カイトという男
エリスとアークが冒険の旅に出てから2年が経った。
その頃、国は大いに盛り上がっていた。王は笑顔で演説をし、群衆は喜びに満ちた声を上げ、皆が笑い合い、中には涙を流してこの瞬間に感謝するものまでいる。
だが、こんなに騒ぐのも当然の話だ。何を隠そう、人類の宿敵とも呼べる――魔王が倒されたのだから。
それを為したのは、勇者と呼ばれる1人の青年であった。
偉大な英雄の名はカイト。
当時は勇者として選ばれたものの、田舎の村から来たという理由から王都の高官や騎士達など、皆が笑いものにしていた。こんな田舎者の子供に何が出来るのだと……見下し、蔑んだのだ。
しかし、そんな環境をものともせず、日夜鍛練を重ねるカイトの姿を見ていく内に馬鹿にするような声も消えていった。半端な覚悟で来たのではないと、理解したのだ。
鬼気迫る様子で修練に励む彼には、一刻も早く魔王を倒したい理由があった。
それは、故郷に残してきた愛する幼馴染――エリスのためだった。
勇者などというくだらぬ使命のために、引き裂かれてしまった最愛の少女。
その原因を作った魔王に対して、彼は殺意とも呼べる感情を抱いていた。
剣を一振り振うたびに、彼はエリスの言葉を思い出す。
『カイトが戻って来るのを、ずっと待ってるから』
寂しそうな顔で、それでも快く送り出してくれた、かけがえの無い少女。
『ここで、お前を待ってるから……』
剣を振る速度が速くなる。
エリスの言葉を思い出す度、彼は狂おしいほどの衝動に襲われる。
彼の目には、幼馴染の少女しか映っていなかった。
本当ならば、すぐにでも村に戻りエリスを抱き締め、二度と離したくなどないのだ。
彼がエリスを好きになったのは、ずっとずっと昔の事。
カイトは当時、村の子供からいじめを受けていた。
きっかけが何だったのかはわからない。
村長の息子が彼を気に喰わず、率先していびっていたのが原因だったのかも知れない。あるいは、あまりしゃべらず暗い性格だったのが悪かったのかも知れない。
そんな日々を送り、嫌気が差していた頃。
孤立していた彼の目の前に立ち、庇ってくれたのがエリスだった。
『弱い奴に寄ってたかって、ホントなっさけねぇ野郎共だな‼ その根性、叩き直してやるよ』
そう言って、村長の息子であるダールを叩きのめしカイトを救ったのだ。
変人エリス――可憐な見た目に反し、粗野な言葉をやめない態度から彼女もまた、カイトと同じように孤立していた。
『大丈夫か? ああいう奴らはな、やる時はやる態度見せてやりゃ黙るんだ。とは言っても、お前にはまだ難しそうだな……。よし! 幼馴染のよしみだ! これからは俺が護ってやるから、代わりに一緒に遊んでくれよ』
ニコリと笑顔で手を差し伸べてくれる彼女が、カイトには天使のように見えた。
この時から、カイトは常にエリスと行動を共にすることになった。
変人エリスが一緒という事もあり、やがてカイトに対するイジメは無くなる。
それでも、カイトはエリスの傍を離れなかった。
いや、離れたくなかったのだ。
勇者として覚醒し、自らに自信が付いた彼はエリスに本当の気持ちを打ち明けた。好きな事に気づいたなどとカイトは言ったが、彼にとってエリスという少女は最初から……。
けれども運命は2人に優しくはなく、このような事態となってしまった。
「エリス……」
幾日も徹夜で鍛錬をしたからか、身体は何度も限界を訴える。
それでも彼は止めない。
魔王を倒すのが遅れれば遅れるほど、彼女に会うのが遅くなってしまうからだ。
自分が居なくなり、1人となった彼女は本当に元気に過ごせているのだろうか?
もしかしたら――寂しい思いをしているのではないのか。
そう考える度に、彼は激しく後悔する。
――魔王などどうでも良い。
――勇者の役目など、くだらない。
こんな事のために、何故僕はエリスを置いて此処にいる?
激しい怒りを胸に、再びカイトは鍛錬に励んだ。
その気持ちが、その愛が――僅か2年で魔王を倒す奇跡を生んだのだ。
「勇者カイトよ! そなたは、我が国の誇りだ!」
上機嫌で王がカイトを褒め称える。
しかし、そんな言葉も彼にとっては右から左である。
彼の心は、彼の全ては早く故郷に帰りたい気持ちで一杯だった。
否、故郷ではない。エリスの元へと帰りたかったのだ。
「そなたになら、我が娘を託しても良い」
エリス以外の女など、気持ち悪いだけだった。
カイトは表面上は笑顔で、丁重に断った。
功績を得てからしか判断できない王の娘になど、何も惹かれない。
英雄になってから擦り寄ってくる女。強さに惹かれて誘ってくる女。
――すべてに反吐が出た。何と浅ましく、汚い存在なのかと。
自分が底辺の時に手を伸ばしてくれるような、そんな女性は彼にとって1人しかいない。絶望に身を縮ませることしか出来なかったあの時、何も与えられず、何も出来なかったクズの様な自分に手を差し伸べてくれた……最愛の幼馴染。
「エリス……今、帰るよ。早く君に、会いたいんだ」
豪華なパーティ会場で浅ましい女と貴族たちに囲まれながら、寂しくカイトは呟いた。勇者は魔王を討伐し、ようやく幸せになれるのだ。
そう――カイトは信じて疑っていなかった。