賑やかなる凱旋
剣合国軍本拠地 群州・大諒 義士城
群州は中枢大陸の真ん中に位置した、大陸の東西を分断する要所である。
東は北半分を剣合国軍が領有する慈経州に隣接し、その南方は興宮湾に繋がる。
西は山深く一部の盆地を有する山城州に隣接しており、州全域が剣合国軍の領土。
南は平野の多い苑州に隣接しており、北部のトーチュー平野を勇猛な騎馬民族の甘族が、それ以外の地域を覇攻軍が治めていた。
北には檬屯湾が広がる。
群州は陸海空の全ての路より人や物、情報、文化、金銭等が入り込むことで繁栄を見せ、精強な剣合国軍の基礎を成していると言っても過言ではない。
そして、義士城は大陸中央から東北の端々までを繋ぐシンシャク川から分岐した群州内の派川に築かれた、水上の巨大要塞である。
城の具体的な位置は州の中心よりやや南西に当たり、州北東部にて本流より分岐した先でさらに三路に分かれたシンシャク川の分派点上だ。三路はそれぞれが別の方角に流れ、北の檬屯湾、西の山城州、南の苑州に続く為、義士城は戦略的に重要な役割を持っていた。
尚、楚丁州は山城州の南隣、群州の南西に位置する。
鉱平原より引き上げたナイト達は、終戦より二日後に義士城へ帰還した。
作戦が失敗に終わり、多くの将兵が意気消沈しての凱旋であったが、城下の門を潜った彼等を民衆は温かく迎えた。
ナイトは城下町で軍勢を解散させ、重傷を負った者達以外を家族の許へ直行するように命じる。
「ナイト様、俺は天涯孤独で帰りを待つ家族がいないのです……」
苦笑気味にこんな訴えをする兵達には、純真たる笑顔と残像を生む速さで立てた親指を見せて……。
「よし、城に来い。怪我人と一緒に朝まで酒盛りだ!」
こう返す。
「気を紛らわせる程度にしろよ。お前の人外並みの体力に負傷者を付き合わせて、あの世行きなんてさせたら流石に……」
ナイトに釘を刺すのはバスナを措いて他になかった。彼は過去を振り返り、明日の朝を通り越して昼まで酒盛りをしかねないと感じたのだ。
その脳内には数年前にあった河賊討伐後の酒盛り事件(シンシャク川上で賊が所持していた酒を使った大宴会を開き、翌日の昼頃に海へ出てしまったと気付いたものの、場所が分からない上に二日酔いでどうしようもなく、結局二日間遭難したというどうしようもない事件)が鮮明に浮かんでいた。
然し、剣合国軍のアホさに対して、バスナ一人の諫言など五分釘程度の効力しか意味を為さなかった。
というのも当の負傷兵達がナイトに賛同の声を上げ、バスナの気遣いを爽やかに無視したからだ。
「何の何の、我等はそれほど軟な身体ではありませんぞ!」
「御安心下されバスナ将軍、今度こそは大功を立ててみせまする!」
「寧ろ三次戦の先陣は我等にお任せを!」
「手が動かずとも口が動けば一番首!」
「皆、戦意極上! 酒口への突喊は戦勝の兆し也!」
痛みと悔しさで涙を流していた、先程までのお前達はどこへ飛んで行ったのだ。
呆れる様に苦笑したバスナは心の中で彼等に、もう一度戦場へ行けと命を下す。そして何故に俺よりも台詞が多いのだお前達と、思わずはいられなかっただろう。
「貴方達って本当に賑やかな事が好きよね」
バスナがもうどうとでもなれとばかりに押し黙った直後、不意に民家の屋根上から女性の声が聞こえた。
ナイトとバスナは明朗かつ僅かに男気を帯びたような発音の声だけで、それが誰なのかを特定できた。逆に言えば声だけで分からなければ、最低と罵られても仕方が無いほどに関わりの深い人物である。
「奥、今日はそこから現れたか!」
皆の視線を集める女性は、屋根上で風船片手に仁王立ちしていた。
ナイトが「奥」と呼んだ通り、彼の妻であり、ナイツの母に当たる人物。キャンディだ。
「人を奇術師みたく言わない事ね。私が魔法使いでなく本当の奇術師だったら貴方、口封じの為に接吻されてたわ」
「おっと、これは失言」
自分の頭をペシッと叩くナイト。
バスナを含む他の者はこの夫婦のやり取りが理解できなかった。当然である、本人達も理解せずに会話しているのだから。
バスナが返した「何故そこに」といった言葉も、キャンディには聞き飽きた日常単語に過ぎず、ハイレベルなリアクションを求める彼女はいつも通りの難解、理不尽、事故撞着な言動を示そうとした。
然し、今回ばかりは違った。
バスナの左目に装着された眼帯と軍服の切断面から覗く無数の包帯を見るなりキャンディは、目を丸くして言葉を呑み込む。
そして何時になく真剣な面持ちを作ると、膝を曲げて彼と語り始めた。
「息子が世話になったってのは先に聞いていたけど……貴方にそこまでさせちゃったか」
「いや、全ては俺の見通しの甘さ故だ。ナイツ殿は充分な働きを見せていた」
