若武者乱入
開戦から四時間半が経過。剣合国軍、輙軍ともに決定打に欠け、依然消耗戦が続いていた。
剣合国軍の将達が焦りを感じだし、兵達の余力も少なくなった頃、その暗雲に光を差す者達が戦場に姿を現す。
「輙様、北西よりいずこかの小隊が迫っています」
最初に気付いたのは物見櫓の兵士だった。再度双眼鏡を覗き込み、小隊の姿と数を確認するが、旗らしき物は掲げておらず、軍装も見たことがないものだった。
「所属不明の騎馬隊およそ三百! 敵左軍の背後に待機している我が方の騎馬隊を狙っておる模様!」
「西側の騎兵二千の内、五百を迎撃に当たらせろ。おそらくナイトに味方する国人領主の援軍だろう」
輙之文をはじめ数人の将校も新手の姿を確認し、自軍専用の連絡旗を掲げて離れた味方部隊に指示を出す。
本隊からの指示を受けた事でバスナと相対している輙軍の騎馬隊は、後方から迫る正体不明の新手の存在に気付く。
バスナもその様子を見て、この戦場に何者かが乱入したことを察した。彼は自らが指揮する歩兵五千を三十歩前進させて輙軍騎兵千五百との間合いを詰めるが、陣形は変更せず、様子を窺うのにとどめる。
そうしている内に北西より現れた三百の騎兵は徐々に戦場に近づき、止まる様子のない彼らに対して迎撃の任を帯びた輙軍騎兵五百は馬を走らせ始めた。
両隊が正面きって衝突するまで残り数分の距離となった時、三百騎の先頭を駆ける指揮官と思しき男が右手を挙げて隊の足を止めさせた。
その様子に輙軍は、さては味方ではと馬速を緩めて男に接近しようとする。
然し、指揮官の男が手を下ろして馬首を返すや否や、続く三百名の騎兵も巧みな馬術で反転。号令も無しに来た道を戻りだした。
「おいっ! 貴様等、何のつもりだ」
輙軍騎兵達は再び馬速を上げ、逃げる三百騎の背を追い掛ける。
丘上より一連のやりとりを注視していた輙之文は、一切の無駄がない新手の挙動に策の気配を感じた。
(あれは間違いなく敵だ。それも相当な手練れの筈。しかし奴等の退く先には兵の伏せられる場所はなく、偽装撤退をしたところで背を見せる危険な状況を招くだけ。我が軍の戦力を分散させるにしても大した効果はない。……あの行動に何の意味がある)
輙之文と彼の側近達が北西に逃げる敵の動向に釘付けとなった正にその時、逆方向の東からこの戦場目掛けて迫り来る七百騎があった。
天に眼を持つが如き絶妙なタイミングで姿を見せたこの一隊は、疾風雷火の如くに無人の野を駆け抜け、瞬く間に方元隊と対峙する輙軍騎馬隊二千の背後をとった。
「敵襲、東側騎馬隊の背後に新手が出現! 数およそ七百!」
「何ぃ⁉」
突如として来襲した敵の小隊によって輙軍の本陣は動揺に包まれた。
朱の戦袍を纏い白銀の鎧に身を固めた七百騎の軍装は北西に現れた者達と同じ。
だが二つだけ異なる事があった。一つは先頭の指揮官が、朱の戦袍の下に漆黒の軍服を着た少年である事。二つ目はその少年に率いられた兵達が異様なまでに恐ろしく見えた事。
「一撃で終わらせる。皆続け!」
少年とその部隊は息つく間もなく突撃を開始。状況を把握できていない敵騎馬隊の背に白銀の刃を振りかざす。
敵が馬首を返すより早く突入し、その後十秒足らずで七列突破。素通り状態といっても過言ではない強さと速さに敵陣は大いに混乱する。
「方元! 歩兵一千を寄越せ! 残るは父上の後詰めだ!」
魔力のこもった少年の声は狩場の叫喚をものともせず、方元隊に直接届いた。
「若君が何故ここに⁉ いや、今はそれどころではない」
相対する敵部隊の様子がおかしいと感じた矢先に、この場にいない筈の人物から指示を受ければ流石の方元も動揺の色を隠せられなかった。
だが、剣合国軍随一の戦経験を持つ方元は二度目の瞬きを終える頃には少年の考えを理解した。
「長槍兵一千、前進して若君の指示のもとに戦え! 残りは大殿の加勢に向かうぞ!」
得物とする長槍を勇壮に振るい兵を動かす。
敵騎兵と相対していた前列の長槍兵一千は、横陣に組み直した後に突撃し、残る三千は反転と同時に丘へ向かって進撃した。
「方元が応えた! 全兵、斜め掛けに一点突破するぞ!」
敵の部隊長を擦れ違いざまの一刀で切り伏せた少年は、動揺する敵陣を更に攪乱させる動きを見せる。
先程まで敵中央を西に向かって突き進んでいたが、敵の隊長を討ち取るや否や南西へ進路を変更。斜めに切り進むことで敵陣の小隊ごとの隊形を崩す。
「後を頼む!」
「御意!」
長槍兵の突入より早く敵陣を突破。颯爽と戦線を離脱し、去り際に残りの敵の足止めを彼等に頼む。
長槍兵達は突き刺す敵を捉えたまま少年の声に答え、横陣を崩すことなく敵に迫る。
