99 そんなマスクで大丈夫か?
荒野を行く一人の少年・・・歳の頃は12という所だろうか。
名をヴァルマルス。その左手の甲には『99』という文字が刻まれていた。
当てもなく歩く彼は・・・やがてとある街に辿り着いた。
そこは中規模の建物が立ち並ぶ、それなりに発展している様な何の変哲もない街だった。
だが、一つだけ少し奇妙な点があった。
人々が皆マスクをしているのだ。真っ白い、病気の予防に使う様なマスク。
むしろマスクをしていないヴァルマルスが目立つ程だった。
状況を把握するべく、近くの男に声を掛ける。
「そこの・・・ちょっと尋ねたい。俺は今日この街に来たばかりでな。どうして皆がマスクをしているのか・・・少し事情を教えてくれないか?」
「ああ、それは簡単だ。皆恐れているのさ・・・ある病に感染する事をね。」
感染を恐れる・・・その割には男はよそ者のヴァルマルスに気さくに答えた。
「病気・・・というと、死の危険のある様な病が街中に蔓延しているのか?」
「いいや『ロンリネス』はそれ程強力な病気ではない、きちんと治療すれば治るさ。そして・・・蔓延はおろかこの街で今ロンリネスにかかっている者はたったの一人だよ。」
突如この街に現れた病・・・ロンリネス。
感染者は凄まじい高熱に襲われるという、確かに死の危険を孕んだ病気だが、一週間も適切な看病を施せば治るというものだった。
しかし・・・その一番の脅威は『感染力』にあった。
感染者に少しでも接近した者には容易く伝染る。つまり一週間の看病・・・それを行った者にはまず間違いなく伝染るのだ。
最初の感染者から・・・医者から家族から。
ロンリネスは次々と街中で移り渡されて来た。
この病は一度なった者にも再度感染する。最初は人情から看病に走った者でも、一度ロンリネスにかかり地獄の様な高熱の苦しみを味わうと、もう二度と御免だと・・・感染者を避ける様になった。
そして最終的に・・・ロンリネスは一人の気の良い物乞いの男へと伝染った。
すると人々は言った。
『ここで終わりにしよう』と。
誰にも伝染せず感染者が死ねば、ロンリネスは消える事となる。物乞いには名誉ある犠牲となってもらうのだ。
・・・しかし一人の少女がこれに異を唱えた。
『まだ生きられる人を見捨てるのは、殺すのと同じだ』と。
クスリーフという、親を亡くしながらも懸命に生きる8歳の少女だ。
彼女の必死の看病の甲斐あって物乞いは命を取り留めた。
しかし、今度はクスリーフの看病をする者が完全にいなくなってしまったのであった。
「物乞いはあんな思いはこりごりととっとと逃げてしまったよ。薄情なもんだろう?・・・まあ、それは俺達も同じか。」
男は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「怖いんだよ、みんな。病以上に、自分が見捨てられちまう事がな。自分の為に命も苦しみも厭わず看病してくれる奴がいないんじゃないかって・・・。病気のせいにして考えない様にしてるのさ。どーせ伝染る心配なんてないのにこんなマスクまで付けてな。もしかしたら俺達の方がよっぽど重症なのかもな。」
「それで、ロンリネスか。」
ヴァルマルスの言葉にうなづくと、男は遠くを見た。
「今日で二日目か。・・・良い娘だったよ。食事や薬だけは部屋の前に用意したけど、そろそろやばいだろうな。」
町外れの・・・二つ部屋があるだけの小さな小屋。
クスリーフはそこで、病と戦っていた。
(はあっ、はあっ・・・薬・・・薬を飲まなきゃ・・・。)
息も絶え絶えにベットから体を起こそうとするが、全く力が入らない。何もしていないのにグルグルと目が回る。
まるで自分の体では無いようだった。
それでも何とかベットの横の机にある薬へと手を伸ばすが・・・机は倒れ、掴み損ねたそれは床へと落下してしまった。
どさっ・・・!
そのままクスリーフも釣られて床に落ちる。
「ううっ、ゲホッゲホッ・・・!薬・・・!」
ずるずると床を這い薬へと手を伸ばすが・・・あと少しの所で彼女は力尽きてしまった。
その時だ。
突然小屋の扉が開いた。何者かの足が見える。
(誰・・・?)
