ナイツの存在と涼周の居場所
「……来たか鬼畜ども」
砦の壁上から南の方角を睨んでいたバスナが承土軍の姿を捉えて小さく呟いた。
時刻は午前十時を回った頃。メイセイ隊、輝士隊ともに一通りの陣地建築を済ました後の休憩時間中の時であった。
「承土軍が姿を現したぞ! メイセイ隊、迎撃態勢を整えろ!」
「輝士隊全兵、武器を取れ! 開戦に備えろ!」
東西の陣地もバスナに十数秒遅れて承土軍の姿を確認し、各隊長が魔力を乗じた声を陣内に飛ばす。
両部隊の兵達は瞬時に気持ちを入れ替え、威風堂々とした佇まいを見せて二十分ばかしで臨戦態勢を整えた。
「……ぉぉぅ……!」
その切り替えの早さ、無駄の無さに涼周は思わず目を奪われた。ついさっきまで一緒になって蜂蜜を舐め合っていた者達とはとても思えないだろう。
「さて弟よ、前線は危ないからここから動くなよ」
涼周の頭を優しく撫で撫でしながら言い聞かせるナイツ。
本当ならバスナがいる砦の中が一番安心なのだが、涼周を無理矢理連れていこうとしたら一向に捕まらない鬼ごっこをさせられた為に諦め、好物の蜂蜜とプリンを常備させて本陣に留め置く事とした。
と言っても、身の安全を優先された当の本人は兄の言葉を分かっていて無視する様に、撫でられた頭をナイツの手の動く方向に合わせてゆらゆらと揺らし、大分丸みの帯びた目をナイツの目ではなくお腹に向けていた。
「……いいか涼周。この前はお前のお陰で助かったけど、やっぱりお前には戦場に立ってほしくないんだ。大人しくここに居てくれ……なっ」
「……やっ……」
「嫌でもだ。兄ちゃんのお願いを聞いてくれ」
「…………ぃあっ……いっしょ……いる……」
ナイツの右手に自らの体を絡み付かせる涼周。
ナイツにはその異様な執着心が理解できなかった。
彼にとって涼周は守るべき下の子であり、進んで危険な場所に向かわせる事はさせたくない。ましてや敵を討つ喜びに顔を歪まさせるなど以ての外である。
ナイツには、涼周は笑って花を愛でていてほしかったのだ。
「言うようにさせてやれ。少なくとも、俺達の邪魔にはならん」
その言葉とともに東陣の本幕舎に現れたのはバスナだった。
砦の指揮は側近の将校達に任せて、事前確認を兼ねた軽い様子見に来たとの事。
「ナイツ殿の想う気持ちは分かるが、涼周にとってもナイツ殿の存在が自らの居場所なのだ。下手に涼周の気持ちを拒んで勝手に動かれるより、危険だと思えばこそ自らの傍から離さない方が得策だと思うぞ」
「俺が……涼周の居場所……」
口数少なく何を考えているか分からない涼周の代弁をしたバスナに諭される様に、ナイツは自分の右手に抱き付いている涼周を見る。
合わせる間もなく涼周の目と合ったナイツは、その瞬間に涼周の泣きそうな瞳に良心を痛めた。
睨みと言えなくもない角度の吊り目からは輝きが薄れ、若干の白色が帯びて見えたのだ。
「涼周がどんな境遇に遭っていたのかは知らんが、ナイツ殿は兄としてそいつを受け入れた。涼周にはそれがとても嬉しかったのではないか? 戦場にまで付いてくる程にな」
バスナは続けて語る。
ナイトから頼まれた事とは言え、バスナ自身も知らずのうちに熱弁していた。まるで兄弟同士の真の成長を願う様に。
「この際、ナイツ殿が涼周に示してやれば良い。一人の人として、模範的なあるべき姿を。それを見て涼周も次第にあるべき行動や己の存在意義を身に付ける。もしも悪い方向へ伸びたなら、その時に徹底して直せばよい。……とにかく、今はそいつの思うようにさせてやれ。先に言った通り邪魔にはならんだろうし、感情的な事を除けば敵にとって脅威な戦力となりうる」
バスナの意見と涼周の想いを拒む術をナイツは知らない。
師の熱意と弟の情にほだされたナイツは小さく溜め息をついて微笑を浮かべた。
「……ふぅ……分かったよ。ただし、絶対に俺の傍から離れない事と一人で先走って突撃しない事。この二つを約束してくれ」
「……ぅんっ!」
涼周は目を丸めて三度頷いて見せる。声に関しても、先程より甘みのあるものに戻っていた。
兄弟の仲を取り成したバスナはもう一つの本題に入る。
こちらの話題もバスナにとって気を揉む内容ではあるが、今のやり取りを経た後ならば逆にやりやすい事でもあった。
「話は変わるが、昨夜言った通り全体の大まかな指揮は俺が執る。……だが局所ごとの判断は東はナイツ殿、西はメイセイ殿に委ねる事になる」
「…………俺の判断で、良いのかな」
バスナの心配は適中していた。
ナイツは心の何処かで未だに南亜会戦の失態を引き摺ったままだったのだ。
「そう言うと思って俺が来た。以前にも言ったが、俺の左目の事は気にしなくていい。あれは俺の未熟から生じた誤ちが原因の負傷だ」
「……いや、あれは……」
不意に俯いてしまうナイツ。
ただその様子を心配したであろう涼周がその視線先に身を移し、上目遣いを以て兄を案じた事がナイツの落胆を最低限に防ぎ、渇いてはいるが彼の顔に微笑を作らせた。
それを見たバスナは確信を抱き、指揮官ではなく師の一人としてナイツを叱咤激励する。
「……今だけは気を落としていても構わん。だが、戦が始まればそれは捨てろ。余念を抱いた状態での戦いは大いなる危険を伴い……最悪の場合、涼周にもそれが影響する」
バスナの忠告を聞いた瞬間、ナイツははっとして目を見開く。
「それは……絶対にさせない!」
顔を上げ、改めてバスナを見たナイツの表情には不安の色が大分落ちていた。
バスナは満足そうに唇の端を上げると、二言だけ残してその場を後にする。
「ああ、そうだろうな。それでいい」
わざわざ足を運んだ甲斐と意義のある会話であったと彼は思う。
数時間後の開戦を前にしてナイツと涼周、そしてバスナは良い感じに士気を高め合った。




