檄と突撃
ナイト、ファーリムは高台に登り、眼下に広がる兵達に向き合った。その手には先程、方元とバスナから奪取した鮭の干物が握られている。
「大将、全兵士に行き渡った様です。さ、号令を!」
「おぅ、任せろ!」
管糧官より報告を受け、例の物が全兵に行き届いたとわかるや否や、ナイトは手を高らかに挙げた。剣が握られている右手ではなく、鮭の干物を握った左手を。
それに呼応する兵達もまた、武器ではなく、干物を握った手を挙げる。
そして更に呼応するのが大空を翔る鳥の群れであり、兵達が掲げた干物を狙って急降下を始める。
だが、次のナイトの号令とそれに応える全兵の破声が近付くもの全てを跳ね除けた。
「剣合国軍の強者達よ! 吼えよォ‼」
「ホゥアァ‼」
大気を揺るがす咆哮が鳥達の体を震わせてバランスを崩す。
「我が仲間達よ! 猛よォ‼」
「オォアァ‼」
咆哮第二波で鳥達は完全に畏縮し、飛べなくなる。
「よし、噛み抜けェ‼」
「グゥオォ‼」
落下する鳥達は第三波の物理的衝撃と狙っていた獲物が全て先に食べられてしまった精神的衝撃のダブルパンチを受け絶望の淵に沈み、抵抗する間もなく片っ端から捕獲された。
これぞ後の世に名高い「ナイト流食料現地調達法」である。
「我等剣合国軍はこの干物のように噛むほどに! 苦境であるほどに、強くなる! 強者一人一人が真の強者のそれとなる‼」
ナイトの声は魔力を込めない地声であっても、隊長格から末端の下位兵に至るまで全ての者によく響く。
皆と同じ物を食べ、同じように眠り、対等の仲間として接する。ジオ・ゼアイ一族の末裔と驕ることなく、民や兵と共に歩むナイトであるが故に得られる効果だ。
「今、我等の前に立ちはだかる敵を討ち取った暁には、俺達全員が英雄となる!
全軍、吼え猛よォ‼」
「ホゥオォアァ‼」
大気を、大地を、視界に移る全景を揺らす剣合国軍の鬨の声は、対面する輙軍を畏縮させ、士気で凌駕する。
そして士気最高潮、英気最大のまま、ナイトは剣を振りかざして号令を下す。
「先鋒隊、全騎突撃‼」
「メイセイ隊! この飛雷将の名の下に続け‼」
号令が下ると同時に駆け出すメイセイ。
腕を組みながら威風堂々たる勇姿を示す彼の後には白の鎧で身を固めた精鋭騎兵が喊声を上げながら続いた。
猛然と突き進むメイセイ隊が近付くにつれて、輙軍の前衛にある歩兵達は及び腰で槍を構える者が続出する。他国に知れ渡る勇猛なメイセイ隊が迫っているという事もあるが、彼らが今最も恐れるのは士気の高さから表れる勢いに他ならない。
三千の騎馬隊の喊声だけで万を超す程の重圧を放ち、騎乗する兵の熱が伝染した軍馬は更に脚を速める。
士気の差が著しいが故に感じる恐れは計り知れず、前衛の兵達はこのまま呑み込まれると早くも怖じ気づいた。
「臆するな! 銃兵、弓兵斉射開始!」
然し、輙氏当主・輙之文の若き勇壮な声が響き、丘上からの援護攻撃が始まると、前衛部隊は気を立て直す好機とばかりに腰に力を入れた。
「無駄だ‼」
だが、メイセイにそれは通じなかった。内より放つ威圧に魔力を込め、前方広範囲を対象に衝撃波を生む。そこに兵達の威勢が加わり、敵の矢弾を悉く退けたのだ。
「全騎抜刀‼」
馬軍の進撃音の中に於いても響くメイセイの号令に先ずは近くの兵五百が一斉に剣を抜く。一秒とかからず第一陣が抜き終わると同時に後続の千騎も抜刀。残る千五百騎も一瞬おいて一糸乱れぬ動きを見せる。
メイセイを始点に扇状に波及する三段抜刀。一段毎の抜刀による鞘と剣の摩擦音は三段とも全て重なり、極めて高い錬度を示す。
そして、将兵一丸の威風堂々たる芸術的攻勢は目前の敵を畏怖させた。精神的突撃を先行して受けた輙軍は効果的な槍衾を繰り出す事も出来ず、物理的突撃を緩衝材なしで受けることとなる。
