勇者から復讐者へ
「エリス……そろそろ機嫌を治してくれないか?」
「べっつに~、俺は何も怒ってなんかねーよ? どうせ貴族にぶるって泣いちまうような弱虫女だしな。2人してそんな俺を馬鹿にしてたけど、な~んも気にしてねぇから!」
「そんなふくれっ面で言われても」
「……うるせぇ」
強がってはいるが、今回の件でエリスは気落ちしている様子だった。
いつもは食い下がってくるような場面でも俯いてしまう。
結局あの後、マルゼルとの会話が終わるとエリスはアークの手を引っ張って早く帰りたいとごねり出したのだ。ドレス姿の彼女とこの機会にダンスでも踊ろうと思っていたアークは説得しようとしたが、今にも泣き出しそうなエリスを見て断念した。
帰り道をふくれっ面で歩くエリスも可愛いが、宿に帰った後もこのままなのは流石に不味いと思いアークは何とか彼女の機嫌を治せないかと奮闘していた。
「マルゼル様は君が言っていたような人ではないが、貴族の中には平民というだけで見下すような態度を取る人がいるのも確かだ。だから、貴族を怖がるというのは別に恥ずかしい事でも何でもない」
「こっ、怖くなんかねぇよ! ただちょっと、驚いただけだし……」
目線を逸らしながら、人差し指同士を合わせもじもじしているエリスを見ればそれが嘘なのは一目瞭然であったが、アークはあえて追求せず軽く笑う。
「それだけ軽口が叩けるなら、大丈夫そうだな」
「何笑ってんだよ……言っとくけど、俺はまだお前を許したわけじゃねぇぞ?」
「おや? 気にしてないのではなかったのかな」
「うぐ、いちいちこまけぇ奴だな。つーか、お前って……案外性格わるいよなぁ」
最初に会った頃の爽やかなイケメンというイメージから、今やすっかり外れてしまったアークの意地悪な笑顔を見ながらエリスは溜息を付いた。
「俺以外の奴には、相変わらず好青年イケメンですみたいな態度取ってんのによ……」
「こういう態度を見せるのは、君だけだよ」
「なんだよそれ。俺に恨みでもあんのか?」
「そうだな。いつまで経っても私の気持ちに応えてくれない君を見ると、少し意地悪したい気分になるのかも知れない」
「いみわかんねーよ……もういいや、さっさと宿屋に帰ろうぜ。今日は疲れちまった」
「はぁ……。まあ、そういう君だから好きになったのかもな」
「ん? なんか言ったか?」
「いや、別に何も言ってない。帰ろうか。……ああそうだ。エリスも頑張った事だし、今日の夜は食事を奮発しよう」
「え、マジで!? やったぜ! アークはやっぱり最高のパートナーだな!!」
ご飯をダシにしただけで、途端に満面の笑顔となるエリス。
先程の機嫌の悪さが嘘だったかのように、いまやドレス姿でピョンピョンと飛び跳ね喜んでいる。
鶏は三歩歩けば忘れると言うが、彼女も似たようなものだなと思いつつも、上機嫌となった彼女の姿に癒されるアークであった。
***
エリス達が宿に戻っている頃。
エリスの母、マリーから真実を聞かされたカイトは絶望に打ち震えていた。
「う、嘘だ! エリスが、他の男の伴侶になっただなんて、信じない!」
「信じられないのも無理はないわ。娘がどうしてあんな行動を取ったのか、私も未だにわからないもの」
「あの天真爛漫で、優しいエリスが……僕との約束を破った上に、そんな」
「カイト君……」
「エリスは、彼女はなにか言っていませんでしたか?」
「……カイト君の事なんて、もうどうでもいいって。あの子は、そう言っていたわ。ごめんなさい、こんな結末になってしまって……本当にごめんなさい」
泣き崩れたマリーに対し、カイトは何も言えなかった。
最愛の幼馴染との幸せな生活という未来が音を立てて崩れた去った今、彼に他人の心配をする余裕などなかったのだ。
ただ虚空を見つめ、その瞳は濁っていく。
エリスは、変わってしまったのだろうか。
僕の愛したエリスは、もうどこにもいないのだろうか。
ふらふらとおぼつかない足取りでカイトはただ村を歩く。
それは無意識だったのかも知れない。
歩き、辿り着いたのは勇者として国に招集されエリスと別れた広場だった。
『ああ、約束だ。ここで、お前を待ってるから……』
あの時、エリスは寂しそうに笑っていた。
本当はずっと一緒に居たカイトと離れたくないことは誰の目から見ても明らかであった。しかし、そんな寂しさを押し殺し、彼女は力強くカイトを送り出してくれたのだ。
いつだって自分より、他人の事を優先して考えてくれる優しい幼馴染。
……そんな彼女が、果たして自分を裏切るだろうか?