「仮にそうだとしても、貴方から半分の光と七割の剣技を奪ったのは事実。……あの子には貴方が失ったものの百倍に……いえ、それ以上の値のある人物になる様に言っておくわ」
「ならば、それで返してもらうとしよう。だが必要以上に重く捉えさせないでやってくれ。本人にも言ったが、ナイツ殿はまだ子供。大人顔負けの実力と才能を持ってはいるが、それに伴う経験が無いのだ。それ故、無理に気張らせると却って裏目に出る恐れがある」
バスナは誰に対しても嘘はつかず、それでいて遠慮しない。
キャンディとのやり取りにも諂いや気休めの情は感じられず、実直な言動を見せて周りの感心を買う。それはバスナの美点であり、彼の人気を高める要因だった。
「はふふっ! そうね、貴方の言う通りにする」
一転して笑みを見せたキャンディは二階の屋根上から飛び降りる。
民や兵が一斉に声を上げるが、彼等の心配をよそに何事もなく着地。砂を蹴ったような軽い土擦れの音がしただけであった。
「はい、風船。もう手放しちゃ駄目ね」
飛び降りた家の扉近くに立っていた女の子に風船を握らせ、注意の意味を込めて右人差し指を立てる。
どうやら女の子の手から離れて、屋根に引っかかった風船を取ってあげていたらしい。ナイトもバスナも、その風船は今回の登場に使う小道具だと思っていた。
「何? みんなして口開けちゃって。飴ちゃん欲しいの?」
あんぐりとして静まり返った気配に一呼吸遅れて気付いたキャンディは、彼女から見て右側の胸ポケットから個包装された飴玉十数個を鷲掴みで取り出した。
今回はやけに胸が盛られているなと思ったが、そこに小道具が入っていたのだ。それと心なしか、先程の着地音より飴を取り出した時の方が鈍重な音がした。
「高い所から降りてきて大丈夫なのかと心配しているんだ」
続け様に繰り出されたボケに、尚も唖然とする民や兵達の気持ちをナイトが代弁する。
「ああ……これぐらいの高さなら別に……風船だって持ってたし」
旦那のフォローを受けて逆に歯切れを悪くする。
キャンディにとっては、心配してくれる気持ちは嬉しいが突っ込みを入れるのはそこなのかという複雑な心境だった。
「まあ、でも……子供や妊婦さんはやっちゃ駄目ね。もしやるんだったら、平屋の屋根から――」
「安心しろ誰もやらない。後その大量の飴は何だ。左の胸には何を隠している」
期待した反応が返されず、予想外の理由で沈黙された際、キャンディは抑揚も覇気も無いままにその日を終えてしまう。
その面倒臭さを知るバスナは重傷兵への治癒魔法が明日以降になることを防ぐ為に、速射砲の如く突っ込みを入れてキャンディをやる気にさせる。
「あら、胸が気になるの? 義将ともあろう貴方が公衆の面前で大将の妻にセクハラ発言なんてね」
表情に妖しい花を咲かせたキャンディは目元を吊り上げ、両手を胸に当てた。
重傷兵達はそれに便乗して男声でキャーキャーぬかし、中には赤面する顔をわざとらしく両手で隠す者もいた。
「ポケットの中な!」
心中、傷兵達にウォンデと戦ってこい(直訳:死んで来い)と命じるバスナは語気強く訂正した。
尤も、キャンディにはその反応こそが楽しいのだが。
「ナイト殿も、夫として何か……」
「やーいセクハラ!」
バスナは溜め息を吐くのを堪え、最後の気力を用いてナイトに話題を振ったが、無駄であった。人差し指を向けて笑うナイトを見て、とあることを再認識させられただけである。
(夫婦揃って面倒くせぇ)
バスナの気力は潰えた。今度こそ、どうとでもなれと思った彼は民衆の目を気にすることなく大きな溜め息を吐く。
だが、バスナの終わりはキャンディ劇場の終了をも意味した。
リアクションとしては腹半分なれど、役者の窶れた顔と周囲のヨイショで残る半分は満たされた。これ以上の演目は自他ともに意味のないものだとキャンディは理解し、漸く真面目な話に移行する。
「はふふっ! それはそうと肝心の息子は? まだ戦場?」
今更か。突っ込む余力のないバスナは再び心の中で声を上げた。
然し、彼が実際に言葉を返す必要はなく、息子の話題となれば反応するのは必然的に父親で、次はナイトがキャンディの問いに答えた。
「いや、軍の後ろ程に居る。もう少し待てばやって来る筈だが……」
「……いじけちゃった?」
「かも知れん。何しろ多感な年頃だ。俺やバスナが言っても納得できんのだろう。
……そこは頼むぞ、奥」
ナイトは妻に対して、母でなければ果たせぬ心のケアを任せる。雄々しさに欠けるその声には、彼が感じる物哀しさがこもっていた。
夫の願いにキャンディは無言のままで力強く首肯する。言われるまでも言うまでもないとの事だ。
彼女は重傷兵を本城内に入れる事を頼み、ナイト達の前から姿を消した。




