覇攻軍の裏手
ナイト等による楡函砦襲撃から二日後。
覇攻軍本拠地のナルマザラスより、フハ・ガトレイ率いる三万の軍が楚南に着陣した。
その中には大族・ヴェムを代表とする従属勢力や、紀州から亡命した雑賀衆残党も含まれている為、各部隊の士気には大きなムラが見られた。
更に数時間後、透晋でアレス軍を撃退した覇梁のサキヤカナイ一万も到着すると、楚南に集結した覇攻軍連合の総兵数は九万四千にまで膨らむ。
とは言え、サキヤカナイ以外で主戦力足り得る蝶華国・護増国・ヴェム族の各軍は、著しい士気の低下を招いており、数合わせ程度の力しか持たなかった。
これはナイトやバスナが言った通り、覇攻軍連合の戦力半減を意味し、剣合国軍との決戦を望めない状態だったのだ。
動きを制限された覇梁は、自陣営に対して次のような指示を下す。
「……ガトレイ、先ずは全軍の動揺を抑えよ。次いで鋭気を養わせ、士気の回復を待つ。ウォンデ、士気を整えた後に大挙して敵を討つ準備を進めよ」
「承知致した。沈静に当たって酒などを振る舞われると、尚良いかと」
「許す。裁量はうぬに任すゆえ、好きな様に慰安させよ。……だが一つだけ注文すれば、規律は守らせるのだ」
「……言われるまでもなく、御安心召されよ」
これ以上、剣合国軍に付け入る隙は与えない。
覇梁は徹底した警戒の中で、絶妙な鼓舞を示さんとした。
「ちょいと待てや大将。俺だけでも出撃させてくんねぇか?」
然し、陣営内にあって、守りの方針に反対する者が一人。
覇梁の到着まで出撃を止めさせられていた、「夜襲の壊し屋」ウォンデだ。
開戦初日で南亜を追い散らされた彼は、その初日で己の十八番戦法をとられた事を激しく怒りつつも、覇梁の到着を今か今かと待っていた。
「奴ら散々殺りやがって……! この俺を虚仮にした! 調子に乗ってケツ追っ掛けて来る奴等を思い返すだけで、腸が煮えくり返るっ!!」
「………………」
「準備なら既に出来ている!! さぁ、勇壮無双のサキヤカナイが大将! 号令を下せ!! 連勝に酔う馬鹿共を虐殺してこいと命令しろ!! 一人残らず鏖殺し、首級を噛み砕けと言え!! これ以上の我慢は、忠犬に対する虐待だ!!」
味方すら気圧させる狂気を、自ずから発するウォンデ。
片や、そんな困った部下を持つ覇梁は、至極落ち着いた様子を見せる。
威厳や貫禄とはまた別の、何処か別次元を思わせる威風堂々ぶりをもって、そこに鎮座している。まるで地獄の閻魔の様に。
「まだ時にあらず。待つのだウォンデ。剣合国の力が割けられる時まで」
「何時くるかも分からぬ好機など待てるか! それに “好機とは自ら掴むもの”……そう言ったのは大将、あんたに他ならん!」
「だから待つのだ。今この瞬間も、我等の手は勝機を掴みに行っている。そして、その時は近い。故に時を前にして、手を切り落とす様な真似は控えよ。機に際して、うぬの両手が剣合国の者共を根絶やしとする為にな」
覇梁の諫言を前にして、蝶歌を始めとする諸将は、彼に必勝策がある事を理解した。
全軍の鼓舞と念入りな準備は、その為でもあるのだ……とも。
当のウォンデに関しても、普段から寡黙な覇梁にここまで言わせては沈黙せざるを得ず、納得がいかないながらも血気を抑え込んだ。
「……よし、方針は定まった様で。それでは次に、細部の動きについて協議しよう」
ガトレイが両手を叩いて話を区切るや、ウォンデは面白くなさそうにふんぞり返る。
この後、覇攻軍は具体的な作戦会議を開いた。
とは言え、それは軍議の体を成しているだけであり、武力頼みのウォンデは録な意見を発案できず、従属勢力の諸将にも発言権が無い。