「いや、あり得ない。エリスはそんな少女じゃない」
カイトは否定した。
マリーの話を聞かされてもなお、記憶に残った少女を信じたのだ。
エリスと長年過ごした時間が、信頼が、そして愛が……おぞましい真実を探り当てようとしていた。
思えばマリーの話には違和感があった。
アークという冒険者はとても色男でエリスが惚れるのも仕方ないと言っていたが、まずそれからしておかしいのである。
カイトは知っていた。エリスは色男が大嫌いであることを。
イケメンと言われる人間を見ると反吐が出ると、毎日のように言っていた。
そんなエリスが、嫌いなイケメンに媚び、伴侶になりたいなどと願い出るだろうか?
そもそも、たった2ヵ月足らず過ごした男のために長年共に過ごした幼馴染を捨てるだろうか? 律儀な性格であるエリスがそのような事をするなど、絶対にあり得ないのだ。
そう、この話は最初から何もかもおかしかった。
自分の知っているエリスと、マリーの話しているエリスは。
――まるで、人が変わってしまったかのような別人だ。
「まさか……」
カイトの聡明な頭脳と、勇者として様々な街や村で得た情報を組み合わせれば……おのずと答えは出て来る。優しく明るかった幼馴染が、もしも自分に対してそのような酷い仕打ちをするとすれば、それは。
「エリスは……心を操られている?」
悪質な魅了術を掛けられているからに、他ならない。
魔王討伐の最中、カイトは魅了術という邪悪な存在についてよく耳にしていた。
いわく、相思相愛だった村の女性が急に自分を捨て他の男に媚びだした。
いわく、愛し合っていたはずの妻が突然他の男と寝室を共にしていた。
傍から聞けば単なる浮気としか思えないものであったが、どの女性も相手の男が居なくなった途端、急に泣き出し捨てた恋人や夫に許しを請い出したそうだ。
人心を惑わし、愛ある者達を引き裂く邪悪な外法……。
今回のエリスの行動は、まさに聞いていた話とソックリだったのだ。
「つまり、望まない彼女を無理やり従わせて……!」
カイトの怒りが、辺り一面を揺らし激しい鳴動を起こす。
地震と間違えてしまう程の、大きな揺れが村を襲った。
「クズ野郎がっ……僕からエリスを、奪ったのかッ!!」
瞳から流れるのは後悔の血涙。
優しい幼馴染を襲ったのは、悲劇だった。
カイトがいない間に、きっと見目麗しい彼女は悪質な冒険者から魅了術を掛けられ、心を奪われた挙句に伴侶になる事まで強制されたのだ。
2年間……好きでもない男から、彼女はどれほどの苦痛と恥辱を味合わされたのだろうか。
それを考えただけで、カイトは狂おしいほどの殺意と後悔に襲われた。
エリスを操り、彼女を散々弄んだクズ男と。
そんな彼女を助けもせず、呑気に魔王討伐に行っていた自分自身に対して。
「すぐに、助けないと……これ以上、彼女を汚させないように」
ゆらりと立ち上がったカイトの顔は、まるで幽鬼のようであった。
聖剣を抜いた彼は、剣に語りかけるように言った。
「行こう、まだ戦いは終わっていない。倒さなきゃいけない奴がいるんだ」
最愛の幼馴染を凌辱し、穢した悪魔。
カイトにとっては、魔王以上の悪とも呼べる邪悪な存在。
それがこの地上で今も生きている事に、彼はこの上ない嫌悪感を示した。
「アーク……僕はお前を絶対に許さない。必ず、殺してやる」
大切な者を奪われたカイトはこの日、勇者から復讐者となった。