李洪隊
童の参戦により防衛線の一端が勢いを巻き返した時、李洪は最激戦地で槍を振るっていた。
霧の中から続々と現れる敵の迎撃に手が離せない彼は、部下の報告を聞く余裕すらなく、童の活躍など知る由もなかった。
(まさか昨日の今日で早くも仕掛けてくるなんて……マドロトスとは徹底的に攻め偏重の様だな)
李洪の槍は一人ずつを確実に突き殺す。決して派手な戦いではないものの、一突き毎に必ず敵兵を討ち取り、既に百人近くを朱に染めていた。
それでも覇攻軍は押し寄せる。背後に頼れる上官の存在があるかの様に。
(……ここか)
李洪は敵兵の異様な士気の高さから、濃霧の向こう側にマドロトスが控えている事を察した。
(中央を突破して山全体の連携を遮断した上で、各個撃破を狙うつもりか。……これを防ぐには、今の戦力だけでは厳しいな)
敵の作戦を看破しながら、対策をとる暇も戦力もない。
今はまだよいが、この場にマドロトスが現れた時には最早手の施しようがないだろう。
だが、早急な後続の到着を望んだ矢先、李洪隊にとって最悪ともいえる状況が作られる。
「む……新手か! ぐわっ⁉」
李洪本隊の東隣の味方小隊が、目前の敵を押し返して反撃に転じようとした時だった。
突然、彼等の目に長身の人影が霞んで映り、身構えた次の瞬間には一人一人が同時に両断される。
「李洪様、左の小隊がいきなり……!」
「……もう現れたか」
睨み付けた先には、長刀を垂直に振り下ろした状態のマドロトスがあった。
「ハハハ! どうした、この程度か。貴様等は剣合国軍の中でも指折りの存在ではないのか?」
常々から冷静沈着な李洪には、この様な易い挑発は通用しない。
「単騎で突出した愚か者が! 我等の協撃の前に沈むがいい!」
ただし、兵達は別であった。彼等は敵に自分達の技量を侮辱された事で心に闘志の炎を灯してしまい、無謀にもマドロトスを相手に果敢に挑んだ。
「ハッ! 大したことない、大したことないっ!」
一糸乱れぬ集団戦法で多方面からの同時攻撃を仕掛ける輝士兵達を、マドロトスは鼻で笑って軽くあしらった。
わざと設けられた隙間からわざと抜け出して待ち構えていた無数の刃もひらりと躱し、輝士兵が一箇所に集まったところを一閃。忽ち三十余名の兵の体が、上半分と下半分に別れて地に落ちる。
「くそっ! 怯むな、敵の総代将を何としても討ち取るぞ!」
圧倒的武力を示されても恐れを抱かない輝士兵の精神は流石と言える。
然し見る者からすれば、それは匹夫の勇に他ならない。勝ち目なき敵を相手に、徒に死人を増やすのみである。
(この場を捨て、後続との合流を果たすべきか)
マドロトスと対峙した際には彼と戦う事を避け、その手下どもを狙え。出陣前の軍議にてナイツが語り、皆が同意した方針だ。
李洪は直ちに後退命令を下す。周囲の小隊にも聞こえる様に声に魔力を乗せ、隊全体の戦線を下げる事とした。
「我が李洪隊は後退せよ! 一度下がって立て直す!」
「李洪将軍、お待ち下さい! マドロトスが単騎でいる今が好機です! 戦力をここに集中して討ち取るべきです!」
「マドロトスを見くびり過ぎだ。よいから後退しろ!」
多くの兵が彼の命令に反対するが、当の李洪は言い聞かせる暇を惜しみ強制後退を命じる。
マドロトスは挑み来る輝士兵を切り伏せながら、そのやり取りを耳に入れていた。
そして一通りの命知らずを両断し終えた後、背を向けて逃げる李洪を散々に罵る。
「李洪……か。李醒の息子とはお前の事だろ。道理で弱い訳だ! 結局、お前達親子は他人の力なしではろくに戦う事もできない頭でっかちだ! ハハハ!」
「……下らない挑発だ。無視してしまえ」
上官を侮辱された事で怒りを露わにする側近達を被害者本人が宥める。
李洪より年上の者が多い彼の側近衆は、当然ながら上官以上の戦経験を積んでおり、先程の兵達とは違ってマドロトスの言葉が易い挑発だと理解していた。
それでも彼等が数瞬の間だけ足を止めたのは、自分達の上官が誰にでも優しく丁寧で、何よりたゆまぬ努力家だと尊敬しているからだ。
側近衆の中の李洪像は知勇兼備の名将であり、決してマドロトスが評した様な弱将ではない。逆に李洪本人は自分を卑下しており、マドロトスの言った通りだと思っていた。
この様な考えの違いが徹底した退却を行う要因に繋がるかと思われたが、あと一歩の所でマドロトスの挑発が功を奏してしまう。
「……あくまでも逃げに徹するか。まぁ、父親から何一つとして教わっていないお前では、それしかないだろう!」
「……ちっ!」
その一言に、李洪は反応してしまった。
振り返り様にマドロトス目掛けて槍を投げつけ、退却の足を自らが止めてしまう。
「ハッ、父親同様に冷めた野郎だと思ったが、少しは熱いものを持っている様だな」
文官色の李洪が放った飛槍は、彼の見かけによらぬ威力を以てマドロトスの長刀を響かせた。
槍は持ち主の手から離れた先で弾かれて尚、李洪の魔力を帯びており、地に落ちる事なく彼の手元に戻る。
「……将軍本人から学ばねば、私は何もできないと思っているのか?」
完全に足を止めてマドロトスと向き合う李洪。
彼は父から何も教えられないのではない。大人になった今、偉大な軍略家・李醒を超えるには、ただ彼の真似事をするだけでは不可能だと考えた上で、李洪自身が父に教えを請わなくなったのだ。
魔力を開花させるほどに槍術を高めたのも、偏に父に劣る軍才を武勇で補う為。
それ故に、自らの研鑽の程を知りもせず、李醒が全てであるようなマドロトスの発言は聞き捨てならなかった。
「その慢心、今ここで貫いてやる!」
「おし、両断し甲斐のある良い顔になったぞ。やはり男たる者、正面から切り合わねば男ではなし! その点お前は父に勝っている!」
一転して迎撃陣形を敷いた李洪の気骨に、マドロトスは好印象を覚えた。
武人の気心を知らず、卑怯な策ばかりを弄して当の本人は戦わない李醒より余程立派だと。
「ハハハ! ……いざ、死合おうかぁ!」
中段の構えで長刀を握り直すマドロトス。
この構えは彼にとって、敵将と言えども討つに惜しいと思った相手に対して見せる手加減そのものだった。
マドロトスは李醒の子である李洪にかつての宿敵の理想像を見出だし、彼にしては珍しい長期戦を望んだのだ。
前線に踏み留まり、マドロトスにこう思わせた事は結果的に李洪の命を助けたと言える。
マドロトスは撤退する李洪が最後まで戦う意志を持たない様であれば、李醒に対する見せしめとばかりに背後から一刀両断するつもりだった。
だが李洪は挑発に乗ったとは言え、敵将へ正々堂々の気概を見せた。剣豪マドロトスには、その心意気こそが戦うに値する敵の最低条件であり、一軍の将としての甘さでもだった。




