「人を視る才能」を見抜く幼子
自らが乗ってきた旗艦の前に着くなりナイトは足を止めた。
否、止めさせられたという方が正しいだろう。外観は何も変わらず損傷も見られないのだが、甲板より聞こえる部下達の悲鳴に似た狼狽の声と、周辺の形あるもの全てを軋ませる程のおどろおどろしい殺人的殺気が彼を怯ませたからだ。
「行くぞ」
馬を降り、剣を抜き、ゆっくりと階段を上がる。
次第に強まる殺気に一滴の汗を垂らした頃、ナイトは甲板に出て兵達の奥に佇む幼子の背を見た。
血と泥と垢にまみれたみずぼらしい服を身に付け、肩にかかる程度の髪は傷みと乱れで生気を失い、身長は百二十を超えたばかりといった具合。筋骨もさほど発達している訳でなく、年相応若しくはそれ以下の体つき。
更には手の爪が異様に伸びており、滑り落ちるように滴る鮮血と兵達の切り傷を見る限り、下手な刀よりも鋭利な武器となる事は間違いない。
そして、そんな様相を気にも留めていないと言える道具が右手に握られていた。
漆黒の銃身と、それに平行して刻まれた深青の溝がそれぞれ妖しい光沢を放ち、さながら生み出されたばかりの宝具が如き輝きを見せる片手銃である。
酷く汚れた幼体と比べれば、その片手銃はとてつもなく不釣り合いである筈なのだが、妙に落ち着いている自然さを漂わせ、それがまた不気味極まりなかった。
「……あんな子供は、今まで視たことがない……」
茫然として立ち尽くすナイトの目には、子供の姿が霞んで映った。
まるで世界がその存在を抹消したがっているような危険性と、凄く悲しく同情さえしてやりたくなる程の哀愁の念が水と油の様に反発しあって、その間にある実体を消滅させかけているのだ。
理解の及ばぬ殺意と絶望を周囲に撒き散らす子供に自分の力は通じるのか。最悪の場合、ここで楽にしてあげる方が良いのではないか。
先の見えない事態に憂慮したナイトは、首にかけた状態で服の内側に隠し持っていた剣のペンダントを取り出す。
「……⁉」
その瞬間であった。
兵士の包囲網の中にあって、背を向けたまま微動だにしなかった子供が、ゆっくりと、首だけを平行に、振り向いたのだ。
そして赤く染まった髪の隙間から、これまた赤く光る幻妖な右目を以てナイトを捉える。
(おいおいまじか……今俺の事を……! 一体何だってんだあれは……何だこの子供は⁉)
人に擬態した魔物? 常軌を逸しすぎた怪人? 恐れが見せる幻覚? 全て正しそうに見えて全て違う。
何より、目があった瞬間に心臓を鷲掴みされる程の重圧を受けた時点で、相対した子供の正体も存在理由も秘めたる才能も何一つとして見抜くことができなかった。
いや、それ以上にナイトを怯ませた理由がある。
「……皆下がっていろ。……俺が戦う」
兵達を下げ、大将自ら正体不明の化物に挑む。
だが、危険が過ぎるその判断に槍丁を始めとした将軍達が制止の言葉を発し、ナイトの前へ出ようとした。
「大殿、御自重下され。ここは儂が挑みます」
「下がれ槍丁」
戟を構えながら子供の視線上に立とうとする槍丁に有無を言わせぬ威圧を向ける。
「……御意」
槍丁は敵意さえ感じられたナイトの眼力と声音に気圧され、数歩後退った。
彼に倣い、他の将兵も子供から距離をおいて自分の身を守ることに専念する。
一転して沈黙の戦場が形作られると、子供は改めて体の向きを変え、鷲の様に鋭くそれでいて化物の如き妖光を放つ双眸をナイトに向けた。
「殿、あの子供は……」
一歩踏み出すナイトに念を込める意味で警戒を促そうとした安楽武。
血生臭い経歴を持つ彼ならではの本能が、槍丁以上に子供の実力を危険視したのだ。
然し、武闘派軍師の忠告を聞き終える前にナイトは言い返す。意味が分かる者にとっては最悪と思える内容を。
「見抜かれた」
「えっ?」
「今しがた……俺の方が見抜かれた!」
「⁉」
安楽武は慌てて子供を見返した。
表情は変わらず無そのもの。発する気配も然り。ナイト以外の者には、先程までの様子と比べて変化したものが分からなかった。
偏に、目を合わせた者同士でしか理解できない境地の話であろう。