「切り進め! 飛び抜くが如き速さで!」
大剣に魔力を込めて振るう度に、前方の敵兵が二、三十人消し飛ぶ。
「第一陣突入口開通! 第二陣展開始めました!」
メイセイの側近が隊の状況を報告。
突入から数分と経たずメイセイ本隊の第一陣五百騎は奥深くまで切り込み、続く第二陣千騎が出来たばかりの突入口を押し広げ、維持する。
「存分に驚懼させてやれ! 雷を恐れるが如く弱子の様に‼」
突入、展開、そして蹂躙。主攻たる第三陣千五百騎が敵と刃を交え、一方的に切り伏せる。
勢いに呑まれた輙軍の兵士達はメイセイ隊の好きなように命を刈り取られていった。
「輙様、一備が壊滅しました! 周囲の備も苦戦しております!」
「くっ……突入からの展開が予想以上に早い。銃兵、弓兵は敵本隊の攻勢に備えろ!敵の先陣部隊に対しては無理に相手するな。生じた穴は後軍で埋めろ」
輙之文はメイセイ隊の猛攻に対して堅実に防ぐ。数と士気で劣る彼等は援軍の到着まで地の利を活かした防衛戦術に徹する算段だ。
「こちらの揺さぶりに動じる様子はない。むしろ俺達の突撃に対する備えを厚くしたな」
「だが守りを固めすぎる事はなく、柔軟さを保っている。メイセイ相手にそれほど冷静でいられるのは大したものだ!並の将ならばあの攻めだけで全体が崩れかかるからな」
剣合国軍右翼を担うバスナとファーリムは初手で敵の力量を推し測る。それは左翼のナイト、方元も同様であった。
敵が凡将ではないと判明すれば、その良将が実力を発揮できる状況となる前に討つ。
即座に全軍突撃の号令を下すナイト。彼が率いる左翼は先んじて進撃を始め、時差によって一呼吸遅れた後に右翼も前進する。
両翼の先頭を征くナイトとファーリム。大将と錝将軍が揃って先陣を切る姿に兵達は奮い立ち、当たるべからざる勢いを生み出した。
「敵の総攻めだ! 一斉射撃開始!」
輙之文の号令で丘上より銃兵、弓兵による斉射が行われる。
輙軍の兵達が一番狙いを定めたのは、言うまでもなく最前列を掛ける二人の将だった。どちらかでも討ち取ることが出来れば、剣合国軍にとってはこの上ない打撃となる。それどころか覇攻軍内に於いて輙族は英雄となり、人質となっている家族の解放にも繋がるであろう。
だが、彼等の淡い期待はいとも簡単に弾かれてしまう。抑々にして、魔力を扱えない兵達では二人に傷を負わせることすら不可能に近かった。
先ず錝将軍ファーリム。大剣豪の中の大剣豪として人界全土にその名を轟かせている彼は、個人の武力、用兵技術共に剣合国軍随一と言っても過言ではない。
大将であるナイトもファーリムと互角に渡り合える豪傑だ。又、彼に至ってはジオ・ゼアイ一族に伝わる特別な力も持ち、それを使えばファーリムに押し勝つことも可能と言われている。
若き頃バスナを含む三人で、一万の敵軍を長時間足止めした二人からすれば、矢弾の雨など小雨の様なもの。否、傘をさす程でもないが気が付けば全身が濡れている小雨の方が厄介と思うだろう。
どうでもいい話だが、ナイトとファーリムは大雨の中であっても花見を嗜む。なんでも自然と一体になることはとても清々しいとの事だが、バスナが合流した時には見るべき花も散っていた……。
「「邪魔だ‼」」
剣を振り下ろすナイトと横薙ぎに切り払うファーリム。前方に巨大な斬撃を放つと共に矢弾の雨を消し去った。
「「全兵!突喊‼」」
斬撃は尚も止まらず、敵の前列を大いに崩す。
そして輙軍の動揺が収まらぬうちに二人は先駆けを果たし、危険を顧みる事なく後続の兵達の為に前方及び左右の敵を切り伏せ、消し飛ばし、屠り回す。
僅かに遅れる形で騎兵が突入した際、既に百以上の骸が野に晒されていた。