魔銃
マドロトスが長刀を振り下ろさんとした正にその時――
「なっ⁉」
地獄の底から迫り来るが如き、この世の気配とは感じられない殺気とともに一筋の黒い光線が東の方角より撃ち込まれた。
光線は長刀で防いだマドロトスに力で押し勝ち、彼を大きく仰け反らさせる事に成功する。
「一体何が……」
皆が一斉に東の方角に視線をやれば、そこにいたのは静かに睨みを利かす子鬼だった。
「……‼」
「弟……なのか……」
ナイツから見て左側の斜面上にある小さな姿は童その人である。
ただし、その気配はナイツが狼狽える程に違った。
先ず瞳だが、急勾配の目付きはそのままに瞳孔だけが大きく開き、さながら鷲の目を思わせる程の眼力を放っている。
次に左手の爪が小刀程に長く、それでいて切れ味が落ちている様には見えず、寧ろ敵の血に染まる事で切れを増しているとさえ見える事。その反面、突き出された片手銃には血や泥や汚物等の類いが一切付着しておらず、ある種の呪いがかけられていると言われて納得できる程の輝きを示し、却って不気味さを助長させていた。
最後に、ナイツの心を一番痛めた事は、花を愛でる純粋さと死者を悼む優しさを持つ童が――
(だから……なんで平気なんだよ……!)
全身隈なく返り血に染まって尚、平然としていた事だった。
同時に、多量の魔力によって生成した光線状の魔弾を受けたマドロトスも、それらを含めた童の異常性に驚いた様子を見せていた。
彼は自らを睨み付ける童が、何故この場に現れる事ができたのかを考察するとともに、その存在の品定めを行う。
(あの子供……霧の晴れ間にナイツを見つけ、続く俺達の盛り上がりからその危機を察したな。十に満たなさそうな身で機を見抜く術を持ち、魔力も開花させている……か)
マドロトスは長刀を構え直し、見聞きした事のない新手に戸惑った。
その存在が自らの求める強敵に該当せず、師の教えに反する戦いとなるからだ。
(…………先の事を考えれば、今のうちに討つべきだ。……だが、俺の刀は幼子を切るを望まず、進むべき道にもその亡骸はあってはならない)
戦に私情を挟む。それこそがマドロトス最大の弱点であった。一人の剣豪としての実力ならばファーリムやナイトに匹敵しても、率いる者としての才能では彼等に及ばない。
黒染やウォンデの様な自己欲求を満たす為に戦う輩の方が、戦場では逆に厄介である。
一方の童もマドロトスを見切った様だった。
童は睨みを緩めて諦観した眼差しを作ったものの、不思議とその目には色が無いように感じられ、マドロトスの本質を見抜いて興味が失せたかの如く冷めたものだった。
「おお、弟君の示される通りに動いてみれば若様の危機だ!」
「童殿、いざ参りましょう! 兄君様を助けるのです!」
鑑定が済んだところで、童の後に続いて来た百名程の兵が現れた。
童の白い上着が鮮血に塗れている様に、彼等が身に付ける白銀の鎧も朱を纏っている。
鬼兵の後続を得た子鬼は頷き返し、再度先頭を駆け出した。
「弟君に遅れるな! 我等も突撃するぞ!」
小隊長の号令がかかり、童隊は着いて早々に突撃を行う。
覇攻軍の兵達は、マドロトス本隊千五百 対 ナイツ、李洪隊四百の戦場に今更百名程の兵が加わろうが大勢に影響はないと、誰しもがそう思った。
マドロトスの圧倒的強さを直に見ている分、絶対とも言える安心が彼等の中にあったのだ。
だが、マドロトスは彼個人の流儀と童の異常性に思うところがあり、勇敢に童隊の迎撃を行う部下に反して足を止めていた。
今まで多くの敵と刃を交えた彼であっても、童の存在は初めてであり、それが為に若干の恐れを抱いたのである。
