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マンドリニストの群れ  作者: 湯煮損
第3章「強豪校 郷園中学高等学校」
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第14話「指揮者より上の演奏者」

 冒頭は独奏者抜きの場面だったが演奏は相変わらず圧巻だった。ドラとチェロの素早い16分音符のパッセージはのちに2nd、1stが入ってもコンマ1秒の狂いもなく60人全員がピッタリ合っていた。全員の速弾きがコントラバスとギターの低音のリズムの上にしっかりと乗っていて疾走感が覚めない間にドラが高い音域でしっかりと歌い始める。その間1stは1stにしては随分低い音域で16分音符を弾き続ける。そろそろ独奏を聴きたい…そう観客がじれったく感じていた頃、ついに独奏者が動いた。


 最初の音は曲が盛り上がり観客の緊張感が頂点に上った瞬間だった。たった一人で弾いてるとは思えないほど力強く、そしてしっかりと芯のある強いトレモロ。奏太も習った、同じ弦をピックで何度も往復させることによって長いロングトーンを実現するマンドリンの基本的な奏法の一つだが、自分のやっていた初期段階の荒々しいそれとは雲泥の差にあるその音色に奏太は大きな感銘を受けた。


ーだめだ…



ー全然…違う



 一音目から聴衆の心を奪ったトレモロは変化を遂げ、流れるような鮮やかな音符の連続で無伴奏のホールを走り続けた。しばらくして熱が冷めてくると、旋の音は再び姿を変え、浪浪と歌い始めた。このように曲の進行に合わせて次々と音を変える旋の表現力に会場全体が釘付けとなった。


 しかしそこまでの演奏はあくまで序の口に過ぎず、最も奏太の心を動かしたのは約2分にわたって繰り広げられたカデンツァ(伴奏なしに独奏者が自由に主張する場面)だった。最初は呆気にとられているだけだった奏太だったが伴奏なしにたった一人の演奏で2分間絶えず続く16分音符を浴び続け、だんだん対抗心を燃やし始めたのだ。カデンツァが終わってからも奏太はずっと旋を鋭い目つきで見続けた。奏太の中にはいつしかこいつに勝ちたいという感情が生まれ始めていたのだ。





 演奏が終わった時ははちきれんばかりの拍手が会場にこだました。

 演奏を終えた旋は立ち上がって観客にお辞儀をし、しばらく客席の方を眺めた。奏太には退場する前、旋が自分の方をふっと見てニヤリと笑ったような気がした。

 その後アンコールがあったが、協奏曲のインパクトが強すぎて何が演奏されたのか奏太はあまり覚えていなかった。こうして郷園中学高等学校マンドリン部の定期演奏会は奏太たちに大きな衝撃を残して終演した。



 終演後、奏太たちはホール入り口のロビーで演奏の余韻に浸った。

「どうだった?私の言った通りやる気出たでしょ?奏太くん。」

 小野は得意げな顔で言った。

「ええ、先輩は知ってて今日来たんですね。何者なんですか彼、高校の演奏会ってプロを呼んでもいいんですか?」

 まだ衝撃の抜けない奏太のセリフを聞いて小野は笑って答えた。

「ううん。聞いてたでしょ?アナウンスで“高校1年”って。剛田旋はれっきとした郷園高校の生徒だよ!中学の時から入ってたから私は去年も一昨年も見てる。その前は知らないけどね。言ったでしょ、郷園高校の人たちは私たち西田高校の3年生より長く楽器をやってるって。ただね、」

「…剛田くんの場合はそういう問題じゃないの。見て。」

 小野はそう言ってロビーの向こうにできている人だかりを指さした。よく見ると剛田旋と周りの生徒たちの横に40代くらいの男の人が一緒にいて周りの人たちと話をしていた。

「あの男の人ね、剛田正幸(ごうだまさゆき)さん。全国的に有名なプロマンドリニストよ。剛田旋くんのお父さん。」

「えっ!?」

 衝撃の事実に一同は驚いた。

「旋くんは幼い時から正幸先生にマンドリンを教わって個人のコンクールで史上最年少優勝を果たしてるの。彼が中学でマンドリン部に入った時にはマンドリン界ではニュースになったんだって。表舞台には現れてないけど妹さんもすごい上手いって噂もある。彼の家は完全なマンドリン一家なのよ。私たちとは、世界が違う…」

「マンドリン一家...」

 それを聞いて奏太はもう一度旋の方を眺めた。




 「凄かったな…」

 糸成が奏太に話しかけた。先輩たちは郷園高校の知り合いや見に来てたマンドリン関係者の知り合いと挨拶をするため一度バラバラになってしまったので1年生はしばらく話しながら待つことにしていた。奏太は糸成の方を見て呟いた。

「ああ、とんでもないもの見ちゃった感じ。なんか俺今すげー練習したい。あれだけ弾けたら相当楽しいと思う。俺なんてまだ一曲も弾けない、納得のいく演奏できるようになってない。」


「…納得のいく演奏なんて僕もまだできてないよ。」

 後ろから突然声がしたので振り返るとそこに立っていたのは剛田旋だった。



ー史上最年少が今俺たちに話しかけてる…!

