第25話「正指揮者」
体育館にアナウンスが響き渡り、マンドリン部の入場が始まった。入場が終わると各自チューニングの確認をし、小野の合図でクラブソングの演奏を始めた。クラブソングはコンミスの合図で始め、演奏中も指揮なしで、いわゆるアンサンブルで行う。ここはほとんどの1年生は先程の本番と同じく危なげなくクリアした。
演奏が終わると拍手が起こった。そして先ほどと同じく高橋と山下の司会が入った。今回も高橋の暴走するギャグ成分高めの司会だった。司会が終わると山下は一回はけて舞台裏で指揮棒を持ち、改めて出てくると指揮台の上に上り、全体を眺めた。部員全員の顔を一人ずつ見て最後にニッコリと微笑むと、指揮棒を構えた。奏太はそんな山下を見た。山下はこれから始まる演奏を心待ちにしている様子だった。そして先程の話を思い出して気合いを入れた。
ー今までの俺は弾くのに必死で山下先輩の指揮や顔を見ることなんてとてもできてなかった。でも今日は山下先輩の最後の指揮。今から先輩の指揮してる姿を目に焼き付ける…いや、俺の演奏してる顔を先輩に見せるつもりで弾く!
山下は思いっきり指揮棒を振り上げ、ついに文化祭での最後のステージが始まった。
このステージでは奏太はとにかく顔をあげることに終始した。その結果指づかいはかなり間違え、はっきり言って練習の時の実力を出し切ったと言い切ることはできなかったが、意識して指揮を見るようになったことで全体に合わせることに関しては今までで一番できた。最後の曲“Paradiso”では2回あるテンポの変わる場面でいつも上手く入れず、見失ってしまってしまっていたのが、指揮棒を振る速さの変化を意識して見れたことで全体がどこを弾いているのかわかるようになった。
演奏が終わった時、奏太は先程の演奏に比べて音ミスが随分増えたものの満足感は先ほどよりもあった。顔を上げて山下の指揮している姿、各パートの先輩や周りのメンバーが楽しそうに演奏している様子、演奏を集中して聴いてくれている観客の視線、何もかもが顔を上げずに必死に左手を見て演奏していた先程の本番では得ることのできなかったものだった。奏太はそんな確かな実感を得られたことが嬉しかった、何より顔を上げたことで初めて見えた山下の指揮をしている姿は今までで一番生き生きして見えた。しかしそうはいっても本番で音ミスを連発したことはあまりにも悔しく、左手を見ないでもしっかりと演奏できるようにすることは今後の課題だと思った。
マンドリン部の演奏が終わり、舞台上では高橋がインタビューを受けている裏で片付けと搬出が始まっていた。
「どう思いました?今の演奏。」
客席で演奏を見ていた旋は隣に座っている中川に尋ねた。
「いい演奏だったんじゃないか?よく練習してるし山下先輩らしい仕上げ方だったと思うよ。」
冷静に分析する中川を見て旋は訂正した。
「そうじゃなくて、あいつですよ!先輩も気づいたんじゃないですか?」
「…そうだな。はっきり言って驚いたよ。…さっきと随分違う。あれを本番でやるなんて正気とは…あいつは何を考えてるんだ?」
中川は奏太の先ほどとの演奏の違いに疑問を感じながらぶつぶつと呟いた。その様子を横目で見て旋は笑いながら言った。
「だから言ったじゃないですか、面白い奴だって。あいつには今回の演奏で“完璧に弾くこと”よりも優先したい“何か”があったんでしょう。」
「…そうだな。でも音ミスが多いから見逃しがちだが、この演奏はさっきよりも随分ノってる演奏だった。やる気はあるみたいだから確かな技術をつければ上手くなりそうだな。…それに」
中川は分析の対象を奏太に移し、ぶつぶつと続けて最後に少し溜めると一言付け加えた。
「随分楽しそうだった。」
旋もうなずいた。
「先輩も思いましたか、僕もそう思いました。ほとんど弾けなくてもあんなに楽しそうに弾く人、初めて見ました!」
そして、旋はハッとしてニヤリと笑うと中川に尋ねた。
「って中川さん随分あいつのことちゃんと見てますね?ひょっとして結構興味出てきました?」
「…あんなんでお前を追い越そうとしてるなんてって思っただけだよ。」
中川は慌てて訂正したが、少し黙ってから静かに呟いた。
「…でも俺、ちょっと羨ましいと思ったな。」
「中川さん…」
旋はそんな中川の様子を見て何かを思ったようだった。
マンドリン部は演奏を終え、搬出と舞台撤収の二手に分かれて片付けを始めていた。舞台撤収チームの片付けが終わり椅子を一か所にまとめ終えた頃、彼らの分を含めて先行して楽器を音楽室に持って行った搬出メンバーが戻ってきた。
「さきこちゃん!さっきそこで山崎先生が呼んでたよ!」
帰ってきた中にいた2ndパートリーダーの石原が2年生の水島咲子を呼んだ。
「はーい!今から向かいまーす!皆さんすみません一旦離れます!」
咲子は威勢よく返事をし、他のメンバーにその場を任せると体育館の外に向かって急いだ。
「先生が用って、何でしょうか。」
「ああ、サッキーは次期部長だからきっと今後のことで何か話があるんだよ。」
「そうなんですね。演奏が終わったばかりですが色々あって大変ですね。」
様子を見ていた糸成が近くで椅子をまとめていた益田に尋ねると益田はその理由を教えてくれた。
「さて、じゃ後は椅子を音楽室に運ぶか!」
話を終えた益田は椅子を持てるだけ持って歩き始めた。こうして先ほど戻ってきたメンバーも入りつつ椅子の運搬が始まった。
奏太が椅子を運び、音楽室を目指していると後ろから山下がやってきて呼びかけた。
「ソウタくん!演奏お疲れ様!」
「山下先輩!」
「いやあさっきの演奏では前の本番に比べて随分指揮を見てくれたみたいで嬉しかったよ。指揮振った甲斐があったなあ」
「いえいえそんな!まだまだ弾けてないですし」
先ほどの演奏を振り返る山下の話を受けて奏太は謙遜して答えた。
「でも始めたばかりの割にソウタくんすごい頑張っててやる気あるし伸びしろがあるよ。きっと3年にはすごく上手くなってるんじゃないのかな!」
「えっほんとですか!山下先輩に言われるとなんかやる気出てきました!」
話を聞きながら奏太は士気を高めた。
「そりゃソウタくんは“コンミス”になるんだもんねー!上手くなって当然だよ!」
「えっそうなんですか?」
後ろから小野が話に入ってきた。近くにいた和田も近づいてきて“コンミス”発言に少し驚いた。
「ちょ小野先輩その間違いでいじるのそろそろ勘弁してくださいよ!」
「あははやめないやめない多分卒業してからも言い続ける!」
奏太が顔を赤くしたのを見て小野は笑いながら答えた。
こうして一行は歩きながら軽い冗談のような話をし、音楽室の前にたどり着くと、ある事に気づいた。
「え?あなたたち…!」
音楽室の前には中川と旋が立っていた。
以下2021年9月1日追記
今回の引用楽曲
・Paradiso(武藤理恵)
武藤理恵さんは現在も活躍されている日本の作曲家です。
Paradisoはキャッチーな旋律とリズミカルなパッセージが魅力的で聴きやすい作品です。
参考音源
https://youtu.be/wgwxwTk8rhA