その間に童はナイツとの合流を果たし、兄は駆け寄ってきた弟の頭を撫でて言う。
「よく来てくれた……と言いたいが早く下がれ。兵の数でも、将の力量でも俺達は負けている。マドロトスが再度切り掛かるより先にお前だけでも逃げろ」
充分に戦ってくれた童を褒める為ではなく、言い聞かせる為に頭を撫でた。
ナイツと童の後日曰く、この言動は全くの逆効果であった。
ナイツには死ぬ気はなくとも、童はこれを今生の別れと勘違いしたようで、幼子に似合わぬ決死の念を抱かせたという。
「……」
童は突然、左手の爪で自らの右手の甲を浅く切り、血が滲み出たのを確認した後に爪を元の長さに戻す。
そして出た血を中指で拭い取ると、次は血が滴るナイツの左足に抱きついた。
そこまでは何がしたいのかで済む程度。問題があるのはその後の動きであった。
「…………」ぬちゅう
「んっ? ……んへぇっ⁉」
何と、ナイツの深い傷口に直接唇を当て付け、艶かしい舌使いで流れ出る血を舐め取りだしたのだ。
『ああぁっ⁉』
一同騒然であった。戦の最中にこいつは一体何をしているのだと言わんばかりに唖然とする。
「うひゃあぁ⁉」
我関せずを貫く童は表面上の血を舐め終えると、続けざまに体内の血を吸い始めた。
ナイツは堪らず、素っ頓狂な悲鳴を上げる。
痛くはないが死ぬほど恥ずかしいこの行為は一体何の罰なのだ。もしかしてあれか、寝るときに抱き枕代わりにされたのを怒っているのか。若しくは子鬼のようだと思ったみたいだけど本当は僕、吸血鬼でしたみたいな自己紹介のつもりか。はたまた俺の血をプリンのカラメルと勘違いして食らいついたのか。
数秒の間、脳をフル回転させたナイツ。想定しうる動機を頭の中一杯に思い浮かべ、それ以外に考えられなくする事で、周囲からの軽蔑的な眼差しに耐えるためだ。
十数秒の後、充分に血を吸った童が傷口から唇を離し、糸を引く舌をしまう。
「…………いける……」
「……えっ?」
聞き落としかねない程の小さな声だが、童は確かに喋った。
同時にナイツは童の視線先にある片手銃の銃口が光を帯びている事にも気付く。
童は最後に左人差し指でナイツの血を拭い取り、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳に、ナイトが話していた通りの幻妖な赤光を宿しながら。
「……魔銃……全開っ……!」
突き出された片手銃が童の声に応えて大量の魔力を放出し、童を中心としてその身を守るような黒霧の渦が巻き起こる。
魔銃と呼ばれた片手銃は小さな形を一度崩し、形状を再構築して元の倍近い四十センチ程度の雄々しい大型銃へと変形。漆黒の銃身と深青の溝が放つ光沢も一層の深みを増した輝きへと変わる。
持ち主たる童も、左人差し指に帯びたナイツの血を上唇に左から右へと塗り、中指に帯びた自らの血は返す手に従って下唇へ右から左に塗る。
「ターコイズ……力を……貸してっ!」
やや高めの甘い声音とともに変形を終えた魔銃・ターコイズを突き出す童。
その周りにシラウメの花が舞い散ると同時に黒霧の渦は止み、幼体に似つかわしくない大型の魔具を構えた童の姿が鮮明に現れた。
(今のはシラウメの花……でも、どうして)
白き花弁は、朱に染まった童を優しく包み込むかの様に舞い、童の身に付着した汚れの全てを浄化した後、淡い光となって静かに消える。
異常が続く中に於いてシラウメの花が舞う様は、とても浮いて見えた。
だがその様子が、不思議としっくりした純粋な美しさを放ち、戦を忘れて惹き付けられたナイツは言葉を失った。
「……お前は……一体……」
それは他の者達も同じだった。戦場に舞う花に魅了され、マドロトスまでもが呆然と立ち尽くす。