状況の変化に素早く順応するだけでなく、方元の指揮から外れていながら示される練度の高さに少年は感嘆する。流石は方元配下の精鋭だと。
それと同時に彼は兵士一人一人の損失を惜しんだ。
敵部隊長以下騎兵六百を討ち、陣形もある程度は崩したが、これから行われる戦闘に於いて単純な戦力は未だに敵の方が多く正面切っての消耗戦となれば結構な数の味方が死傷する筈だ。
また、機動力に勝る敵が戦線を離脱し、少年達の後を追うことや長槍兵の背に回り込むことだって考えられる。
「……二百騎残れ。敵残党の動きに注意しつつ方元隊を援護しろ」
直ちに後方の兵達が馬首を返して来た道を戻る。
そして五百騎となった少年の部隊は丘攻めに加わるべく全速力でナイト隊の東端へ向かう。
「ここだ。全兵、突入するぞ!」
ナイトの檄が行き届かず疲労と強敵により押し返されている味方部隊を見つけると、少年は即座にそこを突入点と定めた。
「剣合国軍大将ジオ・ゼアイ・ナイトが嫡男 ジオ・ゼアイ・ナイツ!ここにあり!敵も味方も道開けよ‼」
魔力を乗せた大声で高らかに名乗りを上げる少年ことジオ・ゼアイ・ナイツ。
齢十三にして高名な兵法家と渡り合う武技を持ち、戦に挑めば類稀なる知略と戦術眼で万の敵を討つ。何人も恐れず先頭を駆ける豪胆さは父であるナイトそのもの。それでいて勢い頼みな戦いを行わず、軍法戦術に妙を得るが如き用兵術と軍略をもってしてナイト以上の戦果を挙げる。
剣合国軍次期大将の予期せぬ登場は、多くの兵の士気を回復させた。
大歓声とともに開いた道を疾走するナイツ隊。その隊長が子供であるにも拘らず味方の兵は唯一人として不安な視線を向けることがなかった。寧ろ実年齢に似合わぬ凛々しさに皆が勇気付けられる。
昨年初陣を飾ったナイツは父の下、行く先々の戦で常に武功を立て続けていた。
その勇名は共に戦う直属軍の将兵のみにあらず、他国にまで鳴り響いている。
存在そのもので剣合国軍の兵達が奮い立つのは当然であり、敵対する覇攻軍もナイツを危険視していた。
「剣合国軍大将の倅か。成る程な、確かに他と違う風格を放っておるわ」
遠目ながらナイツの武者振りを確認し、噂に違わぬ若者だと感服する敵将・摩申。
彼は柵と盾兵を用いた防御陣でナイト本人の猛攻を巧みに流していた。そして横陣端の敵の勢いが弱まっていることを知ると、そこを弱点と見定め強兵を配備。横陣端よりナイト隊を崩壊させようと狙っていた。
然し父の尻拭いをするかの様に現れたナイツは、摩申が定めた攻撃地点を一目で自軍左翼の弱点と見抜き、更には下がっていた兵達の士気の要となって反撃に転ずる。
「子供であっても侮れん。今の内に討たねばいずれナイト以上になる。……強襲部隊一千を突入させろ! ナイツの首のみでよい、周りの予備兵も集めて確実に討て!」
ナイツの存在だけで勝利が遠のいた事を感じた摩申は、配置についた精鋭兵を直ちに動かしてナイツ隊に正面から挑ませる。
多少計画が狂おうがナイツを討ちさえすれば敵の士気は失われ、そこから剣合国軍全体の瓦解に繋がる。それが可能であるのはナイツが少数の兵しか率いていない今だ。
摩申は逆境を好機と捉え、持てる全ての力を繰り出した。
「若様、敵の奥から一千の重装兵です。周囲の予備兵もこちらに向かっている様子」
「あの重装兵はおそらく敵将直下の精鋭兵だな。ちょうど良い。父上に流れを渡した後、彼奴等の様な存在が邪魔になるところだった」
魔力を込めた剣の一振りで迫り来る敵兵を二十人ほど両断して見せる。
大抵の兵はそれだけで恐れ慄くものの、新手の重装兵は全く怯まない。味方の中を割って入り、こちらへ向かって猛進し続けるのだ。
「ふははっ!殺すには惜しい兵達だ。そのまま道を譲ってくれれば助かるが、それはないよな!」
道を開けろと言われ、その通りにする敵はまずいないだろう。特に輙之文達には退けない理由がある。
若くして才気に溢れ、完全無欠を思わせる次代の英雄であっても、その理由を取り除くのは困難極まりない。抑々、全てに於いて優れた才能を持つナイツが輙之文達の心情を理解すること自体が不可能だろう。弱点がなく、苦渋を飲むどころか飲まさせ続けた者が、飲まされた者の気持ちを知らぬように。
ナイツは己の力で道を切り開く事は可能でも、敵の心情を理解した上で仁術によって、どうぞどうぞと道を開けさせる事は不可能。
彼は戦史に於ける典型的な常勝の英雄なのだ。
どうぞと道を譲られ「どうもすみません。これ粗品ですけど良かったらどうぞ」と腰兵糧の一つたる味噌玉を敵に差し上げる。敵は「おぅ、其処許の味噌は旨いのう。これは儂等の干し肉じゃ」と返答する。こんな流れで友情の百や千を築く英雄ではない。