誰の許に居るべきか
防陣の建築は韓任と李洪、資材の手配はメスナ、広範囲の警備は賀憲に任せ、ナイツ本人は地形や高低差を把握するべく、灰燼に帰した南側の山肌を歩いていた。
「……」
彼の後ろには童がちょこちょこと付いて回り、ナイツの補佐と護衛を兼務するかの様に地形図とペンを持ち、腰に片手銃を下げていた。
(……今になって気付いたが、この子はどうして死体や流血に慣れているんだ?)
山を歩いて回る最中、焼死した覇攻軍兵士の死体が結構残っていた。
汚い話だが、死体は次の戦の邪魔になる為、可能な限り除ける。敵の死体は遠慮なく乱雑に排除し、味方のものならば丁重に引き上げるのだ。
だが、今回の様に火計後の戦場ではそれが敵なのか味方なのかの判別が難しい。兵士一人一人が金属製の名札を身に付けてはいるのだが、業火はそれすらも黒炭に変えてしまう。
更に、炎は直接的に武器で殺し合うよりも早く確実に、より多くを殺す。正直に言って撤去し尽くすには無理がある程の焼死体を生み出す。
そうして未だに残された死体が幾つも見られたのだが、童はそれを目前にしても怖がらず、嫌がる様子もない。それどころか彼等の死を悼む様に、緩やかな睨みを向けていた。
ナイツは自分より幼齢な童が既に戦場を知っている事に、大きな疑問を抱く。
(俺だって初陣の際、人を切り殺した実感に震えていた。汚物や血肉にまみれた死体にも激しい嫌悪感を抱いた。でもこの子は既にその経験を味わっているみたいだ。……一体いつから……)
同情しきれない程の過去が童にあるのではないか。
そう思ったナイツは無意識のうちに童の頭を撫でていた。
「……」
依然、表情には色がなく、目の傾き具合も初めて会った時から大差ない。
それでも撫でてやれば手を握ってくれる程に、童の態度は軟化していた。
「ふはは……もう少しだけ、付き合ってくれ」
「……」
兄の左手を強く握って頷く童。
ナイツは小さく温かい手から、童の中に隠れている温情を感じる。歳に似合わぬ異様が目立つ幼子であっても、その本質は優しく無垢なものであると。
その日、防陣は五割程まで出来上がった。
ナイツは山頂に設けた本陣に将等を集め、成果の報告を兼ねた軍議を開く。
「陣地の構築は明日の夕方頃には終わります。そこから先は私が陣内の不備点検を行い、韓任殿には兵の配置をお願いしています」
「李醒将軍から廻してもらった資材は全部受け入れを完了して、今は南側の八合目に置いています。ただ、李洪殿から少し足りないとの報告を受けたので、明日私達が持参した資材をいくらか南側に移動させますね」
「東鋼一帯の索敵と警邏を行いましたが、近辺に敵兵は確認されませんでした。それと敵軍の様子ですが、マドロトスは軍の再編成を半ば近くまで済ませているとの事です。李醒将軍からも同じ旨の伝言が届いており、将軍が言うにはマドロトスの再出撃は早くて明後日であると。……最後にバスナ将軍からの報告ですが、後軍の出撃も明後日になるとの事です」
「俺の方からは図面と実際の地形に数ヶ所の不整合があった事だ。場所の位置と形態の相違点をまとめておいたから、韓任と李洪はそれも参考にして防陣を築いてくれ」
「最後に童ちゃんに代わって私が報告しまーす。眠たーい!」
皆の視線がナイツの足下で寝そべっている童に移る。眠たいというより、もう寝ていた。
「童は誰の天幕で寝かせますか?」
韓任はナイツに向かって一応尋ねるが、その時点で答えは決まった様なものだ。
ナイツは童をひょいと抱き上げると、一先ずは彼の後ろにある机上に寝かせる。
「後で俺の天幕に連れていくよ」
時間を確認すれば既に十時過ぎ。幼子はもう寝る時間であった。
「ふふっ、歩き疲れと満腹を経た上で、よく耐えた方じゃない?」
「子供には軍議なんて詰まらないものだからね。眠りもするよ」