彼は説明がつかない、明らかに異常が過ぎる存在を前に思考が停止していたのだ。
そんなマドロトスの問い掛けを無視する童は、ゆっくりと彼を指差した。
「お前は俺の眼に映らない!」
童はそう言い放ち、矢継ぎ早に上唇のナイツの血を舐めとる。
途端、童の左腕を光の粒子が包み込む。ナイツから吸収した光属性の魔力が実体化したものだ。
「……彼の王が握るは皆を照らす光の剣……!」
童は光を纏った左手で魔銃を優しく撫でて、ナイツより吸収した魔力を装填。
「……其の者を護るは背に控えし闇の霧……!」
次に、先程と同じ要領で下唇に付けた自らの血も舐めとり、顕現した闇の魔力を装填する。
相容れない属性同士の魔力が童の詠唱によって魔銃の中で勢いよく融合し、凄まじい拒絶反応さえも力に変えて絶大な威風を放った。
「撃ち払え! 白夜王 オーセン‼」
童は両手で魔銃を突き出しながら神話の英雄の名を叫び、照準を定めると同時に漆黒の引き金を引いた。
攻城砲が鉄の塊を吹き出した瞬間に発する轟音と震動にも勝る衝撃が辺り一面を震わし、銃口から白色の光線が撃ち出される。
それはナイツを救ったものの十数倍はあろう特大の光線であり、発砲の瞬間には眩しいと感じさせる程の光を発して周囲を照らし、次の一瞬で山中の濃霧を払い除けながらマドロトスに迫った。
視覚情報をもとに脳が判断を下す余裕もない一撃を前にしたマドロトスは、条件反射的に魔力を込めた長刀を振りかざす。
だが、異質な存在が放つ攻撃はそれすらも常識に従うものではなかった。
「っ⁉」
光線は長刀の間合い寸前で数十本に分離。マドロトスの視野一杯に広がりを見せ、長刀を迂回して前方多面より彼を攻め立てた。
一斉同時攻撃ではなく、一瞬毎の時間差を用いて翻弄する様な連続攻撃。それはナイトと戦った際に見せた童の戦法に酷似するものだ。
ただ、あの時とは数も威力も段違いであり、如何な剣豪と言えど全てを捌き切る事は不可能であった。
「チェアアァァー‼」
長刀による防御と熟達した躱しだけでは凌げなくなった時、マドロトスは多大な魔力を込めた気迫を放出して、光線状の強化魔弾の全てを防ごうとした。
「……ふふっ……!」
その瞬間、童の小さな背中から微かな笑い声がナイツの耳に届き 、マドロトス流の魔障壁と童の魔弾が全面衝突する。
「くぅっ……!」
ナイツは激しい魔力のぶつかり合いが生む、天地を揺るがす衝撃波と大気を削る亀裂音に戦慄した。これが人の行う戦なのかと。
「があぁっ⁉」
数瞬の魔力比べはマドロトスが押し負ける結果となった。
彼は絶大な魔力相殺によって引き起こされる銀色の爆発に巻き込まれ、後方の部下達の許へと弾き飛ばされる。
「マドロトス様ご無事ですか⁉ ……引け! 引けー! 撤退だ!」
マドロトスの側近達は、戦闘不能とまではいかないものの全身に中小の傷を負って上手く立ち上がれない上官の姿を見て、全軍に撤退指示を下した。
「……霧が晴れたか――見ろ! 敵は数千足らずだ! 遼遠隊全兵に告ぐ! 直ちに山を駆け下って敵の悉くを討ち果たせ! 行けェー‼」
東山のみならず戦場全体の霧が完全に払われた事で、西山守備を受け持っていた遼遠が真っ先に全体の状況を把握。
守備隊八千に反撃攻勢を命じて眼下で狼狽えている三千の覇攻軍に襲いかかる。
「晴れて敵さんが撤退するよ! 騎馬も歩兵も一気に出撃! 陣形関係なしに突っ込んじゃって‼」
「オオオー‼」
東山後方の本陣で出撃準備を整えていたメスナもまた、二千の輝士兵に突撃命令を下す。
戦局は一気に好転し、剣合国軍は追撃の機を得た。




