変わらぬ態度、伝わらない気持ち、理解する幼子
童がジオ・ゼアイ家の養子となった翌日、亜土雷はいつもと違う朝を迎えていた。
理由は単純。今朝の兵練担当だった弟の亜土炎が二日酔いの為に動けず、やむなく兄である彼が指揮を執る事になったのだ。
「亜土雷様、誠に申し訳ありません」
兵練場に向かう亜土雷、鋭籍の出迎えに現れた亜土炎の副将・棋盛。
彼は起き上がる事も儘ならない上官に代わって深々と謝罪する。
「気にするな。お前の責任ではない」
亜土雷は極々自然に言い返したつもりだった。
それにも拘わらず棋盛は畏縮以外の態度を示さない。
亜土雷の顔色を窺う様に遜り、彼の生まれつきの眼光の鋭さに相も変らぬ恐れを抱く。
「い……いえ、副官の私が微力な為に亜土雷様のお手を煩わしたに過ぎません」
いつも通りの反応と言えばその通りだが、これを四六時中に亘って多くの部下達から向けられては、強靭な精神力を持つ亜土雷であっても気疲れしてしまう。
「……そうか」
彼は今日も鬱屈なる感情を抱えたまま軍務に当たる事に、溜め息までは出さないが面倒くさそうに首肯した。
(炎がどれほど楽しんだのかは知らん。どれ程の酒を浴びた末に潰れたのかも。……然し、それが如何に恵まれた事かを炎は知らん)
周りの畏怖の目を気にする亜土雷ではないが、彼に気の休まる時が少ししかないというのも事実。
それだけに、弟の亜土炎がナイト達と楽しんでいる様子が羨ましく思えた。
弟は兄との実力差に劣等意識を抱き、槍秀や李洪、メスナ等の同世代武将とは適切な関係としか言えず、ファーリム、バスナ、槍丁等に至っては大先輩。鋭籍を除いた部下や家の使用人達も先の棋盛と同じ反応を見せる者ばかり。
何より亜土雷自身のコミュニケーション能力が低い事もあり、話が続かない。
亜土雷は軍中にあって孤立気味な立場にあったのだ。
「ん、あいつは……」
そんな彼が兵練場に至るまでの間にある水園を通りがかった時。
季節ものの黄色の花々を、しゃがみこんだ状態で一心に眺めている者が目に映った。
「亜土雷様、どちらへ……」
「暫し待て」
鋭籍の言葉を遮ってまで、亜土雷がその者に近付く理由はなかった。
だが不思議な事に、亜土雷は自然と足を向けていたのだ。
「童、花が好きなのか?」
亜土雷の足音に気付いた童はゆっくりと立ち上がり、彼の質問に小さく頷いた。
童の表情は昨日と変わらず無そのもの。たが、今の童には人を視殺する威圧はなく、単純に吊り上がった目が幼齢に似合わない睨みを利かせているに過ぎなかった。
「……」
童は亜土雷をじっと見つめる。
ナイトとナイツ曰く、この行為は他者を見抜くものであり、童の目から視線を逸らしてはならないとのこと。
(……ふっ)
今まで子供を見つめれば、泣いて謝られることが一般的だった亜土雷にとって、童の真剣な眼差しは純粋に嬉しかった。
好きなだけ見れば良いとばかりに童の瞳から目を離さず、童の人物鑑定の結果をひたすらに待つ。
これこそが後世に伝わる「無表情を極めし者同士の終わり無きにらめっこ」である。
「……」
やがて鑑定を終えた童が、亜土雷の目を見つめたままに動き出す。
弱々しく、そしてゆっくりと右手を前に出し、閉じていた手の平を開いて見せた。
童の右手に握られていたのは個包装された一つの飴玉だった。
亜土雷はその行動を、童が自分を信頼してくれたものと解釈する。
だが残念な事に彼は甘味が大の苦手であった。
「ありがたいが、俺は甘いものが苦手だ。気持ちだけ受け取ろう」
「……」
飴玉を断られた童はそこで初めて視線を移し、じっと手の上にあるレモン味の飴玉を睨んだ。
そして右手を下げた後に、今度は左手を前に出して同じ様に手の平を開げる。
中には個包装された種無し干し梅が握られていた。
「い……いや、それも遠慮する。それより、ずっと握っていたのか?」
呆気にとられる亜土雷は再度向けられた童の瞳に問いかける。
童は小さく首を横に振った。
「ではポケットの中に……そのズボンにはポケットがないな」
キャンディが用意した黒の長ズボンを簡単に見渡す限り、本来ポケットがあるべき場所に無用な露出口があるだけで、収納能力はなさそうだった。
「……」
「お……おいっ!」
すると童は驚きの行動に出る。何と左手で亜土雷の右手首を掴み、童から見てズボン左側にある逆三角の穴から内部に招き入れたのだ。
亜土雷は数ヵ月ぶりに動揺したが、童の案内に従ってズボン内をまさぐると、直ぐに内ポケットの存在を知り妙に納得した。
「成る程な……然し何か嫌だな、このつくり」
亜土雷の率直な感想に童は再度小さく首を横に振る。
「……このズボンが気に入ったのか?」
「……!」
童は表情無いままに大きく頷き返した。
そして亜土雷の手を離し、握っていた菓子を内ポケットに収納すると、今度は白色の上着を両手で引っ張ってパタパタして見せる。
「ナイツ様の着ておられた上着も気に入ったのか?」
「……!」
再度大きく頷き返す童。
この子に顔色があるならば、それはきっとどんな花よりも鮮やかな色で満開の様を示しているに違いない。
「ふっ……面白い奴だ。お前の気持ちは俺が御二人に伝えておこう」
亜土雷は顔に笑みを浮かべた。
それは正に数年ぶりの行為であり、強張った頬の筋肉が急に動かされた事で痛みが走る程。
だが亜土雷は、その痛みすら忘れて童との交流を楽しんだ。
(亜土雷様が笑われただと⁉ ナイト様が仰った通り、この子供は只者ではない)
「永久凍土の顔将軍」と揶揄される亜土雷。そんな彼の表情に光が差したという事実は鋭籍を驚愕させた。
常に上官の傍に控える彼でも、こんなに楽しそうに口を動かす亜土雷は初めて見た姿だった。
「そう言えば名乗り遅れていたな。俺は亜土雷だ。今から兵練に向かうが、来るか?」
残念ながら童は首を横に振った。
「そうか。まあ、見ていて楽しいものではないしな。花の様に綺麗でもない」
亜土雷はにわかに声量を落とす。人を誘う事の難しさを知った瞬間であった。
「では邪魔したな。花が好きなら軍議の間を東にいった先にある、客殿前の庭園に行くと良い。キャンディ様自らが育てておられる花が多く咲いている。特に今の時期はお前に似合う白や黄の花が満開だった筈だ」
柄にもない雑談を楽しんだ亜土雷は童にそう言って踵を返す。
童も彼の勧める庭園へ向かって走り出した。
「待たせたな。行くぞ」
「……はっ!」
呆気にとられている鋭籍と棋盛に声を掛け、再び兵練場へ向かって歩きだす亜土雷。
その後の練兵では、普段と違った亜土雷の指揮と言動に殆どの兵が動揺し、あまり身に付かなかったという。
表情並みに口が堅い上官に代わり、副将の二人がこの出来事を広めたのは言うまでもない。