 突然のことに糸成は思わず二度見した。

「どうした旋。友達かい?」

 その更に後ろから歩いてきたのは彼の父、剛田正幸だった。

ープロマンドリニストまで…!!

「いや、今日初めて会った。」

 旋は振り返って首を振った。そして再び奏太の方を見ると言った。


「でも彼は、舞台の上から見えた。最前列で半袖半ズボンだったからすごい目立ってたよ!きみ名前は何て言うの?」

 それを聞くと奏太は旋の目をしっかりと見て答えた。

「大橋奏太。西田高校の1年だ。それよりあんなすごい演奏しといて納得できてないってどういうことだ?」

 それを聞くと旋は首に手を当てて答えた。

「西田の!じゃあ小野さんの後輩だね。俺と同級生か!よろしく!納得できないってのは、まあ言葉で説明するのは難しいんだけど…」

「多分…まだ俺は檻に閉じ込められてるから…」

「??…どう言うことだ?」

「まあ君も上手くなったらわかるよ、西田で高校1年ってことはまだ楽器始めたばかりなんだろう?楽器は弾いただけ上手くなれる。小野さんの後輩ならきっと上手くなれるよ。頑張って!大会で勝負するのを楽しみにしてるよ。では僕はこれで。今日は来てくれてありがとう!」

 旋は意味深なことをいい続け、話し終わると父親と共に立ち去ろうとした。しかし、奏太はそれを呼び止めた。


「お前に勝つ。」


「ん?」



「今、今回の演奏会に来て本当に良かった。今俺すごい燃えてる。お前に勝ちたい。その一心で全力で練習してやる!そしてお前を追い越してやる!」

 奏太は旋の目を見て真剣な表情で宣言した。


「そっか!楽しみにしてるよ!」

 旋はそれを聞いて特に驚くわけでもなくむしろにっこり笑ってそう言うと、父親に声をかけて帰っていった。奏太はその姿が見えなくなるまでしっかりと見続けた。




「奏太!大丈夫か?あんな宣戦布告しちゃって!相手は将来プロの凄腕だぞ!楽器10年以上やってるんだぞ!」

 近くで見ていた大喜は慌てて奏太に言った。

「もちろん俺もバカじゃないから勝てるなんて思ってない。でもあんなもん見せられて、あんなすげーもん見て黙っているほど俺も腰抜けじゃない!理屈じゃない!勝ちたいんだ!」

 とんでもないことを言った後だったが奏太は清々しい表情で決して後悔の様子はなかった。



 その頃、旋とその父、正幸は歩きながら話していた。

「旋、何であんなコと話をしたんだ?」

 聞かれた旋はにっこりと笑って答えた。

「僕が協奏曲で入場した時、最前列に彼がいたのを見つけたんだ。演奏会に場違いな半袖半ズボンで来てるのがすごい面白くて、すぐに西田高校の生徒だってわかった。あの学校は部長さんもあんなだからね。それが演奏中もずっと僕を睨みつけた。演奏会で目立ってる僕を見て自分が目立ちたい、そんな野心に満ちた目だった。“史上最年少の天才”なんて持て囃されて、ぼくをライバル視してくる、してくれる人なんていなかった。だから僕は彼に興味を持った。話したら予想通り、すごい馬鹿だった!それはもう清々しいくらいに!僕あいつの将来が楽しみだ!」

「そうか」

 嬉しそうに語る旋に正幸は微笑みかけた。

「僕、これで次のフェーズにいけるよ。もっと上手くなれる。」

 思いもよらぬ出会いに喜び、旋はニヤリと笑うのだった。





 その頃、小野は演奏会に来ていた男の人と話をしていた。

「新しく入った新入生はどうだ?」

「やる気があってすごく熱心に練習してくれてます。今からコンマスを目指してやってる子もいて、すごく頼りになります。」

 小野は少し微笑んで答えた。


「でも」

「だからこそ心配になります。“彼”と同じ道を辿わせてしまいそうで。」

「相変わらず真面目だな小野、だけど、お前が気にすることじゃない。」

「岡村先輩…」

 その男、岡村翔太(おかむらしょうた)はこの春高校を卒業し、市内の大学に進学した小野の先輩だ。かつて小野の先代としてコンマスを務めた経験がある。

「大丈夫。今年は基礎をしっかりやってるんだろ?なら心配することないよ!あの時基礎を教えたのは俺なんだ。責任があるのはどっちかというと俺だよ。小野のせいじゃない。」

 岡村はそう言って小野をなだめたが、小野の不安げな表情は変わらなかった。

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