李洪とメスナは声量を落として談笑する。ナイツの兄、姉程の年齢の二人には童が末っ子にでも映るのだろう。
「ナイツ様、戦が始まった際にはこの童を本陣に居させますか? 私としては義士城へ帰らせるべきと思いますが……」
その一方で輝士隊の長老格・韓任は、童の存在が戦の邪魔になる事を危惧した。
恐れる事なくナイトに挑み、彼を負傷させる程の強さを持つと言われていても、実際に戦った姿を見ていない韓任にはその強さが不確定要素に他ならないと思えたのだ。
「……韓任もそう思うか」
「という事は若も童ちゃんが足手まといだとお考えで?」
静かに眠る童を見ながら、黙して頷くナイツ。
彼の考えには前述の要素に加え、童に血生臭い世界を見せたくないといった優しさが含まれていた。
(この子はもう……戦うべきじゃない。母上と一緒に花を育て、笑っているべきだ)
これ以上、童に修羅の道を歩ませたくはない。
ナイツは未だ見ぬ童の笑顔を思い浮かべながら、その頭を優しく撫でてあげる。
「……」
「あっ……すまん。起こしたか」
つるっとした艶のある髪の毛を出来る限り乱さぬように注意したが、抱き起こした時に生じた感触が尾を引いていたらしく、次なるスキンシップで童の意識を覚醒させてしまう。
といっても完全に目覚めた訳ではなく、現実半ばに夢心地半分だった。
「まっ、その辺の事は明日改めて決めるさ。……するべき報告も済んだ所で、もう今日はお開きにしよう」
「はい、そうしましょう」
童は大きく垂れた瞼を跳ね返す元気すらなく、その姿に見かねたナイツは軍議を終了して童の小さな体を抱き抱える。そして本陣の大天幕を後にし、自らの寝所となる天幕へ向かった。
「ふわぁ……あ。童ちゃん見てたら私も眠たくなっちゃった。皆さん、お休みなさい」
「うむ、私も一巡察だけして休むとしよう」
ナイツと童の微笑ましい様子に顔の筋肉を緩めた諸将も、その途端に一日の疲れがどっと表れた様で、各々が最低限の言葉を交わしただけで解散した。
「よっと……軽かったな。あんなにプリン食べてたのに」
自分の天幕に戻ったナイツは、簡易寝台に童を寝かせる。
「さて、俺も寝るか」
自分の寝台を童に与えてしまった為に床の上で眠る事となったナイツ。
地面に耐水幕を被せただけの床は硬い上に冷たいが、普段からこの苦労を味わっている兵達の気持ちを思えば、耐えられないものではない。
(眠たくなったから軍議を終了したなんて。今思い返せば……ほんとに珍しい事だな)
子供にとって軍議は眠くなるだけと李洪は言っていたが、ナイツも充分に子供。
だが彼は、睡魔に負けて軍議を疎かになどはしない。眠気の有無は単純に、兵の上に立つ者とそうでない者の意識の違いだ。
そうと思えばこそ、やはり童は戦場に立つべきではないと思われる。
ナイツは明日の朝に童を義士城へ帰らせると決め、戦場の初日を終えた。
「……で、何故居る」
然し数時間後、やたらと温い小動物感によって目覚めたナイツ。寝袋の中にはいつの間にか童が入り込んでおり、我関せずの熟睡を以てナイツの腕に涎を垂らしていた。
(……夢の中でプリンでも喰ってんだろうな)
やれやれと呆れ顔を作り、温暖機能付き抱き枕の如く扱いで童を抱き抱える。
知らずのうちに入ってくるならこの際一緒に寝ればいいと考えたナイツは、童に譲った筈の寝台に童と共に横になった。
(……これで満足だろ…………寝よ)
寝ぼけ眼の人間が心地よい抱き枕を手にすれば、もうお休みと寝坊は確実である。
(……ああ……温い……)
普段から隙を見せない性格のナイツが戦場に於ける夜を無防備に過ごし、深い眠りにつく事自体がとても珍しい。彼こそ、知らずのうちに心のどこかで満足していたのだろう。
願うならば、それが本当に寝坊できる事だった。