その何者かは、ゆっくりこちらに近づいてくるとクスリーフの体を抱きかかえた。
彼女はそこで・・・意識を失った。
・・・やがてクスリーフは目を覚ました。
何がどうなっているのか・・・記憶がおぼろげだ。
だが、ベットの隣に座る少年を見て彼女は全てを思い出した。
「目を覚ましたか。薬は飲ませておいたから安心しろ。・・・俺の名はヴァルマルス、少し邪魔しているぞ。」
少年は静かに言った。
見覚えのない姿・・・それにマスクをしていない。
つまり彼が街の住民でない者であると、クスリーフはすぐに分かった。
慌ててベットの端に退く。
「ダメだよ、わたしに近付いたらダメ!!お兄ちゃん外から来た人でしょ?わたしは人に伝染るとっても怖い病気にかかってるから・・・!」
「ああ、ロンリネス・・・だろ。分かってるさ。」
あくまでヴァルマルスは抑揚無く言った。
だったら尚更何故見ず知らずの自分を・・・。
彼はクスリーフがそんな表情を浮かべているのに気づくと、言葉を付け足した。
「生憎俺の体は特殊でな、病気などまるで受け付けないんだ。安心しろ・・・治るまで俺がそばにいてやるさ。」
それから・・・ヴァルマルスは付きっきりでクスリーフの看病をした。
彼女が高熱に動けぬ時は全ての世話を引き受け、症状が落ち着いた時は不安にならぬ様に傍で声を掛け続けた。
一体彼はいつ休んでいるのだろうと、クスリーフは不思議に思うばかりだった。
四日目・・・。
クスリーフの症状は上がり下がりを繰り返していた。
「ねえ、お兄ちゃんのその手の『99』って言うのは何の数字なの?」
「これか・・・これは俺にとって大事な物なんだ。忘れてしまわない為のな。」
「へえ・・・?」
答えになっているのかいないのか、ヴァルマルスの回答に目を丸くしながらも、クスリーフはもう一つ質問をぶつけた。
「じゃあさ、前も聞いたけど・・・本当にお兄ちゃんは病気なんかへっちゃらなの?」
「ああ、そう言っているだろう。余計な心配はいらない。」
けろりとそう言ってのけるヴァルマルスだが、クスリーフの疑問は晴れなかった。
本当にそんな人間がいるのだろうか。
すると彼は言葉を付け足した。
「でも、お前は違う。ロンリネスにかかれば自分がどれほど苦しむ事になるか知りながら・・・物乞いの男の為に動いた。それはとても立派な事だ。」
「ううん、わたしは偉くなんかないよ・・・。私は一人ぼっちでしょ?だからそうすれば街のみんなが私の事を友達だって認めてくれるかもって・・・そう思っただけなんだ。」
「理由なんて何だっていいさ、それで現に救われている奴がいるんだからな。・・・そしてお前がロンリネスを治せば、お前は病気を追い出してこの街を救った事になる。そうすればお前を認めない奴なんていないさ。」
「・・・!うん・・・!」
少し元気なったようなクスリーフに、ヴァルマルスは安堵の表情を見せる。
「だったら急いで治さなきゃな。・・・食事にしよう、少しでも栄養を取り入れるといい。」
・・・そして、七日目。
いよいよ今日でクスリーフのロンリネスは完治するのだ。
「もう少し休めば完全に治りそうな気がする。」
ベットで微笑むクスリーフの顔は、既に血色の良いピンク色を取り戻していた。
「全部お兄ちゃんのおかげ・・・ありがとう。」
「ああ・・・っ!?」
しかしここで、いきなりヴァルマルスは咳き込んだ。
慌てて背を向けるが・・・クスリーフはその姿を見て目を点にした。
やはり病を受けないなどというのは嘘だったのだ。
だが、次の瞬間・・・クスリーフは強くヴァルマルスの手を握った。
「大丈夫、今度はわたしがお兄ちゃんを看病するから!例えまた病気になったって大丈夫、今度は自分の為じゃない・・・わたしがお兄ちゃんを助けたいから!!」
「・・・。そうか。」
小さく微笑むと、ヴァルマルスはそっと手を離した。
「それは心強い、だったらまずはお前が治さないとな。・・・もう少し休むんだ。俺も少し疲れた、隣の部屋にいるから何かあったら起こしてくれ。」
「分かった・・・約束だよ、必ずわたしが治してあげるからね。」
「ああ。」
掛け布団を治すと、ヴァルマルスは隣の部屋へ歩いて行った。
翌日。
目を覚ましたクスリーフが最初に感じたのは体の軽さだった。彼女の病は完治していた。
健康の幸福を噛み締めつつ、彼女はすぐにヴァルマルスの事を思い出す。
今頃ロンリネスに苦しんでいるかもしれない。ならば一刻も早く看病してあげなければ。
ベットから飛び起き隣の部屋へ駆ける。
「治った、治ったよお兄ちゃ・・・!!」
しかし、ここでクスリーフは言葉を失った。
そこに、誰の姿もなかったからだ。
(どこ、どこに行ったの・・・!?)
クスリーフは小屋を飛び出し、街中を探し回った。
しかしそのどこにもヴァルマルスの姿はなかった。
「お兄ちゃん・・・。」
・・・そしてこの日を境に、ロンリネスは街から消えた。
・・・。
気が付くとヴァルマルスは、モヤの掛かったような、不思議な空間にいた。
そして彼の前には、一人の女性がいた。
「初めまして、この度貴方は残念ながら命を亡くしてしまいました。・・・しかし幸運にも、貴方には新たな命が与えられ、人生をやり直せる事が決定されました。」
「・・・。」
淡々と話す女性を、ヴァルマルスは何処か懐かしげに見つめていた。
「突然の出来事に困惑している事でしょう。大丈夫、順を追って一つずつ説明させて・・・。」
「いや、いいさ。俺には必要無い。」
そう言うと彼は立ち上がり、おもむろに親指の爪で手の甲に何かを刻んだ。
以前そこにあった『99』の文字は消えていた。
「必要無いとは、一体どういう事ですか・・・?」
「『異世界転生』だろう?知っているさ、何せこれで・・・」
小さく口元を緩めながら再び女性の方を見るヴァルマルス。
その手の甲には『100』の文字が刻まれていた。
「・・・100回目だからな。」