帰軍馬車
「梅の月に連続して起きた防衛戦。
勝者たる剣合国軍が得た最も有益なもの、それは人と人、又は軍同士の結束が強化された事に他ならない。
覇攻軍撤退後、防陣の建築を済ましたナイツの先発軍は、終戦翌日に方元と槍丁が率いる後続軍と合流。
李醒やナイツは彼等に現場を任せて、それぞれの帰路に就いた。その中にはあの御方の姿もあり、戦前に比べて様々な色を見せ、時には花を咲かす事もあったという。
「二人から大量に吸い取ったジオ・ゼアイの血が、力の代償として失ったものを取り戻した」
あの御方はそう語り、私がそれは感情なのかと尋ねれば――
「存在だ」
間髪を置かずにあの御方は返答した。
剣合国軍が律聖騎士団と覇攻軍の相手をする間にも、他勢力は次の戦の準備を進めていた。
あの御方にとって長年の強敵となる承土軍もその中の一勢力。
彼等は私が記す必要がない程の、後世まで鮮明に語り継がれる悪行の数々を働いた」
山城州 保龍地域東部 東鋼城塞
「奴の土俵で戦う必要はない。尻尾を巻くなら好きなだけ巻かせてやれ」
李醒はその二言で、洪和郡宝水城へと撤退する覇攻軍の追撃を行わなかった。
理由は覇攻軍の退却先が見晴らしの良い平野であり、彼等の勝手知ったる土地である事。
山を下って追撃を仕掛ければ、マドロトスは必ずや迎撃に出る。平野の真っ向勝負ならばマドロトスは李醒に勝り、兵力も未だに覇攻軍が上回っているからだ。
故に李醒は危険を冒さず、敵の兵力を半分近く削った戦果に留めた。
ファーリムの副将を務める遼遠と輝士隊々長のナイツもその考えに従う。
各々がマドロトスの強さを知っているばかりか、ナイツと李洪に至っては負傷している事も影響していた。
ただ、李醒本人はこの勝利と戦果に満足していなかった。
(……結果として私の描いた通りの勝利からは外れたか。まあ、マドロトスも私も、童という存在は完全に想定外であった。ナイト殿の報せがあった時点では、彼の者が大した働きをするとは思っていなかったが……若君を救い、マドロトスを退け、洪隊の被害を最小限に抑えた事が、最終的な敵軍の撤退に結び付いた)
今戦の勝利の為に様々な策を巡らしていた李醒にとっては、個人の武勇、それもつい最近拾ったばかりの幼子の力が勝利に関与したとは認め難いものだった。
とは言え、それで涼周を嫌うほど李醒は小者ではない。
(……抑々にして六華将に匹敵する実力を十にも満たない子供が有している事こそ、皆の想定外だろう。それはおそらくナイト殿も例外ではない筈。……果たして童という存在を迎え入れた事は、我が軍にとって本当に正しい結果に結び付くのであろうか)
今はまだ、涼周の秘めたる力を認めつつ、危惧する程度が妥当であると彼は思った。
覇攻軍が撤退した後、ナイツは韓任とメスナに防陣建築を任せた。
韓任は昨日の続きである為、大した苦労もなかったが、メスナは図面と睨み合いながら何度も唸り声を上げていた。
暫くして李洪が部下の肩を借りながら姿を現すと、彼女は溜めに溜めた質疑をぶつけまくったという。そんなメスナを落ち着かせ、一問ずつ的確に答える李洪はやはり知将派であった。
マドロトス撃退のその日のうちに防陣は完成。翌日には方元と槍丁が率いる後続軍二万が到着した。
遼遠と方元達に現場を引き継いだ李醒は、自らの直下兵とともに任地の八月(山城州西部)へと帰還。ナイツの輝士隊とバスナ直下の賀憲隊も東鋼城塞を後にした。
帰路の進軍に於いて、ナイツは韓任隊を先頭に、中央をメスナ隊で固め、賀憲隊を後尾の守りに配した。尚、前後の韓任、賀憲隊にはそれぞれナイツ、李洪隊の兵が組み込まれている。
