人質その二
トーチュー騎軍三万が呀錘集落を視野に入れたのは、ナイツが同地に到着した二時間後の夕暮れ時であった。
斥候の報告から集落内が無人だと知った甘録は、今日の進軍を終了させる。
「……集落に入り、兵を休ませろ。略奪してよい物は置いていった備蓄食料だけだ。田畑にも手を出すな。…………ここで収穫された穀物が我々を支えていたと皆に伝えろ」
甘録は覇気のない声で指示を下すが、彼の側近達も同様の有り様だった。
だが彼等に言われるまでもなく、トーチュー騎兵達は水田に手を出さなかった。
というのも、水田に適した土地を少ししか所有していないトーチュー民は剣合国民からの食料支援に頼っている面があり、甘録はそれに対して軍馬を提供している。
ナイトの代より、軍同士又は民同士でそういった交流が行われている為、トーチュー騎兵達は所謂青田刈りを本能的に拒んだのだ。
余談だが、安楽武の放っていた間者はその交流を隠れ蓑に活動している。更に剣合国軍の騎馬隊が強く速い理由も、トーチューの駿馬を多く用いているからに他ならない。
「ナイツ殿、トーチュー騎軍が集落内に侵入致した。彼等は持ち運びきれなかった備蓄食料の徴発に移り、隊伍を乱して奥へ奥へと来ています」
偵察を済ました飛昭から敵軍の様子を聞いたナイツは無言で頷く。
そしてとうとう、下馬したトーチュー兵達が伏兵地点まで侵入した時。
「撃てぇ‼」
魔力を乗せたナイツの号令が集落内に響き渡り、先ずは屋根上に潜んでいた銃兵や飛刀兵が出現。遠距離攻撃を行ってトーチュー兵を一方的に撃ち取る。
集落内のトーチュー騎軍は忽ち混乱の渦に呑まれた。急いで騎乗する者、抑々馬と離れている為に徒で逃げる者、右往左往の末に撃たれて絶命する者等々。
「煙弾を撃ち上げろ! 亜土雷隊、韓任隊に合図を送れ!」
敵に立て直す暇を与えず。ナイツは次の指示を出して、韓任と亜土雷の騎馬隊を走らせた。
二将が率いる騎兵は各々一千騎ずつ。各小隊を更に細かく分け、二十騎を一組とした波状攻撃を行う。疾走する路と前後の間隔も予め定め、障害物の多い戦場を効率的に駆ける。
「益荒男どもよ、退け! 直ちに集落内から撤退しろ!」
甘録は無理に抵抗する事を望まず、珍しくも全軍に後退を命じた。
士気の低いトーチュー兵達は算を乱して我先に逃げ始め、韓任と亜土雷は追撃に移る。
ナイツ、涼周、飛昭も歩兵部隊を率いて後に続く。脇道や民家等に入って波状攻撃から逃れた敵に降伏を促し、その後に捕縛する為だ。
「む、巨躯を誇る黒毛に跨がる大矛の持ち主……貴殿がトーチュー甘氏当主・甘録殿だな」
逃げるトーチュー兵を追っていた亜土雷は、集落の南側入口で殿を務める甘録と鉢合わせた。
「うむ、我が名は甘録。トーチューの益荒男達を率いる大将だ。お主は何者か」
甘録は大矛を亜土雷に向ける。亜土雷も呼応して長剣を構えて見せた。
「亜土家当主・亜土雷だ。いざ参るぞ」
亜土雷は名乗りを終えると勇んで突撃した。
彼の声量に純粋な大きさはないものの、侮り難い気迫は十二分に宿っている。
両者は数瞬後に刃を交えた。と言うより、交えざるを得なかった。甘録は兵達を逃がす為に入口に堂々と構えているし、亜土雷は彼を討ち取らない限り敵の追撃ができない。
それでもって亜土雷には、トーチュー騎軍による侵攻の真意を感じ取るつもりは毛頭なかった。
刃を交える事で敵の内情を知れる程に彼の剣術が極まっていないとか、そう言った理由ではない。単純に良くも悪くも敵は敵と見なし、情け容赦を掛けないだけだ。
それ故に、彼の長剣は甘録を討つ気配を強く放ち、鋭い眼光は完全なる敵意と殺意を宿していた。
(この者、若くとも相当な使い手。……手加減して流せるような者ではないか)
剣豪の一歩手前にある亜土雷の剣術は、我流矛術を極めた甘録でも容易にあしらえるものではなく、時として彼に命の危機を感じさせる程だった。
こうなると戦意の乏しい甘録でも、本気を以て当たるしかない。
甘録は亜土雷を黒色の敵と見る事で一時的に良心を捨て、大矛に気力を込める。
「ぬっ……これは驚いた」
岩の様に硬く、変化のない亜土雷の顔からは動揺の色が見られない。
だが甘録の荒々しい猛攻を前にして、彼が眉の角度を強めた事は確かだった。
「待たせたな亜土雷殿。今すぐ加勢するぞ!」
明らかに押され始めた亜土雷が二度ほど切られた頃、矛を携えた韓任が駆け付ける。
(奴は韓任か。この状況は……まずいな)
戦闘の高揚感に包まれながらも、一定の冷静を保っていた甘録。
彼は韓任の強さを充分に知っており、その参戦に一筋の汗を垂らした。
昔話をすれば剣合国継承戦争の折、ナイト率いる本隊を急襲しようとした甘録等トーチュー騎軍を韓任が迎撃している。その際に両者は矛を交えて互角の戦いを演じていた。
故に韓任の方も甘録の強さを知っており、彼が一騎討ちを邪魔してでも亜土雷の加勢に現れたのは当然の事と言える。
「亜土雷、韓任! その者を討て! さすれば一気に俺達の勝利だ!」
(ちっ……! ナイトの小倅まで来おったか!)
