他軍の動向
「柊南天の月 剣合国軍九万が楚丁州東部の洪和郡に侵攻する。
対する覇攻軍はハワシン・マドロトスとフハ・ガトレイの指揮する十二万。
剣合国軍優勢で戦が進む最中、承土軍に従属を余儀なくされたトーチュー騎軍三万が突如として群州に侵攻を開始。
あの御方はナイツ、亜土雷と共に騎馬隊を率いてトーチュー騎軍の進路上にある呀錘集落へ先回り、ナイツの立てた伏兵作戦に従事した。
トーチュー騎軍は三千余の死者を出して自領まで撤退。
甘録自身も亜土雷、韓任との戦いで危機に陥るが、彼の目に従属者の悲しみを見たあの御方が乱入し、降伏を促した隙に撤退した。
危険を顧みず敵を助けた事に当時のナイツは激怒したが、後になって彼は前言を撤回。
同時に連合軍諸侯達の前であの御方の英断を褒めつつ、彼の頭を盛大に撫で回し、その艶やかに流れる髪を大いに乱した。
「義兄上、いい加減にしないと血を吸い尽くしますよ」
傍にいた姫が髪を整える間に、あの御方は笑みを込めた睨みを見せてそう言ったという。
剣合国軍が再び守りの姿勢をとった頃、北と東でも不穏な動きがあった。
北は律聖騎士団、東は梓州豪族連合。
互いに連携した訳ではないが、両勢力とも沈丁花の月にアーカイ州へと攻め込んだ」
剣合国軍本拠地 群州 義士城
トーチュー騎軍の群州侵攻により洪和郡の攻略に失敗した剣合国軍は、情勢の把握と予期せぬ戦に備える為に義士城へ兵を退いていた。
「むむむ……トーチュー騎軍へ出した使者は今日も戻らなかったか」
洪和郡から撤退し、甘録の許へ使者を向かわせてから五日が経っていた。
にも拘わらず、先方に会ったであろう使者は一向に帰って来ない。
「どうしたんだろーなぁ。……知らないか涼周?」
ナイトは本城内にある噴水に釣糸を垂らしながら、肩車している涼周に問い掛けた。
「むぅぅ……お魚、全然来ない」
涼周は答えにならない返事をして、小さな噴水の中をゆっくりと泳ぐモーマイタイガー(十五センチ程の赤目の肉食魚)達を眺めている。
「そうだな、魚も釣れんな。どうしてだろーなぁ」
モーマイタイガー達が釣糸に我関せずな態度を示すのは、ちゃんとした理由があった。
ナイトに魚釣りの技量がない、モーマイタイガー達が既に満腹、餌が草である、餌の肉だけが一瞬で喰われた、抑々肉を二人が喰ってしまった、どれもこれも違う。
ただ単純に文字通りの意味で、最初からナイトは釣「糸」を垂らしているだけだった。
当然、餌なんて付いていない。一本の細い糸が水中をゆらゆらと漂っているだけだ。
これで釣れる魚がいる事がおかしいし、釣れると確信している二人もおかしい。
(……俺達はどこから指摘するべきだ?)
ナイトに用があって彼の許を訪ねたバスナとナイツは、この状況を前にして固まった。
「むむむ、これでは兄ちゃんとバスナの昼飯が大根一本になっちまう」
「にぃに、ばしゅな、お腹空く。お魚、絶対釣るっ!」
「……おい、その恐ろしい顔をした魚を俺達に食べさせる気か。先に言っとくがモーマイタイガーは臭く、苦く、骨が多いの三重苦だぞ」
バスナが堪らず突っ込みを入れた所で、ナイトはわざとらしく二人に気付く。
「ややや! そこにおわすは先のバスナ将軍とにぃに将軍であらせられるか!」
何だよにぃに将軍って。ナイツは呆れ顔を作ってナイトから涼周を奪い取る。
「にぃに、お昼、あれ!」
今度はナイツに肩車された涼周が、噴水の中で泳ぐモーマイタイガー達を指差す。
「…………涼周も父上に付き合わなくていいんだぞ。あれは食用ではないから」
事の発端は三年前。キャンディが観賞用に放流した一匹のモーマイタイガーに、酒で酔っていたナイトが間違えて上級宴会魔法をかけてしまった。
するとあら不思議、モーマイタイガーは一夜にして四十七匹に増殖。因みに全部雄らしい。
「流れを握られたままでは話が進まん故、さっさと報告するぞ。まずトーチュー騎軍だが、深く探っても先の侵攻に関する理由が見つからん。軍関係者も甘録の独断だと認識しているそうだ。……その為か、トーチュー騎軍の山城は今も騒然としているらしい」
トーチュー騎軍、飛刀香神衆ともに民兵主体の豪族勢力。
軍幹部の者も軍人というよりは名家出身の有力者に近い。
故に族長及び頭領による、独断の軍事行動は勢力内に大きな波紋を投じるのだ。
「極めて面倒な戦後処理を承知の上で、俺達を攻める事の意味はない。……トーチュー騎軍が誰かに操られている事は確かだな」
「だが、それが何者なのかは分からない……か。うむ、ご苦労だったな。他には?」
「承土軍の方だが、トーチュー騎軍に勝ったカイヨー解放戦以降に目立った出来事はない。レトナ国民への対応も良いと報告が来ている。ただし、木曾軍が三木家への侵攻を企んでおり、彼等の動き次第では承土軍、小勝家、アバチタ山岳軍等も動きかねん状況だ」
梓州豪族連合を挟んで、剣合国東方に位置する木曾、小勝、三木、アバチタ山岳国。
木曾を中規模の勢力と見れば、小勝と三木は小。アバチタ山岳国は大。承土軍、剣合国軍は特大に当たる。
勢力図的にはアバチタ山岳国を宗主国とする小勝、三木家に対し、承土軍を上国と捉える木曾軍が積極的な交戦を仕掛けていると言えた。
「木曾軍大将の木曾義仲殿は剛毅勇勢の若武者だ。勢い頼みの戦を得意とするが、果たして今回は通じるであろうか。……うむ、他にもまだあるか?」
ナイトが他の報告を求めれば、バスナは終わった様で、次はナイツが話し出す。
「律聖騎士団の件です。彼等は最近、専ら河賊や野盗の討伐に当たり、捕虜の賊兵を自軍に組み込んでいます。それも終わると今度は領国内で徴兵を始めました。ただ、それがどうもやる気のない徴兵らしく……」
「……おそらくは重横が兵を集めろとでも言ったのだろう。徴兵役の隊長は誰か分かるか?」
「馬延が主だって動き、新しく隊長に任命されたオネウスという者も従事しているとか」
馬延の名を聞き、ナイトとバスナは妙な納得を示した。如何にも苦労性な彼らしいと。
「……そうか。二人ともご苦労だった。この事は夜食軍議にて話題に上げるとしよう」
剣合国軍の軍議は緊急時を除いて朝と夜の二回。因みに昼は、殆どの将が任務先で食事を摂っていた。
一足先の報告を終えたバスナは自らの政務に戻り、ナイトも安楽武の許へ向かう。
「にぃに将軍、食堂へ出発!」
「ふははっ……はいはい」
腹を空かした涼周の為に、ナイツは早めの昼食を摂る事にした。
食堂では、その食べっぷりと容姿から、涼周はちょっとしたアイドル扱いを受けていた。
それを見ながらナイツは、いい歳した大人が何をやってんだかと苦笑する。