これはナイツと李洪が負傷した状態である為、万が一の事態に対する備えであった。
「うんうん、ほどいた後は優しく消毒してあげる。それが終わったら新しい包帯を巻いてあげてね。あと、古い包帯とか使用した綿布はこの袋に入れてね。これを放置するとみんなの健康を悪くするから。これ大事だから大事」
負傷兵と同じ馬車に乗るナイツと李洪は、メスナの教えの下に負傷兵の手当てを行う涼周を見ていた。
二人が馬車を利用するのは、マドロトスに切られた左足が原因で馬に乗れない為。その上で傷兵と同伴しているのは、兵士用の馬車に涼周が乗り込み、降りる様子がなかった為である。
そして暇を持て余したメスナが負傷兵の手当てを始めると、涼周が興味を示して今に至る訳だ。
「うひゃひゃっ! 痒い! 痒いっす!」
「……むぅぅ……うごく……」
メスナと一緒に兵士の包帯を取り替え、見様見真似で傷口を消毒する涼周。
初めての作業に苦戦しており、手慣れない動きからは優しさに反した不手際が生じてしまう。
「輝士隊の精鋭なら痒さぐらい我慢してやって」
「そういったって若! 足の裏は流石に……うひゃあ⁉」
実験体となっている兵は不意の痒さに襲われて声を裏返した。
周りの兵がそれを笑う中、次に実験体となる兵は背筋を震わせる。何故なら今しがた悲鳴を上げた被験者は片足で済むが、次の被験者たる彼は両足が対象だったからだ。
「うびゃあー⁉」
当然ながら、彼は活き乱れた。ナイツは被験者左右の兵が、笑みを浮かべながら体を押さえ付けている事に悪意を感じた。
ともあれメスナから簡易的な処置を学んだ涼周。最終的には二十名程の手当てを行い、それが終わった後は立て板にしがみついて野山の風景に目を向ける。
「……んっ!」
突然涼周が道端を指差した。その先には膨らみのある赤色の四弁花が咲いていた。
「あれは……サラセンカねぇ。あの花蜜はとっても甘くて美味しいの。きっとプリンにかければ最高よ」
「……!」
メスナが花の名前を答え、その花蜜が自身の好物に好相性である事を知った涼周は手をパタパタさせて笑顔を作る。
「ただ、一本の花から採れる量が本当にちょっとだけなのが残念なのよ」
「……」
メスナの補足と、野に咲く三本のサラセンカを見てしょんぼりとする涼周。犬の耳でも生えていれば、きっと大きく垂れ下がっている事だろう。
「……んっ!」
次に指差した花は全体的に細く長く、そして薄黄色をしているものだった。
「あれはねぇ……たしかオサノルイ。見た通り、しゅっとしてて無駄のない線美が特徴的だけど、触ると手が物凄い臭くなるのよ。えっ、理由? ……ごめん、詳しくは知らない。でも昔話では風呂に入らず、それでいて臭い食べ物ばかりを好んでいた男が……そう! あの花を裸足で踏んだ後に花目掛けて放屁して、その強烈な臭いに堪らず出た男の涙が栄養となって花が開いたのよ。放屁を食らったから薄黄色をしているの」
メスナが話した昔話に一堂唖然とし、涼周さえも半眼を作る。
「……それが本当ならあの花、絶対に枯れたいと思う」
花自身が何と思っているかは別として、ナイツは皆を代表し一言申す。
たがあまりにも花が不憫過ぎて、それ以上にかける言葉が見付からない様だ。
「私はそれ以前に、花に何の恨みがあんのよオッサン……って言ってやりたいです」
「ふははっ……それもそうだ!」
再び馬車の中が笑い声に包まれる。
然し、楽しそうに笑うナイツの隣で、李洪唯一人だけが難しい顔をしていた。
話が詰まらないという訳ではない。単に考え事に夢中で上の空になっていただけだ。
彼の頭の中は東鋼城塞を後にする前の、父・李醒とのやり取りに占領されていた。




