合いなのか。じゃちょうど良いな。」
奏太はそう呟くと、中川を待ちながら自主練を始めた。
奏太が部室でしばらく基礎練をし、指を温めていると、以前退部したという2年生の中川雅典が約束の指導をしに来た。
「よう、ソウタ。なんか俺退部した身なのにここに来るのなんだか少し不思議な感じだ。とっとと済ませよう。」
「そ、そうですね。よろしくお願いします!」
奏太は彼を部活に復帰させるという思惑を察せられないようにさりげなく返事をし、挨拶をした。
中川は持っていた鞄を下ろし、奏太の正面の椅子に腰を下ろすと、奏太の楽譜を覗き込んだ。
「おっ基礎練か、懐かしいな。」
奏太が持っていたのは教則本に載っていたものを用いた基礎練で、左右の連動や左手の指の回り、ピッキングのアップダウンのテクニックなどを主に鍛える目的で書かれた練習曲だった。
「よし、それを見よう。弾いてみてくれ」
中川はそう言って奏太に演奏を促した。奏太は指示された通りその練習曲を最初から弾き始めた。奏太が弾いている間、中川は黙って聴いていた。そして、奏太が弾き終わると、一息ついてから口を開いた。
「お前は今の演奏、何を考えて弾いてた?」
「えっ?」
最初からいきなりの、そしてあまりに予想外の質問に奏太は思わず聞き返した。何を、そう言われても奏太には答えようがなく口をつぐんでしまった。
奏太の様子を見て中川は話を始めた。
「そうだよな。まだ初めて3ヶ月なんだからそんなもんかもしれないが、お前は前に剛田旋を超えたいと言った。超えたいから俺に教えてくれと。だから俺もそれを踏まえた上でレッスンをする。本気で上手くなりたいならまず基礎練こそ蔑ろにしちゃダメだ。さっきの聞き方が良くなかったかもしれないが、お前はさっきの演奏で何に気をつけていた?」
中川の再びの質問に対し、奏太は思わずその質問を復唱した。
「何に…気をつける…」
質問に対して明確な答えを出せない奏太の様子を見て、中川は話を続けた。
「目標ってのは大事だ。お前の言う、剛田旋に勝つという目標も言う分には結構。しかしその目標だけでは達成することはできない。練習や演奏1回1回にそれぞれ目標を設定しなくちゃいけない。」
「1回1回に…目標…」
相変わらず復唱する奏太を見ながら、中川は話に戻った。
「つまり、俺は今日この曲の練習を通してこの力を身につけるってことを明確に決めた上で練習するんだ。基礎練ってのは特にその傾向が強い。パート練の最初にやる基礎練は今までアップ程度にしか考えてなかったと思うが、何も考えずにやる基礎練は時間の無駄だ。今後は毎回の基礎練でその日に達成したい目標を立てることを徹底するんだ。始めは“間違えずに弾く”とか“左手の移動をスムーズにする”とかでいい。とにかく、目標を持って練習するんだ。」
「…なるほど!今までなんとなくやってた基礎練だけど考えながらやることでレベルアップの時間にできるんですね!」
中川の説明を聞いて奏太は思わず目を輝かせた。
「…うん、まあ常識だけどな。意外とここ蔑ろにしてる人って多いから確認してみたらやっぱりだったか。」
中川は少し呆れ気味に言った。
それから奏太は中川のレッスンの通り練習し、言われたことを直した。そして30分ほど過ぎた頃、
「そろそろいいだろう。次回までに直すべきことも大体言ったし、これからの練習に役立ててくれ。」
中川はこう言って奏太の方を見た。
「あ、ありがとうございます!今まであまり音楽の表現面まで考える暇がなかったのでありがたいです!」
奏太は慌てて挨拶をすると、片付けを始めた。
「どうも。そりゃ俺はマンドリン歴は1年ちょっとだし、手のケガのせいでお手本を弾いて見せたりってことはできないから自ずとこういうレッスンになるよ。技術面は都川先生に教えてもらえばいいし、焦らずとも練習してれば自然についてくるよ。自分で言うのもなんだが物心つく頃からピアノをやってきた俺のレッスンだ。音楽性の精度は保証するよ。」
奏太の言う通り中川のレッスンは音楽の表現面に特化した内容で、いくら高校生とはいえ、かつてピアノのコンクールで上位入賞していた経験もあってその内容は非常に適切で高度な指導だった。音楽理論の知識なども含み、音楽初心者の奏太にはやや敷居の高い内容だったことは否めないが、奏太はなんとかくらいつこうと頑張っていた。