それ故に覇梁とガトレイが会話の大半を占め、良くも悪くも偏った戦略となるのだった。
だが、それでも覇梁の言っていた “好機を掴む手” は容赦がなく、この場でこそ公表されなかったものの、後で個人的に聞いたガトレイは思わず聞き返した。
「……それは覇梁殿が考えられたのか?」
覇梁はどんな戦況であろうと一切の動揺を見せない豪傑にして、相当な殺り手である。
焦燥という感情が欠落したとも言える程に常人離れした冷静さを持つ一方、冷酷な決断に躊躇いを見せない図太い神経も併せ持ち、それによって苦境を脱する術に長けている。
然し、彼は軍略家ではない。視野が広い訳でもない。あくまでも絶大な武を誇る大将だ。
だからこそガトレイは不思議に思ったのだ。
黒染亡き今、覇梁の傍にあって超広域戦略を立てられる策士が居ないだけに、一体どこの誰から生まれた作戦なのかと。
「我の考えではない。蒼虎が遣いを差し向け、我が許から鴉が飛び立って出来た策だ。……ガトレイ。あの虎は、やはり恐ろしいぞ」
覇梁は変わらぬ威圧を放ちながら、あっさりと答えた。
ガトレイは「成る程」と、大きく首肯する。
「鴉黔殿がいつの間にか戻り、承土軍の虎も前線復帰が叶った訳か。
――それはそうと、西方に鴉黔殿が居らずに宜しいので?」
「問題ない。向こうとは元々話がついている上、近い内に呼び戻すつもりであった」
「……というのであれば、別段心配はなし……と」
六華将の中で最も謎に包まれた将軍・鴉黔。
西方のイカキ・オウセイ軍の許へ派遣されていた彼は、味方のガトレイすら気付かぬ密行を駆使して、各国の裏側を暗躍していた。
そして作戦の裏側を知ったガトレイは、半ば試す様な、薄闇がかった笑みを浮かべる。
(……剣合国は予断の許されぬ状況となるな。その上で、戯志才の注目した幼子大将がどの様な行動を見せるものか、楽しみなものよ)
ガトレイ直属の軍師・戯志才(第310話「ガトレイの陣営」参照)。
彼の者はナイツ・涼周兄弟の台頭を予想し、特に涼周の方へ目を付けた。
主たるガトレイも、絶大な信頼を寄せる知恵者にかくも言わせ、絶大な信頼を寄せる鬼をも挫く幼子に、大きな興味を抱いていた。
(大いなる戦争は人を大きく成長させる生の舞台。仮にこの大戦で剣合国が残ったとすれば、あの兄弟は一層躍進するであろう。……まぁ、残ればの話だが)
現状ごく一部の者しか知らない大戦の時、近し。
ガトレイは再び微笑を浮かべると、自陣営の許へ早足で向かった。
「…………ガトレイ様。今、よろしいでしょうか?」
「ミュアか。どうした?」
そして陣営に戻ったガトレイを、漆黒一色の眼をした可憐な少女・ミュアが出迎える。
彼女は暗殺や諜報活動などの裏方を担い、ガトレイの下になくてはならない存在だ。
「アレス軍のエソドアに、不穏な動きがあるそうです」
「……黒巾の大宰謀か。さしづめ、先の敗戦の雪辱を狙っているのだろう。透晋には烓輜殿が居るゆえ、問題はないだろうが……警戒を強めるに越した事はないな。
――うむ! ご苦労だったな、ミュア。下がって休むと良い」
ガトレイが微笑みながら頭を撫でてやると、労いの言葉を賜ったミュアは幸せそうに頬を染めた。
そしてスカートの裾を広げて会釈した後、ゆっくりと姿を消す。
(エソドアが一軍を率いて国境付近に駐屯。「大宰謀」の旗の下、直下兵団・黒死謀を展開させるつもりか。今のうちに透晋周辺の豪族を手懐け、守兵の増員を図るとしよう。くれぐれも足元を掬われぬようにせねばな)
従属勢力や各地の豪族達を統括するガトレイには、様々な手があった。
彼は一先ず、アレス軍に確かな動きがあるまで、内面的な備えを固める事にした。




