史に残る握手もどき
結果が覆らないと判断したナイツは席を立って子供と向き合い、駄目で元々の思いで右手を前に出す。
「取り敢えず、これから俺達は家族だ。俺の名前はナイツ。宜しくな」
「……」
子供はやはりと言うべきか微動だにせず、表情にも変化がない。
「……駄目か」
数十秒に亘って手を差し伸べたが、子供の警戒は容易には解けなかった。
然し、更に二十秒ほど待った頃、漸く子供の右手と口元に変化が見られる。
「おっ!」
何度か引っ込めようとしながらも、ゆっくりと手を出してきた。
口もほんの少しだけ開き、何かを言おうとしている様子。
徐々に近付く小さな手を、ナイツはしっかりと待った。
焦らせては逆に遠ざかり、自分から強引に手を取る事も無意味と思い、あくまでも子供に流れを握らせたのだ。
「……」
そして握手を求めてから一分半が過ぎた時、やっと子供の手がナイツの親指を握る。
「ふははっ。そこを掴むのか。でも、ありがとう」
言葉は無けれども、親指にかかる力は強い。
ナイツにはそれだけで子供が自分を信じてくれたのだと理解できた。
その証拠に、先程まで躊躇っていた子供の手がナイツの親指から一向に離れない。まるで赤子が母親の指を握りしめて離してくれないように。
偏に安心の意思表示だと思われた。
キャンディは自己欲求を満たす行動の為に子供の左手を何度か離したが、子供はその都度彼女の手を握り直していた。
その姿から子供の本心が如何に純粋無垢かが窺い知れる。
「君の名前も教えてくれ。恥ずかしいなら俺にだけでいいからさ」
触れ合う事ができたナイツは次の段階に移った。
それは子供の名前を本人の口から聞くこと。本当は皆に聞こえる声で名乗ってほしいが、今までの様子を見る限りは無理であろう。
だからこそナイツはしゃがみ込んで左耳を子供の口元に近付ける。
子供の口が少しだけ開いている今が好機と判断し、今度は積極的に動いたのだ。
だが、そう上手くいくものではなかった。
子供は指先が辛うじて入る程度の開口を、ゆっくりと閉ざしてしまう。
「あらら、閉じちゃったわ」
子供から視線を逸らす体勢になっていたナイツに代わり、キャンディが様子を見ていた。
彼女が残念な報告をするとナイツは子供に向き直って一言だけ呟く。
「……閉じちゃいましたか」
先程の握手で一定の信頼は築けたと思われる。
ただし、それだけでは口を利くには至らないのだろう。
ナイツは無理強いを避け、曲げた膝を立たせようとする。
「うぅわーだっさー!」
子供との交流が失敗に終わった息子に、父が冷やかしを入れた。
対するナイツは額に青筋を入れつつも、冷静を装って反撃の一声を放つ。
「噛まれただけの人は黙ってて下さい」
「ぐぬっ⁉」
これにはナイトも反論できなかった。
実際に彼が子供と交わした接触行動は大量の血を吸われたというだけである。
「ふっ」
バスナが鼻で笑い、槍丁は小さく頷く。
「ええい、ちくしょうめ! そんなことより名前だ名前! いつまでもこの子、こいつ、あいつでは話にならんではないか!」
その通りだ。重要なのは子供の名前であり、ナイト父子の失敗談ではない。
ささっと気を入れ替えたナイトは、先程の失態を揉み消すべく真面目な発言をする。
「そうだな……梅の月に出会ったから「梅」はどうだ?」
「……」
然し、彼の案はとても安直なものだった。子供は無反応を示す。
「私的には嫌いじゃないけど……こうやってみるとナイツの弟みたいでしょ? だからナイ・ツー(2)なんてどうかしら!」
「…………」
キャンディの命名は最悪の一言に尽きた。
思い返せばナイツの名前だってナイトが決めていたのだ。
(お前は何処の親爺だ)
子供は変わらず無反応を示し、ナイトは顔をひきつらせ、バスナは心の中で突っ込みを入れる。
「父上も母上もまず前提をはっきりして下さい。この子は女の子であってますか?」
そこにナイ・ツー(仮)の兄となるナイツが、判断材料を増やすべきだと割り入った。
子供の顔は西洋人形が如く端正な形と白い肌が目立つ中性的なものである。
けれども激しい目の吊り上がり具合やただただ鋭い眼光がその要素を強めていると見たナイツには、子供が女の子寄りに映って見えたのだ。
「はふふっ……さぁね。貴方の服着てるから弟でいいんじゃない?」
それでいいのか、バスナは再度心の中で突っ込む。
同時に諸将は、キャンディのいい加減な返答を受けたナイツが何と命名するのか気になり、一様に耳を立てる。
ナイツは僅かに考えた後、独り言の様に単語を発した。
「容姿からはそう思えませんが……まあ、この際弟でいいです。名前は…………ユグス」
「あら、意外と情熱的ね。嫌いじゃないわよそれ」
ナイトを含む将達は疑問符を浮かべる。
ナイツの命名には何かしらの意味があるのだろうが、それは母子にしか分からないものだったのだ。
「それじゃ一般人には分からんだろ。ここは一つ、世間一般に於いて「人に愛される人」を願って付けられる「周」という名をだな……」
「……!」
「はふふっ、肖りたいのは分かるわよ。貴方にとっては好きな名前だものね。……けど、一人だけ漢名だと可哀想じゃない?」
ナイトの次案を耳に入れた子供の目が彼の方へ動き、傾いた目付きにも若干の丸みを帯びた。
(今、反応したな)
その様子に気付いた者はナイツ一人だけであり、他の者達は夫婦の会話に注意が向いていた。
結局、小一時間ほど話し合ったものの決定的な名前は決まらなかった。
というのもキャンディの最悪ネームの数々が押し出される事が八割程の時間を占めたからだ。
「……一先ずは「童」とでも呼んでおけ。口を利くようになってから本人に名乗らせろ」
結果の見えない軍議に辟易したバスナが舟を漕ぎ始めた子供を指差した事で、この論戦は一時の終結を見た。
その間、童はずっとキャンディの右手とナイツの右親指を握りしめていた。
眠気とともに弱々しくなったそれが却って普通の幼子を思わせ、ナイツに下の子の存在を強く抱かせたのである。