相手の顔色で内情を探る安楽武でも、相手側に材料がなければどうしようもない話だ。
最早この場はナイトに一任する他なしと見て、彼も身を引いて有事に備えた。
「……」
一騎討ちは子供の攻勢から始まった。
甲板を走る際に生じる甲高い音すらない無音疾走で一気にナイトとの距離を縮め、右手に持つ片手銃から一発の魔弾を撃ち出して剣を弾き、同時にナイトの右足目掛けて左手の爪を繰り出す。
「くっ!」
先行して防御手段を禁じられたナイトは瞬時に左足を軸にその場から飛び退いた。
「足を狙うとは卑怯な!」
この戦い方に槍丁は怒声を上げる。
根っからの武人である彼には、一騎討ちに於いて足元をすくうという考えがないのだろう。
古風騎士の美学に基づいた声を耳に入れたナイトは内心、槍丁に戦わせなくて良かったと安堵した。
だが、人の心配をする余裕は直ぐになくなる。
第一刃が避けられたとするや子供は距離をとったナイトへ魔弾を連続発射してきたからだ。
「はっ! っせい!」
十数発の魔弾を一つ一つ的確に防ぐ。
一発ごとの威力は決して高いものではなく、魔力を少量込めた剣の一振りで簡単に霧散させられる。
問題は連射速度を活かした多箇所射撃だった。
片手銃は魔力を用いた攻撃しかできない魔具の一種である。
実銃に比べて反動が一切なく、魔力の残量がある限り撃ち続ける事が可能な故に、ナイトの体の至る箇所に魔弾をばら蒔けるのだ。
腹部に向けられた弾を剣の中間で防げば、次は肩を狙われて即座に躱す。かと思えばその次は左足に弾が迫り来て剣の切っ先でこれまた防ぐ。近距離の戦いを最も得意とするナイトはこの中距離では守りに徹するしかなかった。
ただし、全く手も足も出ない訳ではない。ここが艦上でなく、味方も居らず、完全にこの子供を殺すつもりであれば、ファーリムの十億ソードじみた技で反撃に出ることも可能である。
(早いところ見極めねばな。何か一つでも分かれば即座にこっちのもんなんだが)
子供を生かすか殺すかで迷っていることも、一方的な守勢に回る要因であった。
戦いを通して本質を見抜く事としたナイトは可能な限り目を見つめて探りを入れてはいるが、子供の感情が壊れてしまっているのか上手く色を掴めない。
(生きたいのか……死にたいのかさえ見てとれんとは……。どんな境遇を歩んだのかが逆に気になるな)
今度は己の感情を材料に別の見方を試す。
魔弾の中を掻い潜り自分から間合いを詰め、子供の右手を狙った突きを繰り出す。
攻守が逆転したならばどんな行動を見せるのかと、子供の放つ面妖さに気後れしていたナイトが攻めに転じたのである。
「……」
「何と!」
接近されて尚、動じない子供は至って機械的に片手銃の銃口を剣先に向けた。
戦い慣れている者ならば避けることも可能な剣速であるにも拘わらず、魔弾で剣を防ごうとしたのだ。
(面白い!)
ナイトの剣に魔力の弾丸が通用しない事ぐらい、先程の攻防を通せば充分に分かっている筈。
その上で魔弾による迎撃に出た子供にナイトは敵としての興味を持った。
防御時の倍近い魔力を切っ先に込めたナイトは、銃口目掛けて一気に突き出す。
魔具であっても子供が玩具同然に扱える代物であれば、幾多の戦いを切り抜けた名剣の一撃には敵わずとの算段あってだ。
そして――
「んなぁっ⁉」
「……」
結果は魔弾を撃つことも銃身を動かすこともなかった片手銃が、剣の刀身を粉々に砕き、ナイトを弾き返した。
しかも銃身には傷一つ付かず、大した振動もなく子供は平然と立っている。
(ふざけんな……! 俺の魔力をそのまんま返しただと⁉)
大きく姿勢を崩したナイトは驚愕の色に満ちた目を、麻痺した自らの右腕に向けてしまった。
「殿っ!」
将兵達も丸腰になった大将を見て一斉に声をあげる。それが一種の呼び水となったのがナイトにとっての救いだった。
(しまった……!)
目を再び子供へ向けた時、銃口は当然の様にナイトの心臓を狙っていた。
そして次の瞬間、子供は躊躇いなく引き金を引いて魔弾を撃ち出す。
とても機械的に、何の感情も見せることなく、剣のペンダント越しに心臓を狙って。