更に間の悪い事に、逃げ遅れたトーチュー兵の殆どを捕縛し終えたナイツ達まで現れる。
甘録はナイツの声がする方向を一瞬だけ見た。そこには当然のようにナイツの姿があるのだが、彼の傍に見知った顔の飛昭、その飛昭の膝上で守られる涼周の存在もあった。
(何だ……あの小僧は)
そこで彼は止まってしまう。強者との戦いに慣れ、気を散らす事が如何に危険かを知りながらも、動きを止めて見入ってしまう。
彼の視線は涼周に向いており、涼周の方も甘録の目を注視していた。
「はあっ」
低く、それでも充分過ぎる殺気を帯びた声が甘録の耳へ入る。
「ふおぉっ!」
自ら集中を切らした結果、亜土雷に隙を突かれた甘録であるが、彼はそれだけで討ち取られる程の者ではない。
即座に大矛の柄で迫り来る長剣を防ぎ止め、全力で振るって亜土雷を馬ごと弾き飛ばし、同時に彼の左肩を切りつける。
その次は間近まで接近した韓任に向き直り、大矛も構え直した。
だが、残る一秒で両者の間合いが詰まる時、甘い声音が皆の耳を占領する。
「だめっ‼」
今度は韓任、亜土雷までもが不意の大声に意表を突かれて動きを止め、一瞬置かれた甘録も声が聞こえたナイツの方へ再度意識を傾けた。
「もふぅっ⁉」
甘録が顔を向けた時、彼の顔面に柔らかく且つ温かい小動物の胸が押し付けられた。
言うまでもなく、涼周が甘録に飛び込んだのだ。
「何のつもりだ小僧⁉」
左手で涼周をひっぺがした甘録は、上着を摘まんで宙に浮かした状態の涼周に問い質す。
「お馬さん目に映る。だから武器、捨てる」
指を指す涼周の発言を甘録、亜土雷、韓任は全く理解できなかった。
だが何となしに降伏を勧めているのだとは感じられる。
(……これはもしや好機か?)
甘録は降伏するでも涼周を放り投げるでもなく、涼周を左肩に担いで馬首を返した。
「気は引けるが……しからば御免!」
そしてそのまま集落を出て、南へ向かって走り去っていく。
人質となっている涼周も「ぉぁー」等と訳の分からぬ悲鳴を上げて一切の危機感すらない。
「ちょっ……ふざけんな甘録! 返せ、戻れ!」
堪らずナイツが叫び、飛昭は短刀を馬に向けて投げるが、甘録は大矛の石突きでそれを弾く。
すかさず亜土雷と韓任が先頭になって追い掛けるが、甘録の愛馬は名馬中の名馬。元々の実力が他を圧倒し、乗り手による魔力強化にも高い順応性を誇る。
「……駄目だ。速すぎてとても追い付けん」
亜土雷が弱音を吐く程に、甘録との距離は見る見るうちに遠ざかる。
然し当の甘録は、集落から離れた場所で涼周を降ろした。
「お馬さん負け。仲間なる」
地に足を付けた涼周は大きく見上げながら、もう一度降伏を促す。
対する甘録は一拍置いた後、小さき恩人の純粋な瞳に問い掛けた。
「降りはせぬ。だが、一つ貸しが出来たのは事実だ。小僧、お主の名はなんという」
「……涼周。にぃにの弟の、涼周」
「涼周か、その名は覚えた。ならばお前も覚えておけ、我等トーチューの猛者は人馬一体。馬を駆れぬ者に、我等は従えん」
甘録はそう言い残すと、姿を徐々に大きくするナイツ達に背を向けて南へ退いていった。




